幸せになること、幸せに生きること

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私は幼少の頃、立身出世をしたいと思った。私が小学生の頃は卒業式で「仰げば尊し」を歌ったものだ。

【仰げば尊し】

仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば

互いに睦し 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

朝夕慣れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば

私はこの「仰げば尊し」を歌っていつも思ったものだ。
一生懸命勉強して、大きくなって立身出世して、故郷に錦を飾ろう。お国のために尽くす人間になろうと。
「仰げば尊し」は私のガソリンのような歌だった。

今は死語と化したが、「末は博士か大臣か」という言葉があった。大きくなったら目指すは、博士か大臣か大会社の社長か。
「総理大臣になって国葬にしてもらおう」と、吉田茂元総理の国葬の時、私は中学生だったが、作文にそんなような内容のことを書いた。先生はびっくりしていたが。 偉くなること、お金持ちになること、有名人になることが幸せなのだと思っていたのだろう。

幸せの定義は、昔と今、人それぞれ、違うと思うが、人は幸せになりたいと思って生きていることは事実だろう。

私は、立身出世することが幸せなのだと思い、入社した銀行でトップになることを目指していた。しかし、稲盛和夫さんにお会いして漠然とながら「それは違う」と思った。第六感のようなものだ。 そして、その「幸せ」を追い求めて、銀行を辞め、四半世紀生きてきた。

私にとって「幸せ」とは、追い求める目的ではなく、「幸せに生きる」ことなのだと思うようになった。
「幸せに生きることが幸せなのだ」と禅問答のようなところがあるが、「生き方」そのものが幸せなのだ。

幸せに生きるための『幸せの4因子』ということだろう。
とにかく①やってみよう。壁にぶつかっても②なんとかなる。そして③ありのままに自分らしく生きることだ。
人は一人では生きることができない。多くの人たちにお世話になって生きているのだから、その人たちに感謝をして生きることだ。それは④ありがとうということ。 そのように生きることが「幸せ」なのだ。

その結果、立身出世をすることがあるだろうし、お金持ちになることができるかもしれない。

夢に稲盛さんが出てこられた。

私が「一生懸命努力して人のために尽くしているのに、なかなかお金にご縁がないんです」と尋ねると、稲盛さんは「それは、小林君がそんなに人のために尽くしていないからだよ。もっともっと努力して人のために尽くすことだ。そうすればそんな悩みはなくなるよ」と仰った。

そうなんだろう。まだまだ私は未熟者だ。お金に拘泥しているうちは幸せではない。
「お金は天下の回りもの」と坂本龍馬は言っている。
人のために尽くすことだ。みんなが、そんなことばかりして生きていけるのかと思うほど、人のために尽くすことだ。
そんな評判が立つとお金は自ずから集まってくる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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