お客様や友人たちとの夜の会食がない日はいつも20時前には床に就く。朝起きるのが3時前後(午前のアポがない時は1時間前後の朝寝をすることもあるが)だから、その時刻になると瞼が重くなるのは当然のことだろう。 真夜中に目覚め、殆ど二度寝をするのだがどうしても寝つかれない時もある。それが2時過ぎだったら徒歩2分の事務所に出かけて一日のスタートを切る。
今日は3時過ぎに目覚め、4時前には事務所に着いた。
歯磨きをして、ヴィアマルシェで昨日買った梨に牛乳と青汁と青花(滋賀県草津の特産の草花)を加え、義父が使っていた小型のミキサーに掛けてジュースをつくって飲む(ミキサーを使う時、いつも亡き義父のことを思う。たまたま昨晩の夢に義父が登場したので尚更だ)。 その後、急須に茶葉を入れて朝茶をいただく。そして漸くデスクに向かいパソコンの電源を入れる。「さぁ、一日のスタートだ。気合いを入れて頑張ろう!」というところだ。
私は来月(11月)に満70歳になる。65歳になった時、「65歳以上75歳未満は前期高齢者」「生産年齢人口は15歳以上、65歳未満」が通例になっていることに妙に抵抗があった。「私は未だ高齢者ではない」と言う思いからだろう。 しかし、少しずつ、私独自の生活習慣や考え方が固まってくるようになってその抵抗感は薄らいできた。
現実を素直に見つめること、ありのままの自分を自覚すること、そして至らないことを自覚し反省の日々を送ることが人間の成長を促すことになるのだろう。
70歳は正真正銘の高齢者である。国民年金も満70歳から受け取ることにした(厚生年金は65歳から受け取っている)。
私が普通の一般的な70歳と違うところは「現役バリバリ」で生きているところだ。上り坂の人生を送っていることだ。
同年代の人たちは、現役を続けていてもそれが片手間だったり、悠々自適の生活をしている人たちが殆どだ。なかには、年金のみで生活している人たちもいるだろう。殆どの人たちが人生の下り坂の途中なのだ。
しかし、私はそうではない。
生前葬&出陣式を終えて、これからが第二の生であり、今は登り坂ならぬ上り坂の人生のスタートを切ったところだ。自ずと同年代とは人生に対する考え方が違ってくる。そのことを日々実感している。
私は高校の同期会の永年幹事であり、今週土曜日に行なう。国立七大学応援団OBOG会を11月26日(土)に行なう。いずれも私と同年代の人たちが中心の集まりだが、私は少し違和感を感じている。
70歳は下り坂の人生の途中の年齢であり、下り坂であることは間違いないのだが、「そんなことで人生楽しいのか」と、私は思ってしまうのだ。 それぞれの人生であり、人生の考え方はそれぞれでいいと思うのだが、どうしても同じ空気感ではないことに違和感を感じるのだ。
私は未だ現役バリバリ。第一の生の時より仕事は忙しい。ありがたいことに、多くの人たちがいろいろ相談にご来社いただく。皆さんに頼りにされている、人のお役に立っていることを幸せに思う。
ビジネスでお付き合いしている人たちは私の歳の離れた弟妹たち、子どもたちの年齢だ。私の孫は上は小学4年生だが、人によっては20代の孫がいても不思議ではない。そんな孫の世代の若者ともビジネスをしている。当然、心身とも若くならざるを得ない。
稲盛さんは「両極端の能力を持て」と仰っている。一方に偏らず、いずれの立場も理解する能力を持てと言うことだ。
リーダーは、大局を把握するため大所高所に立たねばならないことは当然だが、場合によっては戦いの前線の先頭に立つことを厭っていてはリーダーの資格はない。
【恕の心】
「この人がしてほしくないことは何だろう」と相手の心を思い遣り、そのことをしないこと。
「この人にこんなことをしてあげたら喜ぶのではないか」と思うことをして差し上げること。
それには両極端の能力を持つことが不可欠なのだろう。
同年代の人たちのことも理解し、若者たちの気持ちにも思いを致すことだ。もっと大きな心で人と接することが大切なのだ。いずれの人たちも血の通った温かい人間である。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)