七大学応援団(部)語り尽くし

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11月3日の3年振りの「六旗会(東京六大応援団連盟OBOG会)」で応援歌「ただひとつ」のテクリードを目一杯で務めたせいなのか、加えて、五十肩が再発したせいなのか、身体の節々が痛く、1週間経ってもなかなか回復しない。

8日は「重陽の会」メンバーの9名の女性たちに私の満70歳の誕生日(正真正銘の古稀)を祝っていただいたが、節々の痛みは治らない。 そんなこともあって、昨日の合氣道の講習はお休みをいただいた。

やはり、気持ちだけでは身体は若さを保てない。健康が今一だと心も病気になる。
身心一如とはよく言ったものだ。特に高齢になるとまずは身体の健康から支障を来たす。そして徐々に精神の健康を蝕んでいく。
あと半世紀の現役を目指すのであれば、まずは身体の健康に留意することだと痛感した1週間だった。

今朝は3時半に目覚めた。いつものことだ。まだ体調は万全ではないが、少しずつ回復してきている実感を持った。
それだからだろう。気分も明るくなってきた。心身統一合氣道は身心一如を説くが、その通りだと実感する。

11月は今のところ出張の予定は入っていない。やはり、出張するとなると、飛行機か新幹線だ。速い乗り物は疲れるらしい。出張はどうしても疲れる。 と言っても私の仕事は人と人をつなぐ仕事だ。Webがメインではその目的を果たすことができない。あくまでも、リアルがメインで、それを補うWebの位置付けだ。
地方出張は不可欠だが、身体の健康あってのことだ。特に、第二の生はそのバランスが何より肝心要だと思う。そんなことで、来週は出張はない。じっくりと東京で仕事をして体力の回復に努めようと思う。

今日(12日)は土曜日でもあり、スケジュールでは「七大学応援団(部)語り尽くし」の投稿文を認める日にしていた。私はこのOUEN blogに書くことにしようと思う。

七大学とは旧帝国大学(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)のことだ(戦前は台湾大学と京城大学の2つを併せて9大学が帝国大学だった)。東大は東京六大学(早慶明法立東)にも属しているが、国立七大学の一員でもある。

七大学は日本各地の代表する大学であり、応援の形もそれぞれだ。特に、北海道と九州の、本州ではない2大学は個性が際立っている。コンプライアンスが求められる時代にはちょっと錯誤があるかと思うところもあるが、私はそういう外れたところが実に魅力があって、私の性に合っている。

私はよく人に、「国立七大学は家族、東京六大学は会社」ではないかと話す。
国立七大学はザックバラン、本音を話す家族のようなところがある。東京六大学はどちらかといえば、上下(かみしも)とはいわないがスーツとネクタイをして出社するイメージだ。
稲盛和夫さんは「大家族主義で経営する」と仰るが、会社を大家族にする、心の経営ということだろう。その意味では七大学の心を持って六大学と付き合うことがベストなんだろうと思う。少なくとも私はそうだ。

1.何で応援部に入ったのか。
私は東大に入学して1年の時はB&W部に入った。ボディビル&ウェイトリフティング部だ。どちらかと言えばウェイトリフティングに注力していた。
しかし、東大生でこの部に入ってくる人間は結構ストイックでナルシストが多かった。クラブ活動を終わって、お酒を飲みながらの懇親は身体の線が崩れると言って憚らない先輩は一人ならずいた。 能登の田舎から出てきた私は人恋しくてその交流を求めていたのだが、それが叶わない。そんなことで、どこかスポーツのど素人でも通用する部がないかと思っていた。 そんな時に、「東大応援部、危機!、男なら東大応援部へ」と朝日新聞地方版に東大応援部の記事が載ったのだ。
大学紛争で右翼の片割れのように思われていた応援部を、一部の部員が集団退部したことで東大応援部は廃部の危機に陥ったのだ。
朝日新聞の応援部の先輩が同僚の社会部記者に書いてもらった記事だったようだ。そんな切掛があって私は応援部に入部した。

2.どうして応援部を続けようと思ったか。
それは応援部の情の深さに他ならない。ちょっと理不尽なことがあっても、必ずそのフォローがある。そんな温かい人間関係があったからだろう。 そして、加えて、『応援』=「援けに応える」、人のために尽くすという「応援の精神」が、私が人間として生きるに当たって魅力的だったことがある。

それから20年経って稲盛和夫さんに巡り会って、その応援精神の素晴らしさ「人のために尽くす応援精神は『利他の心』に通じる」ことに想いを致したのだ。

3.応援団(部)に入って良かったことは?
それは同じ想いを持った応援団(部)の仲間たちと生涯に亙る交流を持つことができたことだ。

「人生如何に生きるか」
「人は何のために生まれてきたのか」

という稲盛哲学の本筋は応援精神にある。幸せな人生を送るについて、その本質は応援精神にあると言うことだ。

4.七大戦の思い出は?
私の七大学との付き合いは、2年生の時のアイスホッケーの京都での京大戦だ。京大同期の松井君と親交を深めたのはこの時だ。
七大戦は3年の東北大だ。次が東大だったので、東北大遠征の前に福島で合宿をして、仙台に乗り込んだのだ。
東北大の木島君から「東北大での七大戦は是非、全員で仙台に来てほしい」との強い要請があったこともある。

仙台での無茶苦茶な応援団員との1週間だった。木島君のご両親が秋保温泉に宿泊していらしたところに泥酔して飛び入りでお邪魔したことも思い出だ。

私が東大応援部主将の4年の時は、東大で七大戦が開催された。上野から本郷までの春日通りでの応援団パレードは記憶が鮮明だが、何を応援したのか全く覚えていない。七大学応援団の仲間との交流だけが私の思い出になっている。

そんなことで、「応援」は私にとって人生であり、私の生きる哲学になった。
私の座右の銘は西郷南州翁の『敬天愛人』である。稲盛和夫さんも同じ鹿児島県人でもあり、この「敬天愛人」を生きるベースにされていた。 私も同様であるが、私はそれに加え『応援人生』をもう一つの座右の銘にしている。

利他の心は応援精神である。そのことを肝に銘じて、あとの残りの人生である半世紀を生き抜きたいと思っている。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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