打てば響く。

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私は人と人をつなぐことを生業にしている。日々、老若男女さまざまな人にお会いする。長年お付き合いしている人もある出来事があって、今まで気がつかなかったその人の一面に気づき、その人に対する見方が変わることも稀ではない。旧知の間柄であってもそうなのだから、最近知り合いになった人はそんなことは日常茶飯事だ。

この人はこんな人だと決めつけることはしないことだ。

それは「自分の器量や成長の度合いによって、人に対する見方・感じ方が変わる」ということだからだ。

そんなことを考えていた。

目覚めて、「西郷南州と坂本龍馬との出会い」について、ネットで繰ってみた。

2020年1月29日に、黒木美喜さんが「打てば響く」と題して、下記のような雑感コラムを書いていらした。まさにその通りと首肯した。

「打てば響く」人間になることだ。そんな人間になりたいと思う。大きく打たれれば大きく響く。小さく打たれれば小さく響く。相手によって響き方が変わる。何でも同じような響き方をすることは人間が浅薄で深みがない。人間鑑定ができる人間に成長していない。

その人物を見ようと思ったら、小さく打ってみたり大きく打ってみることだ。そうすれば、その人がどれだけの器量の人物であるかが分かる。そして、その人とどのように付き合っていったらいいのかが分かる。

流石、西郷南州も坂本龍馬も明治維新の立役者だけあって、超一流の大物だ。その人物鑑定眼は、ずば抜けている。

不動院重陽博愛居士

(俗名 小林 博重)

雑感コラム(黒木美喜さん)

打てば響く、という言葉がある。何かを打つとすぐに響いて音が返ってくる様子から転じて、何か言ったことや働きかけたことに対して、すぐに反応することである。そして、反応が素早いだけでなく、その反応が優れているということを意味する。

同様の表現で、「打てば響く、叩けば鳴る、当たれば砕く」と言うことがある。これも同じで反応の素早い様子、すぐに効果が現れることを意味する。太鼓や鐘を叩けばすぐに美しい音が返ってくることから、そのことに由来する。

どうも近頃、打てば響くという、その言葉に沿うような出来事に出会った試しが無いような気がしている。確かに物事の動きが速くなって、いろいろな物事が進化したり、処理が速くなったりすることは多くなっている気がするのだが、何か響かないのである。

打てば聞こえるのだが響くまではないのである。打てばすぐ分かる、とでもいうのだろうか、そのまま入って流れていってしまうのである。

例えば、ファストフード店で注文すると「いらっしゃいませご注文をどうぞ」から始まって「コーヒーはS,M,Lの3サイズございますが、どれにいたしますか」「こちらでお召し上がりですか?お持ち帰りですか」「以上でよろしいですか」などと、マニュアル通り畳みかけるように言ってくる。

無駄のない言い方が続いて伝わるし、対応は早いのだが、何か響かない。打てば響くような会話にはならないのである。どちらかと言えば一方通行の会話である。そういうようなことが多くなってきているような気がする。

「小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」という言葉がある。これは、あの坂本龍馬が西郷隆盛を評して言った言葉である。

幕末の元治元年(1864年)8月、幕府の幕臣として軍艦奉行を担っていた勝海舟は坂本龍馬に西郷隆盛と会うことを薦めた。そして、江戸に出向いた龍馬は西郷と運命的な出会いをする。

しばらくして西郷と会見した龍馬は、勝の所に戻る。しかし、なかなかその時の感想を述べようとはしなかった。数日して勝が、西郷に会った印象を尋ねると、

「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」と、龍馬は自分を撞木に例えながら答えた。

それを聞いた勝は、「知言なり」と感心した。「評価する者が第一級の人物なら、評価される者も第一級の人物だ」と、勝は日記に書き残したのである。

一方の西郷も竜馬のことを次のように評している。「天下に有志は多く、自分はたいていこれと交わっているが、度量の闊大(かつだい)なること、竜馬ほどの者はいまだ見たことがない。竜馬の度量は計り知れない」

人はいろいろな人に出会い、いろいろなことを経験していく。相手がどのような人であるかで、得るものも違うだろうし、学ぶべきことも違ってくるはずである。

そういう時の相手とはどのような人なのだろう。

相手がどのような人なのか、知りたくなることがある。信頼できるような人なのだろうか。何かを相談できるような人なのか、そういうことを知りたいのである。

そういう時には、何かを聞いてみるといい。何かを頼んでみるといい。その時の相手の反応で、その人のことがわかってくることがある

例えば、大きな質問を問い掛けてみる。難しそうな厄介な質問をしてみる。そして、大きな仕事や手伝いを頼んでみる。難しそうで厄介なことを頼んでみるのである。そのときの相手の反応で、その人のことがわかってくることがある。

その質問に答えるとか、答えられないとかいうような事でもない。質問をいかに理解して聞いてくれるか、理解してくれようとしているのか、そのことである。

頼まれたことが、出来るか出来ないかでなくてもいいのである。頼まれた内容のことが分かって、何とかしようという気持ちがあるのかないのか、そういうことである。

その時の反応で、その人のことが分かってくる。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。

小さく叩くだけでは、相手は他の人と同じような答えになってしまうかもしれない。しかし、大きく叩けば、それなりの人は何かの答えを持って返してくれるはずである。

逆の立場になって考えてみる。相手から、大きく叩かれて問われたらどうするのか、その時は大きく響けばよい。分かるとか分からないとか、どうしてあげるとかではなくて、相手の言うことに反応する、考えてみる、一緒に響くのである。

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