石川県出張を終えて、北陸新幹線で帰路に着く。

M&K木下社長との面会を終えて、わざわざ、社長自らが金沢駅まで送ってくださった。初めて奥様(取締役)にもお目にかかった(お嬢さんとご長男には東京でお目にかかっている)。 ザックバランな話ばかりだったが、先々大いにビジネスにつながる話ばかりだった。

木下社長は、石川県に留まらず、全国に留まらず、海外にも積極的に展開しているチャレンジ精神旺盛な事業家だ。
金沢に限らず地方の経済界は実に保守的だ。ベンチャービジネスには冷たいところがある。
よく考えてみよ。その保守的な企業も元々はベンチャーだったのではないのか。
そんなことに思いを致さず、今の自己保身に費やす肝の小さい経営者が如何に多いことか。

私は事業家の才覚は全く待ち合わせていない。素直な心になれば、そのことは自分が一番よく分かる。
しかし、プライドとかくだらない自尊心とか、肝っ玉が小さい経営者は意味のない保守に拘る。素直な心になることができないのだ。

同じことは多くの東大卒の御仁にも言える。
偶々、18歳か19歳か、成人になる前に成績が良かっただけで、東大に合格しただけだ。
ピンキリがあるが、東大生は優秀である。それは「人間的」にではない。ビジネスの才覚があるからでもない。その時の偏差値が高かっただけだ。それなのに「我こそはリーダーだ」と思っている人が多い。どうしようもない人もいるにも関わらずだ。だから、素直に自分の器量が分からない。素直な人間になることができない人が意外と多いのだ。

私など、才覚もないし、能力もないと自覚している。だから才覚ある人、能力ある人を素直に認める。
しかし、誰にも負けないと自負している事はある。
人の懐にスッと入っていく私なりの個性だ。誰にも真似ができないだろう個性があるからだと思う。そして、人に騙されても人を騙すことは決してしない「素直なな心」を持っていることだ。
だから、逆に、東大卒の肩書きが大いに生きることになる(ある東大応援部の先輩は、「小林ほど東大らしくないくせに東大の肩書きをストレートに利用している人間はいない」と。きっと褒め言葉だと思うが、そのように言ってくださる。

人間は素直が一番いい。偶々東大に入っただけで、人生を棒に振ることはないだろうにと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆ く

ドーミーイン金沢で10時半まで、それから金沢駅でスタバ。いつもの「かにめし」とお茶を買う。新幹線の車中で昼食と夕食を兼ねる。

百番街「あんと」で、来週8日の重陽の会のメンバーの皆さんへのお土産の”金澤銘菓”を買う。まだ買ったことのないお菓子を買った。金沢は加賀百万石の城下町であり、前田のお殿様に献上するお菓子や日本酒は頗る多い。 妻にそのお菓子を知らせたところ、ネットで調べてくれた。銀座松屋にも入っているとか。

14時半にM&Kのアポ。最寄駅はJR金沢から北陸本線福井方面行きの普通電車で2駅の野々市だ。

金沢発14時〜野々市着14時07分。12時半、5番線のホームでこのblogを書いている。あと1時間半ある。

高校時代に、月に1〜2度だが、土日に実家に帰るために、金沢と能登部(私の実家があったJR七尾線の最寄駅)を往復していたことを思い出す。

金沢駅は様変わりしたが、その雰囲気をここかしこに感じることができる。
OUEN塾で金沢駅を頻繁に利用しているが、こんなたっぷりと金沢駅で時間を潰すことはない。
金沢駅での時間潰しの時間は、半世紀前にタイムスリップする得も言われぬまたとない時間だ。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
(石川啄木)

金沢は日本有数の観光地だ。金沢駅ではいろいろな言葉が飛び交っている。しかし、沢山の人の金沢訛や能登訛を聴くことができるのは世界広しと言っても、この金沢駅だけだ。

金沢訛は能登訛とはちょっと違う。北陸の方言でも、富山県とはちょっと違うし、金沢と能登も違う。
その違いは東京人には分からないだろうが、私は東京人でないから、そのちょっとの違いでもよく分かる。

私に言わせれば、金沢弁は上品だ。能登弁は田舎くさい、素朴という感じだ。

能登はやさしや土までも

私が能登出身だから、鄙びた能登だと、そう思うのかもしれない。決して卑下しているわけではない。前田のお殿様の金沢を誇りに思っており、金沢を敬っているからだ。

差別と区別。
なかなか今のLGBTQの時代ではそのニュアンスは卑下になってしまう。愛憐れむ心優しい『恕の心』があるのだが、そのニュアンスを解さない人が多い。 そんなことを考える。

中学生まで能登で育った。高校は金沢で下宿した。そして、金沢での生活と人脈が、私の生きるベースのスタートになっている。
そして、能登も金沢も私の大切な”ふるさと”だ。

ふるさとはとおきにありておもふもの

私が東京を根っこにして、ビジネス&ボランティアをしているから、そんな気持ちになるのだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

夢枕に立った稲盛さん

朝風呂から上がり時計を見たらまだ4時半だ。
身体が温まって、もう一眠りができると思ってベッドに横たわった。そして、6時過ぎに目覚めた。

ありがたいことに、この1時間余りの眠りの中で、稲盛和夫さんが夢枕に立たれたのだ。
稲盛さんは僧形の姿で出てこられた。親しい人たちが彼を取り囲みいろいろなお話しをなさっている。そんなに広い部屋ではなかったので、集まっていた人たちは20人くらいだったろうか。私もその会話の中に入らせていただいた。 一頻りお話しをしたあとで、お迎えの方がいらして、稲盛さんはお帰りになった。

私はその時、稲盛さんの著書『生き方。』を鞄に入れていたのだが、それがどこにいったのか見当たらない。
鞄から全ての中身を取り出して捜してみてもない。えらいことだ。稲盛さんにいただいたものなのに失くしてしまうとは。そう思いながらどこにいったのか必死に捜していた。そのところで目が覚めた。

これは夢だ。稲盛さんからいただいた『生き方。』は私の事務所に大切に立てかけてある。そんな大切なものを持ち出したのは稲盛さんにお会いするからだったのか。手元にあって良かった、良かった。ホッとした。

何でこんな夢を見たのだろう。
私の「生き方」が今ひとつなんだろう。もっと人生を厳しく、逞しく、それでいて底抜けに明るく、人さまのことを考えて生きていないから、稲盛さんはそんな私に鞭を入れるために夢枕にお立ちになったのだ。

稲盛さんにお会いできてほんとに良かったと思う。
稲盛さんはお亡くなりになっても私の心にお元気で生きて、私のこれからの生き様を、とくとご覧になっていらっしゃる。
気を緩めることなく、第二の人生を生きていこうと改めて思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

なかなか楽しい「グリコのおまけ」の人生

『地域創生』は私のミッションだ。そして、私の役割はあくまでも応援団長に徹すること、黒子に徹することだ。
勿論、主役は「地元(企業、個人、自治体)」であり、東京をはじめ地元以外はサポーターに徹することが基本だ。そのようにコーディネートするのが私の応援団長としての仕事だ。 そうでないと、地域創生は大地に根っこを下ろす”サスティナブル”なものにはならない。

それと、その手段が「自然・人道に反しない美しいもの」であることだ(このことは長崎IRの失敗の経験で身に沁みてよく分かった)。 人さまに指を差されるようなことをして泡銭を稼いで、地域創生と言っても、「悪銭身に付かず」ということになってしまう。
そこのところを間違えてはいけない。

昨日は、Seed Design Officeの小山社長と「無農薬バナナ栽培と能登の地域創生」のテーマで下記の方々にお会いし、意見交換をした。

西川 圭史 さん(石川ツエーゲンGM)
浦 淳 さん(浦建築研究所社長)
山口 宗大 さん(どんたく社長)
木下 徳泰 さん(丸一観光社長)
吉田 一翔 さん(創生ナナオ社長)

私のふるさと”能登”は過疎地の最先端地域である。若者は、金沢へ、東京へと能登を離れていく。しかし前向きに考えれば、「能登の里山里海」は世界農業遺産にも指定されている、自然豊かな素晴らしい地域である。

逆張りの発想をしなければならない。
過疎地だからこそ、思い切りできることがある。思い切りやるのだ。負の遺産を正の遺産にすることを考えよう。そうすれば、とんでもないことができるはずだ。発想の転換だ。

まだまだ雲を掴むようなところがある。ちょっとぼやけているが見えてきた。これが白黒になり、天然色になる。バタバタしないで急ぐことだ。 また近々能登に行くことになるだろう。今年中にもう1回行くことを考えている。

昨夜は一人で、日本海の珍味と焼酎で、軽く夕食を済ませた。ドーミーイン名物の「夜鳴きそば」は遠慮して、温泉に浸かり、20時には床に就いた。1時前には目覚め、このblogを書いている。 もう一度、4時前に朝風呂に浸かり、髭と頭髪を剃ろう。今日のスケジュールは、14時半に金沢まいもん寿司(M&K)社長の木下孝治さんを金沢本社にお訪ねするだけ。

11時のチェックアウトまでドーミーインで仕事をしよう(こんな時間が私のオフタイムだ。私の毎日は、オンでありオフである。一粒で二度と美味しい「グリコのおまけ」)。人生を倍にして生きる。なかなか楽しいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)