七朋会幹事会に思う。

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朝5時前に目覚める。昨夜は思いの外寝つきが悪く、寝入ったのが21時過ぎだったろうか。それでもたっぷり7時間以上は眠ったことになる。

起きて身体が痛い。金曜日に2時間の合氣道の講習が効いているのだ。昨日はさほどではなかったが、2日経ってその疲れが身体の節々に現れてくる。昨日のウォーキングも効いているのかもしれない。 何でこんなに回復が遅いのかと少し情けなくなるが、「来月で70歳になるんだから当たり前」かとも思う。
あと半世紀の人生と思う時、「汝自身を知れ」でないと気持ちだけでは空回りになって、不幸な人生を送ることにもなりかねない。心することだ。

昨日は七朋会幹事会を西櫻亭(伊勢丹新宿)で行なった。
七朋会とは、旧帝国大学(北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大)の応援団(部)のOB・OG有志の会だ。
私たち昭和50年卒の同期が中心となって創った緩やかでそれでいて強固なつながりのある心通じ合う温かい会だ。
幹部の時(昭和49年)に、卒業してもこの仲間の友情は長く続いてほしいものだという想いで【七朋会】を立ち上げた。その時は20代前半。まだ学生の時だ。 卒業して各自がそれぞれの道に進んだ。そして、全国各地に就職した。
当時はリゲインのコマーシャル「24時間働けますか」がヒットしたモーレツサラリーマンの時代ではなかったか。
なかなか七朋会メンバーが一同に会する時間も心の余裕もなかった。七朋会は、名前だけが存在する、まだ中身は空っぽの期間が30年弱続いたのだ。

私たち同期が五十路を迎えた頃だったろうか。どんな切っ掛けがあったのか定かではないが、「そろそろ七朋会をしようじゃないか」と。きっと今は亡き京大の松井真君が言い出したのではないだろうか。そして、年末に[プレ七朋会]を表参道の古ビルの屋上で開催したのが、七朋会が現実化する切っ掛けになったのだ。

それから、後輩たちが加わり、先輩たちにも来ていただき、さらに応援団シンパも加わり、コロナ前まで、毎年11月の最終土曜日に100名強が集まり高歌放吟する楽しい会になった。今年は11月26日の予定だった。

コロナが落ち着いたら、再開しよう。今年は何とかと思っていたが、いつもの東大駒場生協食堂は東大からGOが出ない。さてどうするかということで、七朋会幹事たちが雁首を揃えての昨日の幹事会になったものだ。

そもそも、国立七大学総合体育大会(七帝戦=七大戦)での集まりから七朋会はできた。その七大戦はちょうど還暦を迎えた。
九大の楠原淳一君から「七大戦の還暦を機に七朋会文集を作ろうじゃないか」という提案があった。紙に落とすこともいいが、WebでOB・OGのみならず現役もアクセスできて、追加修正ができるほうがなおいい。 まだコロナ禍でもあるし、高歌放吟するよりも、今は歴史を残す仕掛けをつくることだということになった。
そんなことで、11月26日は、七朋会の集いではなく、七朋会文集編集会議に大幅変更と相成った。

まずは、幹部が原稿を持ち寄る。
1.各大学応援団(部)の歴史
2.応援団(部)への想い
⑴現役時代の思い出
⑵七大戦の思い出
⑶我が人生と応援
等々、まずは言い出しっぺが形にすることからスタートする。

なんだかんだ、私の人生はまさに応援人生。現役以上に応援人生を生きている。
第2の生は、この応援=OUEN人生の総仕上げだ。OUEN blogで思うままを書くことで、それを原稿にしようと思う。

それにしても70年の人生はアッという間だったように思う。この世を去るその瞬間、人生は走馬灯のように脳裏を過ぎるというが、誰もそんな経験をしたことがない。

ただ、私は70歳を機に生前葬を行なった。今、我が70年の人生を走馬灯のように思い出している。そして、生まれ変わって出陣式を行ない新たな人生をスタートさせた。 身体はあちこちガタが来ているが、気持ちは青春だ。そして、70年の七転八倒の人生を肥やしにして、知恵もそれなりに付いている。 第2の生はゼロからのスタートではない。

サミュエル・ウルマンは【青春】で言っている。

人は信念と共に若く
疑惑と共に老いる

人は自信と共に若く
恐怖と共に老いる

希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる

これからの人生は、信念と自信と希望を持って、素直に真っ直ぐに正々堂々と、世のため人のための人生を生き抜くことだ。それが人生の大道である。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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