人間の成長とは、

今日は大晦日だ。令和4年もあと1日を残すだけになった。
今年、私は11月で満70歳になった。古来稀なる古稀の歳だ。70歳と言えば、父が亡くなった歳でもある。29年前のことだ。父は私と同じ11月生まれだったから、父が亡くなった5月になると私は父と同じだけ生きたことになる。実に感慨深い。

私はそんな歳になってこれからが第二の人生だと公言しているのだ。
あと半世紀と言っているが、それは、そんな思いでミッションを果たしたいということであり、長生きすることが目的ではない。そして、あと半世紀生きることは現実的ではないし、もしそんなに生きたら、例えピンピンしていても家族が困ってしまうだろう。 孤高の人とは聞こえがいいが、人さまにご迷惑をかけてまで生きていることは私の本意ではない。適当なところで次の世に旅立つことが人のためになる。

人生70年生きてきて、馬齢を重ねてきたが、少しずつだが私は成長していると自負している。
中学高校時代に好きな女の子がいた。初恋だった。彼女は私のことを大事に育てられた”甘ちゃん”だと言っていた。彼女はご両親が物心ついた時に離婚していて、それで祖母に育てられたらしい。 そんな人からすれば、のほほんと祖父母に大切に育てられた私は”甘ちゃん“だったのだろう。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言われる。今でこそ、稲盛さんが仰る「苦労は、心を磨く磨き砂」と思うまでの気持ちになっているが、そんな若い時は、苦労を売ってくれる人が何処にいるか分からないし、誰もがしたくない苦労は買いたくもない。

私が70年間でどんなところが成長したのか考えた。思いつくまま。

①自分は運がいい人間だと心から思うことができるようになった。実際、幼少の頃もそうであったし、今はそのピークではないかと思っている。

②苦労と言ったら、人並みの苦労は、若気の至りで銀行を中途退職した44歳6ヶ月以降だろう。
七転八倒、紆余曲折の人生ではあったが、これが苦労というものか。世間に揉まれ揉まれて、一皮二皮剥けて、少しずつまともに世の中を見ることができてきた。何事も苦労をすることで人間ができてくる。

③”グッと我慢”が少しはできるようになった。44歳6ヶ月の若気の至りは結果オーライだが、あまりよろしくない。人さまにお勧めできることではない。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
これらをじっとこらえていくのが男の修行である
山本 五十六

真っ直ぐ、お人好しだけの人生では決して成功はしない。「人生終わりよければ全てよし」とはならないのだ。父を見ていてそう思う。親子だからそうなのだが、私は父とよく似たところがあって、真っ直ぐでお人好しだ。 父は終わりがいい人生ではなかった。私もそうなってしまう。それは宿命なのか。
いや、それは運命であって宿命ではない。そうであれば、善きことを思い、善きことをし続ければ、因果応報の原則で運命を変えることができる。 グッと我慢のアンガーマネジメントを実行することだ。人と争わないことだ。そして、全ての人さまと相応しい距離感を持ってお付き合いをすることだ。
一般的に、人の性は善でも、心は弱い”性弱”なものだと思う。そう思うと腹が立つのが抑えられる。性弱な心だから悪いこともする。人を騙すこともする。人を裏切ることもする。その人の性は善なのにだ。 だから、そんな人がいたらそんなものだ、かわいそうだと思えばグッと我慢もできる。その人との距離感を把握することができる。

④何事も前向きに考える。ネバーギブアップ、ネバーネバーネバーギブアップの精神を持って頑張ろうと思うようになった。

⑤稲盛和夫さんは「利他」「無私」を持つように仰るがなかなかできることではない。私のような凡人はこう考えるとスムーズに腹にストンと落ちる。
それは、利己を極めることで利他に近づくということだ。どうすれば自分は幸せな気持ちになるだろうか、それは人さまに喜んでもらうことをして「ありがとう」と言ってもらった時だ。それは利己であり、利他である。利己が利他になるように精進することだ。

⑥そんな生き方をしていると同じ思いを持った人たちが私の周りに集まってきてくださって、私に協力してくださる。「類は友を呼ぶ」諺だ。タモリの「友だちの友だちは皆友だち」ということだ。そして、同じ思いの友だちしか私の周りに来なくなる。
昔は、あとから考えたらとんでもない人だということが間々あったがそれは私の心に邪心があったからなのだ。その邪心に気付かないことは「思いが浅い」と言うことであって、それだけ人間ができていない、哲学を持って生きていないということなのだ。

⑦「男として」の拘りから、「人間として」に変わっていった。
私は男歌が好きだ。男の生きざまが現れている。しかし、これは人間として求められていることではないか。また、逆に女歌の「女として」の生き方も同様だ。全て「人間として」なのだ。 sexとしての男と女は、それは区別であり差別してはいけない。平等であるべきだ。
それぞれの特徴をフルに生かし協働することで幸せな社会ができていく。そのベースに「人間として」という確固とした人間哲学があることが大前提なのだ。

⑧ソクラテスの”汝自身を知れ”が幸せの原点ではないかと思う。それは”無知の知”だ。自分はこんな人間だ、これは得手だがこれは不得手、知らないことは素直に知らないと認めて、それを隠さないことだ。
勿論、知る努力は必要だが、コスパを高めようとしたら、素直な心で自分自身を知って、不得手なところをカヴァーしてくれるそれが得手な信頼できる人をパートナーにすることだ。そしてどんどんパートナーを増やしていく。それでオールラウンダーに対抗することだ。 21世紀は「大きいことはいいこと」ではない。小粒でもピリッと辛い山椒のような人、心清き人たちの集まりで、社会を成長させていくことだろう。

⑨本田宗一郎さんは「哲学のない人は経営をやることができない」と仰っている。人生は自らを生かす経営である。私には『応援哲学』とい私独自の哲学を確立しつつあると思っている。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

戒名を持つということ

28日にOUEN信念会の第二信を発信した。第一信は20日だから1週間の間隔だ。これくらいがちょうどいい(29日現在で出席するとご連絡いただいたのは104名になった。次の第三信は年末年始明けの1月5日の予定だ)。

いただいたメールの中に大学の同期の友人がいた。彼は仕事の関係で当日は先約があり欠席なのだが、彼のメールに「小林さんがダイバーシテイインクルージョンの 企画をするとは、隔世の感がありますね。戒名を持つ身になると、変わるものだなあと率直に感じました」とあった。
そう思うのも尤もだと思う。私は大学時代は、その当時はむくつけき男の世界だった応援部にどっぷり浸かっていて女性のジの字もない世界に身を置いていたからだ。 今でこそ、応援部は約100名の部員の内女子の比率が7割を超えているが、私の時代は男子のみ、それも大学紛争の後で最悪は4人と言う危機の時代もあったのだ。

人生は揉まれて生きることだ。そして、素直で柔らか頭であれば自然と本質志向をするようになる。建前ではなく、「女性の活躍が男性の能力も開発してくれて、男女が協働して元気な社会をつくっていくのだ」と心から思うようになる。松下幸之助さんの仰る通り、『人間は素直が一番』だ。

そして、私の場合は、それに「生まれ変わる」が加わる。
本当に生まれ変わることなどできはしない。死んで花実は咲かない。ただ、生前葬と出陣式を介して生まれ変わる擬似体験をするのだ。 勿論、身体はそのまま。中古品は致し方ない。「汝自身を知れ」をいつも念頭に置いて、身を慎み健康に留意することだ。そうしないと生まれ変わった心に悪く影響する。
心と言えば、こちらは身体とは違い、心掛け次第だが、完璧に生まれ変わることができる。それも第一生の経験と反省が加わる。大いに下駄を履いて第二の生をスタートすることができるのだ。

また、戒名はお坊さんから授けられるのだが、私自身が深く関与することができる。それまでの私の生き様を反映させることができる。そしてこれからは戒名に恥じない生き方をしよう、こんな心掛けを持って生きていこうと思う。元気な内に戒名を授けていただくだけのものではないのだ。 ミソは、生前葬をそれだけで終わらせないで、出陣式を加えることなのだ(そんなことで、私の持つたくさんの肩書きの一つに「生前葬コンサルタント」を加えた)。

生前葬&出陣式を機に、下り坂の人生から登り坂ならぬ「上り坂の人生」を生きる。そして、第二の生はところどころ踊り場があって小休止をしながらも、ずっと上り坂を歩き続け、天がそろそろ次に行こうと言ってくださる時に「嗚呼、いい人生だったな」と思って旅立つ。そんな人生を生きていきたい。

昨日の午前、NHKで三宅民夫アナウンサーによる稲盛和夫さんとの対談の再放送を放映していた。
私には、稲盛さんのお話しは同じことを何度聴いても心に深く入ってくる。あの穏やかなお話しぶりの中に、人生に対する、温かくそれでいて厳しい生き様を垣間見ることができるのだ。 「同じことを何度も何度も言わないと君たちには血肉にならないからな」と言うことだろう。そして、そのことをどれだけ実行に移そうとするか、実行するかなのだ。

稲盛さんは最後に、100年後に生きている人への遺言とも言えるお話しをされた。
「人を思う『利他の心』が人類を救う。皆さんが利他の心を持って生きることが人類が生き延びて発展することになる。それに尽きるのだ」と。 プーチンに聞かせてやりたい。いやプーチンだけではない。日本の全ての政治家先生に耳の穴をかっぽじって聞いてほしいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

年末に思うまま

官庁やほとんどの民間企業は28日が仕事納めだ。年中無休の私にはご縁はないが、皆さんがお休みになる期間は私からお電話することはたとえ携帯電話でも差し控えている。そんなことで私も年末年始ムードになる。

3時過ぎに目覚めて、この1年を振り返る。
今年は古稀になったこともあり、6月に生前葬と出陣式を行なった。人生の一つの仕切りということもあるが、新しい生の誕生と考えると感慨は深いものがあり、第一生を反省し、新たな生を新たな気持ちで生きていこうと思う。それは人生の最大転機でもある。

何と言っても人生を生きるということは、人間関係の善し悪しが大きなウェイトを占める。人間関係がスムーズで、それが善きものであれば楽しく意義ある人生を送ることができる。悪しき人間関係にどっぷり浸かってしまうと、人生は惨めで貧しいものになってしまう。第一生の反省をベースに素晴らしい第二生を送りたいと思う。

戒名を本名として第二生を送るわけだが、この戒名(不動院重陽博愛居士)が私の人間性を高めてくれている。結構、人間ができてきたように思う。これも生前葬を行い戒名をいただいたおかげだ。

争いや諍いはしないでおこうと思う。多くの人たちと仲良く温かい人間関係をつくっていきたい。
人間関係は付き合いの期間に関わらず、ピンとくる人がある。考え方、哲学が共通していることがあるのだろう。そうでない人とはそれなりの距離感を取ることだ。第一生では、自分が思っていた人間性と違うと、それで人間関係がスムーズにいかないことがあったが、それは恕の心、相手のことを考えないで自分のことしか考えないから思うことだと思う。 人はそれぞれなのだから、自分と同じように考える人は一人もいないと思うことだ。そうでないと、トラブルの原因になる。
恕の心を持つと、相手との距離感も相応しいものになると思う。それがやっと古稀になって、生まれ変わって、漸く分かるようになった。

自分が一番大切と思ったら、自分が一番幸せだと思う時はどんな時なのか考えてみることだ。
私の場合は、人に『ありがとう』と言ってもらうことだ。それならばそれを天職にしようと思った。人さまに喜んでもらって「ありがとう」と言ってもらえる仕事をしようと思った。 それは『応援』であり、他を利する『利他』である。
利己を極めると利他になる。利己と利他は正反対のところにあると思いきや、おっとどっこい隣同士に仲良く座っている。
それを分かってそのようにしたいと思い、行動に移せば、自然と人間ができてくる。「できる人間」よりも「できた人間」がレベルが高い。そんな人間になろう。

そんな利他の心を持った人たちがどんどん増えてきたら、この世の中は幸せになるだろう。もっと成長するだろう。それが宇宙の大流であり、真理なのだ。

何で人間はその宇宙の大流に逆らうことをするのだろう。諍いをするのだろう。それは中途半端な利己を追求しているからだ。もっと心を清くして利己を極めることで利他に近づくのに。

心は生まれ変わっても、身体はそうではない。70歳の中古品である。今は五十肩で左肩が痛くて動かすことに四苦八苦している。
あと半世紀生きようと思ってはいるが、現実に120歳になったら大鏡のお爺さんのようなもので、そんな人生幸せだとは思わないだろう。

何のために生きるのか。人のために生きるのだ。長生きするのはそのための手段であり、長生きを目的とすることは意味がない。「長生きして人のために尽くす」ことなのだ。適当なところでこの世とおさらばがいい人生ではないか。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

OUEN信念会のこと

今月は地方出張をせず、来年1月のOUEN信念会の準備作業に特化している。
コロナ前は、毎年12月にはOUEN望年会を開催しており、そのため10〜11月は地方出張と並行して、また12月は直前の準備作業とバタバタだった(コロナ禍では2年間はこのイベントは中止を余儀なくされた)。

何でOUENの会に精を出すのか。それはこのイベントには、OUENの日々の活動報告以上のものがあるからだ。
約150〜160名の方々にお集まりいただくのだが、それはOUEN Japan の活動を応援してくださる企業の方々、高校や大学の友人たち、応援団の仲間たち、OUEN塾の学生リーダー、OBOGたちなどなど、老若男女、種々雑多の職業の方々だ。
皆さん、ザックバランな雰囲気になって和気藹々と話が弾む。善き人間関係ができ、私が間に入ることでそれはよりスムーズに進む。ビジネスもそうでなくても温かい人間関係ができるのだ。

私はあまりビジネスライクだけと言うのを好まない。砂漠のようでオアシスがないと思うからだ。人間として生きている感じが薄いと思う。
ビジネスオンリーと割り切る人は多くいるだろうが、それは「お金の切れ目が縁の切れ目」ということになってしまう。ビジネスライクの人はそれでいいと思うのだろうが、私はそうでない。人生を豊かに生きようと思ったら、私はこの温かい人間関係に強く拘りたい。

そんな思いで、来月の信念会を開催する。
生まれ変わって第2の生の初めての信念会だから、今までとは違うエッジを効かせたい。そのエッジが「ジェンダー平等を実現しよう」だ。 150名のうち半数が女性と言うのは正直厳しい。圧倒的に、経営者や経営幹部は男性だからだ。
しかし、経営者の候補者や人生を前向きに生きようとしている女性は男性以上にいるのではないか。なぜかと言ったら、女性はなんだかんだ言っても男性よりも厳しい人生を送っていると思うからだ。特に意識の高い賢女と言われる女性はそうだろう。 そんな女性たちの応援団長になることが、私にとって、お世話になってきた女性たちへのせめてもの罪滅ぼしだろう。

12月20日に第1回のOUEN信念会のご案内を出し、昨日(28日)には同じ方々に第2信をBCCでメールした。
この1週間に一度というのがミソだ。人によってはサラッとメールを読み流す人もいるからだ。皆さん、お仕事で多忙だから致し方ない。私も逆の立場だったらそんなことは頻繁にある。 私の一番心の支えになっている応援部やOBOG会からのメールでもそうだ。
だから、しつこくないように週一で出す(これでもしつこいか。しつこくても嫌われないキャラもキーポイントではある)。
第3信は、年末年始を挟んで1月5日にしようと思う。締切は1月10日だからちょうどいい。
そんなことで、昨日現在、参加者は100名を超したが、1月10日までには150名に到達するだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ジェンダー平等と損得と徳を考える。

ジェンダーについて考える。

ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、「男らしさ」「女らしさ」など、社会的・文化的につくられる性別のことだ。 男は女より相対的に体力があるため、競技が男女別に行われるのは当然だ。sexで差別することは合理的だ。
しかし、「男はこうあるべきだ」「女のくせに」「男らしい」「女々しい」とか言うのはgenderであり、差別することをしてはならない。

SDGsは17の目標の5つ目に『ジェンダー平等を実現しよう』と謳っている。

自分ごとだが、家では、育児や家事は全てと言っていいくらい妻がしてくれていた。今も家事全般は妻の専売特許だ。その点では、私は『ジェンダー平等』について発言できるような人間ではない(それに反して3人の息子たちは私を反面教師としたようで、ジェンダー平等の家庭をつくっているようだ)。

そんな私だから「ジェンダー平等」を云々する資格はないのだが、家を出れば結構「ジェンダー平等」を意識して仕事をしていると自分でそう思っている。
OUEN信念会においてこのテーマを取り上げたのは、男女を問わず、集まっていただいた皆さんが「ジェンダー平等」を自分ごととして考える切っ掛けにしていただいて、皆んなで元気な社会をつくっていこうじゃないかと思ったことからだ。

たまたま何気なくLINEを視聴していて、30代前後の男性の発言に妙に納得した。
それは、女性の「いつもデイトの時は割り勘なんです。あなたはどうですか」との質問に、その男性は「私の主義は全て自分が払います。お金に困っていてもデイトする時は自分が払うことにしています。払えないのであればデイトはしません」と言っていたことだ。
男性の言わんとするところは「女性はデイトする時は化粧を念入りにするとか、美容院に行くとか、それなりに自分に投資する。それは自分のためでもあるがデイトする相手の男性のためでもあるだろう。男性は相手の女性が美しいほうがいいに決まっている。 そんな投資を男性はしない。だから、お礼の意味で全部自分持ちでデイト代を払うのだ」ということだ。
最近の若者は割り勘なんだとちょっとびっくりしたが、私は、その若者の理屈は哲学の域だと感心した。

この話は、私が言っている「それぞれ得手を出し合って、オールラウンダーになる」ということと同義のように思ったのだ。
男性の得手、女性の得手、それぞれ得手が違うだろう。その得手を持ち合って(それがそれぞれが納得することでなければならないが)、仲良く和気藹々と、共に人生を生きていくことがジェンダー平等ということではないか。そんなことを思って妙に納得したのだ。

それは同性同士でもあるだろうし、男女が逆転することでもいいだろう。要は、お互いが損得なしの平等だと思うことなのだ。
それはそれぞれが得な気分になることだ。その得は徳につながる。そんな得がたくさんあれば、自ずと人は徳な人間になってくる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「幸せ」とは何か。

東京には坂が多い。街はなだらかな高低があってウォーキングにはいいアクセントだ。
昨日は久しぶりにウォーキングを楽しんだ。青山から青山通り〜宮益坂を下って渋谷へ。渋谷から明治通りを原宿に向かい明治神宮に参拝する。新宿のハンズ(旧東急ハンズ)でいつものフレグランスオイル(ラベンダー)を買う。明治通りから伊勢丹の角を右に曲がって新宿通りへ。四ツ谷で笹寺にある義父の墓にお参りして、挿し花に水を差す。外苑東通りを通り、外苑前の事務所に戻る。 約2時間で約10km。私にとって、ウォーキングは歩く書斎になっている。

応援、利他、無私、人のため世のため、幸せなどなど、心に任せて、繰り返し考えを巡らす。

幸せは求めるものではなく、目指すものではなく、生きる姿勢そのものが幸せなのだろう。幸せな心で日々を生きること自体が幸せなんだろう。

幸せな心とは?
物事の考え方が前向きで真っ直ぐで美しいことだ。穏やかな心だ。諍いをしないことだ。皆んなと和気藹々に生きて行こうと思うことだ。 そんな心になると、人のため世のために生きようと思う。そうでないと、自分のことで精一杯だ。

孟子に「恒産なくして恒心なし」と言う格言があるが、恒産を「自分の幸せ」に、恒心を「人の幸せ」に替えても全く違和感はない。自分が幸せでないと人の幸せは考えられない。

考え方をちょっと変えるだけで人は幸せにもなるし不幸せにもなる。幸せになれば人のために尽くそうと思う。

人生をそんな善い循環にしていくことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

応援の本質と女性活躍。

『応援』とは、援けに応えること。『利他』とは、他を利すること。いずれもキリスト教の『愛』の心であり、仏教の『慈しみ』の心であり、儒教の『思いやり(恕)』の心である。 それは、極めるという意味の『応援道』であり、哲学であり、宗教でもある。

応援団のイメージは、ある時期、右翼の端くれ、ならず者という極めて悪いイメージがあったが、そして、それをよしとした時もあったが、そうではない。 応援の本質は極めて崇高な思想に裏打ちされているのだ。

自己を内観し、汝自身を知り、謙虚な心を持ち、お世話になった多くの人たちに深い感謝の心を持つことなのだ。

苦労知らずでは応援の心は分からない。辛酸を舐めてこそ、初めて応援の本質が何かを悟ることができる。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺は真実である。苦労が心を高め、心の襞を多くし、情けを解する人間味のある器量を養成するのだ。

社会を生きていくにおいて、性別で考えると、一般的に、男性は苦労知らずだ。男が生きる道は広く真っ直ぐだ。
それに比して女性の行く道は山道であり、茨の道であることが多い。道は狭いし、曲がりくねっている。石ころだらけの道だ。頑張って登っていってもそこには「ガラスの天井」が立ち塞がっていることが間々ある。

ジェンダー平等とは長い人類の歴史が形作ってきたところがあり、一朝一夕には実現するものではないだろう。
しかし、「千里の道も一歩から」の諺もある。地道な一歩を踏み出すことだ。その一歩は極めて小さいものであるかもしれないが、コツコツコツコツと歩みを進めて行くことだ。怯まないで、挫けないで。 こんな時こそ、応援団の面目躍如のシーンではないか。
応援団長である私の役割はここにある。

女性活躍が社会を豊かにする。社会を元気にする。社会を成長させる。

早朝、そんなことを考えながら、暖かい布団の中でblogを書いている。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

杉田南実さんのこと

昨日、私の事務所に杉田南実さんがいらした。彼女には、1月26日のOUEN信念会のパネルディスカッションのパネリストをお願いした。その打ち合わせである。

杉田さんは本年度の東京大学応援部主将(団長)。今月に幹部交替をして、応援部を卒部して赤門鉄声会(東京大学応援部OB・OG会)に入会した。鉄声会の入りたてほやほやのOGである。

東大応援部の創立は昭和22年(1947年)だ。歴史は75年であるが、初めての女性応援団長だ。

かつては応援団と言えばむくつけき男の世界と相場が決まっていた。私の現役時代(昭和46~49年)は、応援部のパートはリーダーとブラスバンドだけ。勿論リーダーは全て男子、ブラスバンドには4年間に合わせて5名の女子が入部してきたが、皆んな1年もしない内に退部していった。男子は女子を飾り(アクセサリー)としてしか見ていなかったのだ。退部していっても当然な雰囲気だった。
私が卒部してから東京六大学の他校に倣いバトントワラーズ(今のチアリーダー部)ができて、それから女子部員はブラスバンド部も含めて定着していった。それが現在では、約100名の部員の7割以上が女子だ。私の頃とは隔世の感がある。

杉田さんはチアリーダーとして入部し、同期のリーダー男子たちが退部したこともあって、チアリーダーとリーダーの二刀流をこなして、幹部(4年生)では自薦他薦で東大応援部の初代女性主将(団長)になった。堂々たる東京大学主将(団長)だった。それは彼女の経歴からさもありなんと納得した。

彼女は、中学3年生から高校3年生まで4回に亙り宝塚音楽学校を受験している。残念ながら不合格で、東京大学に進学したという、実に貴重な経歴の持ち主だ。
中学・高校ではクラシックバレエやジャスダンス、声楽を学んでいたとか。ある意味では、チアリーダーとリーダーのいずれにも役に立つ。中高時代は応援部に入る基礎練習をしていたとも言える。当に応援部の申し子だ。
来年4月には社会人になるが、就活は大企業から引く手あまたの誘いがあったが、将来はミュージカル関係の起業を考えているということで、ITベンチャービジネスを選択したのだとか。“夢を追いかける天女”の彼女らしい。

これからの21世紀は女性が活躍して社会を変えていく時代だと思う。
賢い女性は、男性とともに、それぞれの得手を持ちよりフルに活かしあうことで社会を変えていく。その先頭に立って肩肘を張ることなく自然体で頑張ってほしいと思う。彼女にとって、これからが自他を応援する本番の時代なのだ。

「応援」とは、黒子だ、黒子に徹することだ。あくまでも主役はプレイヤー。応援は脇役だ。それを忘れてはいけない。粋がってはいけないのだ。応援とは静かに潜伏するものだ。
応援とは「援けに応える」ことだ。それは利他であり、仏教の慈悲であり、キリスト教の愛である。相手の心に想いを致す「善き心」である。思いやりのある優しい心である。
その優しい心は女性の専売特許でもある。腹を痛めた我が子を慈しみ愛する優しい心である。そしてその心の芯には誰にも負けない強さが潜んでいるのだ。

レイモンド・チャンドラーは「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」と言っているが、これは男女に関わらず言えることだ。どちらかと言えば女性が、賢い女性がその最短距離にあるのではないか。

彼女には、私ができることは応援して差し上げようと思う。
これからが杉田さんの本当の「応援人生」である。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

明治神宮球場での杉田南実さんの勇姿

有限の命を燃やす。

22日、次男が日帰り出張で会社のイベントに出席するために大阪から上京した。イベントは四谷にあったので、久しぶりに親子水入らずで四谷三丁目のホテルWINGのレストランでランチを共にした。そして、皆んなで四谷笹寺に眠っている義父の墓参りをした。

おかげさまで子どもたちは実に仲が良く、頻繁にZOOMをしたり、グループLINEをしたりしている(LINEには、私たち夫婦も加わっているが)。

武者小路実篤の色紙の「仲良きことは美しきかな」ではないが、家族が仲が良いことは美しく幸せなことだ。「兄弟は他人の始まり」という諺があるが、兄弟が結婚して家庭を持つようになると情が薄くなり他人のような関係になってしまうケースが多くなることも世間の事実ではある。その点、子どもたちは全くそんな心配がないように思う。連れ合いもみな性格は善人のせいなのだろう。それもこれも心優しい妻の育て方にあったのだと、心から妻に感謝したい。

私は生まれ変わってあと50年、生涯現役を皆んなに宣言している。人間は意志薄弱な動物であるから「有言実行」で生きることが大切なのだ。
日本人は奥ゆかしいから、かつて三船敏郎のサッポロビールのコマーシャル「男は黙ってサッポロビール」のような「無言実行」が男らしく、それが謙虚であるかのように思われていたが、これからはそうではないだろう。 これから生きる人間には、自ら言葉を発して、それを何事があっても実行する逞しさが求められている。

しかし、私が120歳まで生きると妻は117歳、長男は92歳、次男は90歳、三男は88歳になってしまう。孫たちも60歳前後、還暦の歳になる。そんな化け物のような家族になるのだ。それでも皆んな元気であればいいが、妻子や孫までもが先に旅立つということにもなってしまう。これは決して現実的ではないし、決して美しい姿ではない。 健康な長寿は目指すところではあるが、それにも限度があるということだ。

高校時代に古文で学んだ平安時代後期の歴史物語「大鏡」は、何百年も生きている二人の老人の会話から成り立っている。
高校生の私は、「もしこれが現実になったら、それは生き地獄ではないか」と背筋が寒くなったことを忘れられない。
それはそうだろう。子どもも孫もひ孫も玄孫も皆んな死んでいないのに本人たちは死ぬことができないのだ。
不死は人間にとって最大の拷問なのだと思った。
健康で長生きして、生涯現役で人さまのお役に立つこと。それは目指すところではあるが、適当なところで神仏や天が「そろそろ次の世に旅立つ用意をしなさい」と言って、次の世に送り出してくれることが幸せな人生ではないか。 命は有限であり、有限だからこそ、その命を熱く燃やすことができるのだ。不死では、いつでもできると思って何もできない。チャレンジすることもしないだろう。

不死を願って生きることで、有限の命を燃やすことができるのだ。そんなことを子どもたちと話した。

私は財産と言ったら何も持っていない。子どもたちに残すことは、私の生きざまの後ろ姿であり、「善き生き方」である。
おかげさまで子どもたちもそのことは良く分かってくれているようだ。

盾と矛とを両立させることは人間性が深く豊かになることだ。矛盾であって矛盾ではない生き方をすることが豊かな人間性を育む。

長生きすることは何かを成す手段であって目的ではない。
生きる目的は、人のために尽くす生き方をすることで、魂を高めることにあるのだ。

生まれてきた時の魂よりも少しでも高い魂を持って次の世に旅立つことなのだ。そんな生き方をしたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ビジネスとボランティアの融合

三品芳機さんにはいろいろな人をご紹介いただく。昨夕は、伊東祐輔さん(趣味なび社長)と事務所にいらした。私の人脈で何か同社をお手伝いできるのではないかということだ。

早速、伊東さんから「趣味なび事業計画」なるものをプレゼンいただいた。

趣味なびのキーワードは「夢中」だ。

好きなことに没頭し、好きなことで人と繋がる。楽しかったと今日を振り返り、明日がもっと楽しみになる。
「夢中」は、そのヒトのそのトキをかけがえのないものに変え、生きがいある人生を実現するエネルギーだ。
ワクワクする”まなび”と体験を生む”レッスン”で、「夢中」があふれる世界を創る。

世界的ベストセラーに『IKIGAI生き甲斐』(エクトル・ガルシア、フランセス・ミラージェス)がある(らしい)。

【IKIGAIのキーワード】
①好き(What You Love)
②情熱(PASSION)
③得意(What You are GOOD AT)
④職業(PROFESSON)
⑤稼げる(What You can be PAID FOR)
⑥天職(VOCATION)
⑦求められる(What the world NEEDS)
⑧使命(MISSION)

私は仕事が趣味であり、「夢中」に仕事をしている。
ほとんど、ここで言っている”まなび”や”レッスン”とはご縁がないが、私は仕事で”まなび”や”レッスン”をしているのだ。

このコンセプトは私の志向しているものと全く違和感はない。

『幸せ』とは「幸せになる」ものではなく、「幸せに生きる」ものだ。「幸せは追い求める」ものだ。

人には欲望がある。人がビジネスをすることはその人の欲望の追求だ。欲望を持っている人を相手にして、その人の欲望を満たすことでビジネスは成立する。 利=得を追求することがビジネスだ。非常に分かりやすい。

では、「幸せ」とは何か?
「幸せ」を追い求めることはビジネスになるだろうか。ちょっと遠回りのようなところがある。
しかし、「急がば回れ」の諺もある。利は得であり、その得を「人の得意」で徳にアウフヘーベンするのだ。

私は「利己を極めて利他に至る」ことは真実である、宇宙の真理であると確信している。
利己と利他は隣り合わせに存在する。一般的に、利己は中途半端な利己だから、利他とは真逆な立ち位置になってしまうということだ。

趣味なびのコンセプトは、私のそれとほぼ同じだ。話を聴けば聴くほど、そのことを確信して、ちょっと驚いた。

ビジネスモデルとは、顧客ニーズに応えることで、顧客も企業も双方が満足できるように考える「ビジネスの構造」だ。それをどれだけマネタイズできるかだ。

私はそんなことを考えてOUEN Japan を立ち上げたのではない。NPOだからビジネスを考えず想いだけで立ち上げた。
しかし、お金がないと思うようにボランティアはできない。お金あっての物種だ。そんな当たり前のことを考えず、よくも9年もボランティアを続けてきたものだと思う。

人のためになることをすることでビジネスは成り立つ。ビジネスにボランティア的なところがないと長続きしない。マネタイズがしっかりしていないとボランティアは続かないのだ。

趣味なびをどのようにお手伝いができるか。志が同じなら応援しないことは私の存念に反することだ。いろいろ考えてみよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)