久しぶりのウォーキングを楽しむ。

六旗会での応援歌のリードを精魂込めたせいで、3日経っても体調が元に戻らない。昨夕もまだ身体の節々が痛いので、これはコロナのせいではないかと不安になった。少し熱があるようだと思い、早めに事務所から帰宅して体温計で体温を測った。 何ということはない。36.5度の平熱だ。単なる歳のせいだった。身体の調子がイマイチだと気持ちも落ち込み、それが再び身体に逆流する。 心身統一合氣道の「心身一如」は当たっている。
身体と心は通じている。身体の健康を保ってこそ心も健康になる。特に第二の生ではどうしても体力に不安があるのだから、一層の身体の健康に留意する必要がある。

真夜中に目覚めて、床の中でblogを書いていたこともあって、二度寝して、今朝は7時過ぎまで寝ていた。
まだ身体の節々は痛いが体温は正常だ。朝食を済ませ、10時半過ぎから久しぶりのウォーキングに出かけた。

身体の節々が痛い原因がコロナでないと分かったら、ちょっとご無沙汰していたウォーキングで秋の空気を満喫したくなったのだろう。現金なものだ。 今朝は、11月らしい「天高く馬肥ゆる秋」、爽やかな秋晴れで、心は少しずつ晴れていく。

私の第二の生も「天高く爽やかな秋の陣」であってほしい。それも半世紀の長きに亙る実りの秋であってほしいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

絵画館から銀杏並木を見る。

絵画館

安鎮坂

千鳥ヶ淵緑道から皇居お堀を望む。

靖國神社本殿

黄さんからの誕生日プレゼント

イノベーションソフト社長の黄英蘭さんが私の誕生日祝いに、12月号から1年分の月刊誌『致知』をプレゼントしてくださった。12月号が稲盛和夫さんの追悼特集号だったからだ。 私が稲盛和夫さんを私淑していることを思ってのプレゼントだ。ありがたいことだ。

誌上の稲盛さんの特別講話は「人は何のために生きるのか」だ。
人は何かをなすために生まれてきた。このことが私たちが生きる意味なのだ。

人は一度切りのそれぞれの人生を生きていくが、このテーマを一生をかけて極めていく。

では、私は何をなそうとしてこれからの第二の生を生きていくのか。
一度立ち止まって考えることだ。そして、絶えずその原点に立ち戻り、至らないところを反省し、続く生に生かしていくことだ。

人は幸せになるために生きている。そのために、人は人のために生きる。人のために生きることが自らの幸せにつながるのだ。

「自利利他」とは、「自分の利を求めようとするならば、まず他人を利することをせよ」という天台の教えだ。
諺にも「情けは人のためならず」とある。

⑴未来を担う[学生たちや留学生たち]のために、
⑵学生たちを応援してくださる[企業の皆さんたち]のために、
⑶学生たちと企業の皆さんとともに、私たちが住み、働き、学ぶ「地域の創生]のために、

この⑴⑵⑶が私にとって「人のため」に生きるということだ。私はそのために生きている。それが私の幸せなのだ。

1年365日、娯楽という娯楽はしたことがない。そんなことで一生を終えて何が幸せな人生なのかと人は思うだろう。私もそう思う時がある。しかし、思い直す。 「蓼食う虫も好き好き」と。
幸せの観念は人それぞれだ。私はそれが幸せなのだ。

しかし、チラッと思う。私と43年連れ添ってきた妻はどう思っているだろうかと。ちょっと妻には申し訳ないという思いがある。
こんなわがままな私に、よく連れ添ってきてくれたと、心から感謝している。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)