ゼオライト(株)会長、河村勝美さんとの出会い

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人は人との出会いの連続だ。人は、人と出会うために生まれてきたと言っても過言ではない。

人がこの世で最初に出会うのは何と言っても母を筆頭とする家族だ。家族に育てられて人は成長する。学校では先生や友人たちに出会う。授業やクラブ活動等、恩を受けたり、切磋琢磨したりして人は成長していく。社会に出て、上司や同僚、後輩やお客様との出会いがある。そして一生連れ添う伴侶との出会い、子どもたちや孫たちとの出会いがある。数限りない出会いがあって人は成長していく。

私は人と人との出会いをつくることを一生の生業とするようになった。人との出会いによって私は成長し、その出会いを生業として、人の成長をサポートする。 私は素晴らしい仕事を一生の仕事としたものだと心からそう思っている。

出会いには、通りすがりで終わる出会いもあれば、生涯に互り続いていく素晴らしい出会いもある。圧倒的に前者が多いのだが、幸せな人生を生きていく人は後者の比率が多い人なのだろう。

人の幸せは出会いにあるのだということを柳生家の家訓は言っている。

小才は縁に出会って縁に気付かず
中才は縁に気付いて縁を生かさず
大才は袖触り合う縁をも生かす

大才こそが幸せな人生を生きることができる人だ。

ゼオライト(株)の河村会長との出会いはまだ短い。ゼオライトさんとの出会いは昨年4月だからまだ2年も経っていない。河村会長と最初にお会いしたのは1年前くらいだろうか。
そんな短いお付き合いで、肝胆相照らすお付き合いになったことは、人との出会いの深さはその付き合った期間ではないことを証明している。そして、その出会いは不可思議のようで不可思議ではない。必然なのだ。

もっと以前にお会いしていれば、もっと幸せな人生であったと人は思う。そして人は、神さまに「なぜもう少し早くその人と出会いの機会をつくってくれなかったのですか」と恨み言をいう。私も素晴らしい出会いがあるといつもそう思う。しかし、森信三翁の箴言を知って、そうではないと思うようになった。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に。

私は思う。
もっと以前にお会いしていれば、もっと幸せな人生であったと思うような出会いがたくさんある人は幸せな人生を送っている人なのだ。それは、そんな素晴らしい出会いにたくさん出会っているからだ。 天は「全てよかれかし」とお思いになって、そのように取り図ってくださっているのだ。宇宙の大流はそのように流れているのだ。
その宇宙の大流に逆らわず乗って生きることが幸せな人生を送ることになる。

天は最善最高のその一瞬にその人との出会いをつくってくださっている。その深い意味を人は分かっていないだけのことだ。
全ては天のお計らいであり、その意味は広く深い。その出会いにありがたく感謝して、それからの人生を真っ直ぐに生きることが、一層幸せな人生を送ることにつながるのだ。

河村会長との出会いに深く感謝して、真っ直ぐ素直に人生を生きていこう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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