稲盛和夫さんの講話CDを聴く。

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外苑前から八丁堀まで1時間半かけてエビサン整体院に、そのあと、地下鉄で新宿のサンデンタルクリニックへ。
五十肩は少し楽になった。また、抜歯のあとは順調に回復しており、患部を縫った糸を抜糸してもらった。

大きく人生を考えてみると、私にとって70歳は大きな人生の区切りになった。還暦の時にもそんなことを考えたが、60歳の区切りを自分ごととして考えていたわけではない。何事も自分ごとと思って考えることが肝要だ。
世間の常識は尊重しなければならないが、それも自分あっての常識である。人さまにご迷惑をかけてはいけないが、そうでなければ「自分らしく」「自分ごと」として、意を持って人生を考えることだろう。

今朝も3時前に目覚めて事務所に出かけた。さほど寒くはない。歳を重ね、私にとってこの早暁までの静寂が至福の時になっている。 本を読んだり、CDを聴いたり、blogを書いたり。誰にも邪魔されない至福の時である。

昨朝書いたOUEN新年会(信念会)のご挨拶の第1回目の校正をした。まだ1ヶ月以上も先のことではあるが、何事も先々と思ってすることだ。校正もこれから10回以上することになるだろう。 校正のあと、誕生日に重陽の会の皆さんからプレゼントされた稲盛和夫さんの講話CDを取り出して聴いた。今朝のCDは「リーダーとしてのあり方」だ。

稲盛さんが素晴らしいのは、単に「リーダーはこうあるべきだ」という前に、「人間とはどのようなものか」を説かれるところだ。
人間の原点や本質というものを分からずリーダー論を語っても、それは腹落ちしない薄っぺらいものになってしまう。
「何のために生きるのか」「人間の生まれてきた意味は」という哲学的問いに答えるための「リーダーのあり方」なのだ。

✴︎人間のもつ魂は神や仏と同じもの
私たちはそのことを分かっていないだけで、人間の魂は神や仏なのだと。山川草木、悉皆成仏(山も川も草も木も、ことごとくみな仏なり)。この世に存在するもの全ては仏の化身。ヨガや瞑想をする人たちは瞑想をして限りなく透明感のあるクリーンで静寂で精妙な純粋意識に到達する。それが人間の本質なのだと。
全ての人間は存在としかいいようのないものであり、神はある人にはその人の個性を与え、ある人には違う個性を与える。だから、私の個性は私だけのものではなく、たまたま私という存在に与えられたものである。そうであるからして、その「神から与えられた個性」を私だけのものとして使ってはいけないのだ。それは、人のために使うために私に与えられたものなのだ。

✴︎リーダーとは、死力を尽くして集団を守る人
リーダーとは、集団が存在するから必要なもの。導くとかリードするとかいうのは上から目線であり、そういう表現は好ましくない。リーダーとは集団を助ける者、自己犠牲を払ってでもその集団を助ける者をいう。

リーダーとしての能力を与えられた人は、その能力を決して私物化してはならない。集団に属する人たちを助けるためにその能力を使わなければならない(「応援」の意味「援けに応える」ことと同意味である。私は応援のリーダーなのだ)。

OUEN Japan は旧来の組織ではない。私はOUENは緩やかな擬似組織体と思っている。
OUENに集まってきてくださる人たちは擬似組織の一員であり、彼らのために、彼らを守るために、私の能力をフルに使わなければならないのだ。そのために、神は私に能力を与えてくださった。

✴︎宇宙を貫く二つの大きな力
それは、①進化発展する力と、②調和し共立していく力の二つだ。

①進化発展する力
ビッグバンで宇宙が形成され、現在も宇宙はさらに膨張をし続けているという。一瞬たりとも留まることなく、進歩、進化、発展する方向へ宇宙は流れている。進化発展する方向へ宇宙や世の中や自然界は流れている。

②調和し共生していく力
宇宙は進化発展する力が流れる一方で、調和するようにバランスが取れるように働く力もある。
調和とは愛である。相援け合う力である。
宇宙には、この二つの力が流れている。

✴︎では、現在の世相はどうか。
進化発展する方向だけは加速度がついて、サイエンスの世界や物質的な世界は素晴らしい発展を遂げている。一方、援け合うとか、共生するとか、博愛とかいう思想が欠落している。
目指すは、今の波瀾万丈の世界からの脱却だ。それは、進化発展を遂げ、物質的な世界も繁栄するし、サイエンスの世界も繁栄する。そしてみんなが仲良く生きていこうという相援け合う力、調和の力も強い世界だ。

私たちに足りないのは調和や愛なんだと思う。人を思い遣る優しい心、恕の心だ。「女性リーダーの育成」の想いもそれと同様だ。
すなわち、私たちは、「人間としてどうあるべきか」を考えなければならないのだ。

久しぶりの稲盛講話は新鮮だった。それは私の思いが、少しずつ成長していっているからだと思いたい。同じ景色を見ても、子どもと時と大人になって見た時とは違う。大人の時であってもその人の春夏秋冬によって全く違う景色になることがあるだろう。

同じように、稲盛さんの書籍や講話CDは、私の人生のバイブルとして、これからも事あるごとに成長を援けてくれるものである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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