私が関わった「賢女たち」のこと

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東大応援部は昔は男子のみの男くさい集団だったが、今では女子のウェイトが半数を超えている。
チアリーダーは全て女子だし、ブラスバンドは半数が女子だ。リーダーは男子の領域と思っていたが今年の新入部員の中にリーダーを希望する女子が1人入部した。

東大応援部はむくつけき男子の専売特許ではなくなった。
OBの中にはこれは由々しきことであると時代遅れの考え方をする人もいるが、私はこれで東大応援部はますます発展していくのではないかと前向きに考えている(ただ、女子はOGになると結婚や出産があったりしてなのか、女子特有の本質なのか、OBに比べ部へのロイヤリティが高くない。ゆえに鉄声会費というOB・OG会費の納入率は男子より低いことが玉に瑕ではあるが)。

私は銀行時代は人事部が長く、採用には7年間携わっていた。
昭和59年に神戸支店から人事部門に異動したが、昭和60年に男女雇用均等法ができて、その年から総合職に女子も採用することになった。
金融機関や商社は男女差別の典型的な職場だ。銀行では男子が基幹職、女子は補助職と決まっていた。給与は入社から差があり、いくら優秀な女子でも管理職にはなることができない。それが当たり前で男女ともそれをおかしいとは思っていなかった。

男女平等の掛け声で、形の上では差別してはならないという法律ができたのだが、実質は殆ど以前と変わらない。至るところにガラスの天井があった。

安田信託銀行の昭和60年入社の総合職女子は8名。東大、一橋、早慶、上智、ICU等、みんなIQ、EQともに高い女性たちだったが、彼女たちをそのままにすくすくと育てることができず、数年後には全員が外資系の会社に転職していった。 受け入れた職場ではパワハラやセクハラが日常茶飯事。一般職の女性からの嫌がらせもあった。
彼女たちは駆け込み寺のように人事部の私のところにやってきて、涙を流して訴える子もいた。私はその都度話を聞き、場合によっては上司のところに行って掛け合った。それを「小林は総合職女子を甘やかしている」と言われたりした。 結果、彼女たちは退職し、新天地で頑張ることになってしまったのだ。当時はそれがベターな選択だったのだろう。

そんなことがずっと私の頭の片隅にある。一生懸命に優秀な女性を採用したのに、なんで育てることができなかったのかと。

私が採用した総合職女子は私より一回り若かったから、今は50代後半だろうか。ずっと会っていないからどうしているだろうと思う。そして、20代前半の彼女たちを思い浮かべる。

そして【重陽の会】だ。彼女たちは、30代半ばから50代半ば。総合職女子たちのあとに続く賢女たちだ。
すくすくと育ってますますの賢女ぶりを発揮していただきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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