稲盛和夫さんは仰る。
「人生も経営も原理原則はシンプルがいい。その原理原則とは、『人間として何が正しいのか』という極めてシンプルなポイントに判断基準を置き、それに従って正しいことを正しいままに貫いていくことだ。
嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ……そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、『当たり前』の規範に従って行なっていけばいい」
私は父に言われた。「お前は嘘をつくことができない。正直過ぎる。人と駆け引きをすることが苦手だ。そんな性格の人間は組織の中で生きるに限る。会社を興して身を立てることなど考えないことだ。中央官庁や大企業に入って出世の階段を昇ることが幸せな人生を送ることにつながる」と。
父は親心でそのようなアドバイスをしてくれたのだと思う。私も素直にその通りだと思った。私は嘘をつくことが下手だ。すぐバレてしまう。顔に出てしまうのだ。悪い表現をすれば”馬鹿正直”ということだろうか。
しかし、それが組織人に向いているはずはない。どちらかといえば、組織の中で生きるほうが”寄らば大樹”であり、他の生き方よりも生きていきやすいということであり、人間として”馬鹿正直”は今一ということだろう。
“三つ子の魂百まで”という諺があるが、なかなか自分の性格を変えることは難しい。どんなことをしても根っこのところは変わらないのかもしれない。
社会人になって銀行に20年勤め、ほんとに私の心の休まるところはどんなところだろうとずっと考えていた。そんな時に、稲盛さんとの出会いがあり、「人生を幸せに生きるには、人間としてのプリミティブな原理原則を貫くことだ」という教えは私を勇気づけた。
勿論、経営にはそれ以外の才能や努力が不可欠と思う。
私が銀行を辞めて四半世紀生きてきて、まだビジネスで鳴かず飛ばずなのは、才能がないことと努力が今一なのだと思う。種は撒き続けているのだが、まだそれなりの芽は出ていない。だから、あと半世紀生きるという人間がまだ到達したことのない”120歳生涯現役”という奇跡のようなことを宣っているのだが。とにかく、来月に満70歳になるが、来るべきこれからの第2の生の50年に大いに期待している。
過日読んだ日経新聞に、これからの経営者に求められる資質と能力として、成蹊学園学園長の江川雅子さんの仰っていることが書かれていた(江川さんは元東大理事をされていて、その時、OUEN Japan のことで相談に乗っていただいたことがある)。
①組織のパーパス(目的)を定め、体現し実践できる力がある。
②利害関係者と適切にコミュニケーションする力がある。
③インテグリティ(倫理観)を持つ。
私は、特に③がなるほどと思った。世界の大企業のCEOの解任理由のトップが「倫理的不祥事」だというのだ。
また、日経夕刊(10.27)の「私のリーダー論」に、元厚生労働次官の村木厚子さんが、郵便不正事件で勾留されていたとき、天台宗の大阿闍梨の故酒井雄哉さんの著書に救われたのだと。その後、実際にお目にかかる機会を得たときに大阿闍梨は、「リーダーは『聖』という字を書く。『聖』という字は、左側に耳、右側に口、その下に王がある。たくさんの人の意見を聴き、自分の考えを整理して、周りに伝える。聴くと語るという2つの力がリーダーには重要だ」と仰ったのだと。
私は組織を束ねるリーダーではない一匹狼だ。しかし、たとえ一匹狼であっても、独りではない。
多くの人たちが私の周りに集まってきてくださる。その人たちに愛を広(博)めるのが私の第2の生の本名(重陽博愛居士)であり、それが私のミッションなのだ。 1人でも独りではない。たくさんの人たちに影響を与える人であることを自負している。その意味で、私もリーダーの1人である。
いや、リーダーである以前に、”心ある人間”である。
①インテグリティ(倫理観)を持って生きる。
②人の話に耳を傾け、拝聴する。
③自ら考え、語る。そして、行動する。
江川さんも村木さんも賢女の中の賢女である。ほんとに女性に教えられることは多い。
賢女たちは、柔らかく、優しく、強靭に生きている。
やはり、21世紀は女性の時代なのだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)