ゼオライト(株)の経営陣の皆さんから温かいおもてなし をいただく。

日本人大学生および来日留学生の応援団として平成26年にNPO OUEN Japanを立ち上げた。それまでは、私にとって福岡は、銀行時代に2〜3回くらい出張したくらいのご縁でしかなかった(私は安田信託銀行時代、7年3カ月の長きに亙り人事部門だったが、そのおりに人事部臨店と称して本部から福岡支店を訪れ人事面談をした)。銀行では全員、年に一度、自己申告書を人事部に提出する。自己申告書には、次に転勤したい部署をチェックする欄があるが、国内外を含め最も人気がある地方は福岡と札幌の2都市が争っていた。福岡はそんな超人気がある都市だ。
私は札幌支店は課長時代に2年の勤務経験があった。次の地方支店は福岡へ支店長で転勤したいと思っていたが、その願いを叶えることなく、44歳6カ月で銀行を辞めてしまった。
そんなことで、私の思いの中で、福岡はずっと未練ある都市だった。その福岡がOUEN Japanを立ち上げたことで、私の第2のふるさと(第1のふるさとは私が生まれた石川能登)になったのだ。

元九州大学総長の梶山千里さんにOUEN Japanの理事にご就任いただき、梶山先生から「先ずは、福岡でOUEN塾を始めたらいい。応援する」と言われ、九州電力やJR九州、西鉄をはじめとする福岡の大企業をご紹介いただいた。その他、伝手を頼って中堅企業や福岡らしい個性ある元気な企業を訪問し続け、月に1週間の頻度で福岡に通い続けた。
やっと3年後に皆さんのご協力を得て【OUEN塾in福岡】を開催することができた。2回目からは北九州市の企業も加わって【OUEN塾in福岡・北九州】を開催した。毎年2月、年1回の開催を3回続けたが、現在はコロナになって中断を余儀なくされている。
そんな思い出のある福岡だ。それだけでも私にとって福岡は第2のふるさとなのだが、ゼオライトの皆さんに巡り会ったことで、その想いはさらに強固なものになった。

昨日、夫婦で福岡に出向き、ゼオライト(株)河村会長をお訪ねして、故河村恭輔名誉会長の三回忌のお参りをした。

ゼオライト(株)は、故河村恭輔さんが1969年(昭和44年)11月に個人事業として福岡で創業された会社だ。それから同社は、半世紀あまりの満53年、福岡では押しも押されもせぬ超優良中堅企業に成長している。

水処理エキスパートのゼオライト株式会社
zeolite.co.jp

私と同社との出会いは、ザイマックス藤原常務のご紹介だ。
令和3年4月7日、福岡市博多区那珂の本社を訪問し、嶋村社長にお会いしたのが最初だ。6月には東京支店長の杉常務にお会いして、それから同社のお手伝いがスタートした。
それから1年半。決して長くはないが、そのご縁は生涯に互りお付き合いする深く清いものになった。

昨日は、河村会長・嶋村社長・松井専務・岸田専務・杉常務から温かい最高のおもてなしをいただいた。ありがたく深く感謝するものである。

私は顧問として、私の人脈をフルに生かして同社ビジネスのお手伝いをしてきた。
それには、同社社員の皆さんの温かいお人柄に惹かれてご協力をすることは吝かではない、全力投球をしようという想いだ。
しかし、それだけではいけない。何かが不足している。それは戦略や戦術というものではない。勿論、戦略や戦術は必須ではあるが、そこに理念や志という言葉で表される経営哲学・人間哲学がベースになければならない。
そしてそれは人ごとではない、自分ごととして、同社に関わらなければならないのだ。外から見るのではなく内側から見て考えることだ。

経営には哲学が必須だ。その経営はビジネスであり、人間如何に生きるべきかである。
同社は半世紀あまりを経てその経営は揺るぎないものになった。そして、これから半世紀と言わず一世紀に亙るまで永続していくことが求められている。
その未来を見つめる大局観が私に求められている。同社経営に自分ごととして関わること、私の得手をフルに生かすことで同社の成長発展に尽くすことが求められているのだ。

今、その想いを故河村恭輔名誉会長、河村勝美会長に心から誓うものである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)


ご自宅の伏見稲荷を背に、河村会長と写す。


ゼオライト(株)の経営陣と写す。後列左から、岸田専務・松井専務・嶋村社長・杉常務。