強烈な善き思いを持って生きる。

昨日の日曜日はちょっとブルーな休日だった。こんな日もある。季節の変わり目のせいでもあるのだろう。
どうも身体が本調子ではないのか、ウォーキングをする気にならない。ここのところ、ずっと続けていた1日2時間の早朝ウォーキングは止めた。1日2時間のウォーキングをすると、日常活動の歩数を加えると2万歩になる。歩数が多ければ身体にいいというものでもないと何度も妻から指摘があり、抵抗していたのだが、ここのところの体調の変化もあってウォーキングの回数と時間を抑えることにした。
合氣道は金曜日の2時間、時間が許せば週1回参加している。若い女性が多く、彼女たちについていくのが結構しんどい。若いときから三半規管が人より劣っているのか平衡感覚に問題があったが、歳がそれに輪をかけている。

先週は大学の同期が亡くなったという喪中はがきが届いた。もうそんな季節になったのか。
あと今年も2ヶ月余りかと思う感慨よりも、やはり同期が亡くなったことのショックは大きい。
彼と最後に会ったのはコロナ前の年末の同期会だから2年余り前だったろうか。
数年前、脳出血で入院していたが、そのせいだったのだろうか。
はたまた癌か。コロナかもしれない。満70歳でまだまだこれからだったのに。
大学教授を退官して、これから悠々自適の生活が始まろうとしていた矢先だ。まさか仕事が楽になって気が緩んだせいではないだろう。いや、銀行時代に人事部にいたとき、間々、退職して直ぐに亡くなってしまう人がいた。その当時の定年は60歳だった。やはり、仕事は長生きの万能薬なのだろうか。いろいろなことを考える。

そんなことも昨日の日曜日がブルーになったせいなのかもしれない。

どうも気分に波がある。山あり谷ありだ。
私は70歳を機に、上り坂の第2の人生を送ろうと思っているのだが、こんなことでは困ったものだ。
気を持ち直して、気を張って生きることだ。

アメリカ大統領はバイデンは80歳近い。70代後半のトランプも大統領選に再チャレンジしようと息巻いている。プーチンも習近平も私とほぼ同年代だ。専制君主よろしく、権力に極めて貪欲だ。 日本においても、芸能人は70〜80歳でも若く生き生きしているし、強かな老政治家も権力欲で凝り固まっているのか、憎らしいほど元気だ。

善悪を問わず、貪欲が人間の精神を強くする。
善き貪欲というのは言葉に語弊があるかもしれない。強烈な善き思いを持つことが人間の精神を強くする。

強烈な善き思いを持って生きれば、精神も強く逞しくなるのだろう。そう思うことだ。思い続ければ、そんな自分になることができる。気分が落ち込んだ時には、特に強烈にそう思うことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

人間として、

稲盛和夫さんは仰る。
「人生も経営も原理原則はシンプルがいい。その原理原則とは、『人間として何が正しいのか』という極めてシンプルなポイントに判断基準を置き、それに従って正しいことを正しいままに貫いていくことだ。
嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ……そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、『当たり前』の規範に従って行なっていけばいい」

私は父に言われた。「お前は嘘をつくことができない。正直過ぎる。人と駆け引きをすることが苦手だ。そんな性格の人間は組織の中で生きるに限る。会社を興して身を立てることなど考えないことだ。中央官庁や大企業に入って出世の階段を昇ることが幸せな人生を送ることにつながる」と。

父は親心でそのようなアドバイスをしてくれたのだと思う。私も素直にその通りだと思った。私は嘘をつくことが下手だ。すぐバレてしまう。顔に出てしまうのだ。悪い表現をすれば”馬鹿正直”ということだろうか。
しかし、それが組織人に向いているはずはない。どちらかといえば、組織の中で生きるほうが”寄らば大樹”であり、他の生き方よりも生きていきやすいということであり、人間として”馬鹿正直”は今一ということだろう。

“三つ子の魂百まで”という諺があるが、なかなか自分の性格を変えることは難しい。どんなことをしても根っこのところは変わらないのかもしれない。
社会人になって銀行に20年勤め、ほんとに私の心の休まるところはどんなところだろうとずっと考えていた。そんな時に、稲盛さんとの出会いがあり、「人生を幸せに生きるには、人間としてのプリミティブな原理原則を貫くことだ」という教えは私を勇気づけた。

勿論、経営にはそれ以外の才能や努力が不可欠と思う。
私が銀行を辞めて四半世紀生きてきて、まだビジネスで鳴かず飛ばずなのは、才能がないことと努力が今一なのだと思う。種は撒き続けているのだが、まだそれなりの芽は出ていない。だから、あと半世紀生きるという人間がまだ到達したことのない”120歳生涯現役”という奇跡のようなことを宣っているのだが。とにかく、来月に満70歳になるが、来るべきこれからの第2の生の50年に大いに期待している。

過日読んだ日経新聞に、これからの経営者に求められる資質と能力として、成蹊学園学園長の江川雅子さんの仰っていることが書かれていた(江川さんは元東大理事をされていて、その時、OUEN Japan のことで相談に乗っていただいたことがある)。

①組織のパーパス(目的)を定め、体現し実践できる力がある。
②利害関係者と適切にコミュニケーションする力がある。
③インテグリティ(倫理観)を持つ。

私は、特に③がなるほどと思った。世界の大企業のCEOの解任理由のトップが「倫理的不祥事」だというのだ。

また、日経夕刊(10.27)の「私のリーダー論」に、元厚生労働次官の村木厚子さんが、郵便不正事件で勾留されていたとき、天台宗の大阿闍梨の故酒井雄哉さんの著書に救われたのだと。その後、実際にお目にかかる機会を得たときに大阿闍梨は、「リーダーは『聖』という字を書く。『聖』という字は、左側に耳、右側に口、その下に王がある。たくさんの人の意見を聴き、自分の考えを整理して、周りに伝える。聴くと語るという2つの力がリーダーには重要だ」と仰ったのだと。

私は組織を束ねるリーダーではない一匹狼だ。しかし、たとえ一匹狼であっても、独りではない。
多くの人たちが私の周りに集まってきてくださる。その人たちに愛を広(博)めるのが私の第2の生の本名(重陽博愛居士)であり、それが私のミッションなのだ。 1人でも独りではない。たくさんの人たちに影響を与える人であることを自負している。その意味で、私もリーダーの1人である。
いや、リーダーである以前に、”心ある人間”である。

①インテグリティ(倫理観)を持って生きる。
②人の話に耳を傾け、拝聴する。
③自ら考え、語る。そして、行動する。

江川さんも村木さんも賢女の中の賢女である。ほんとに女性に教えられることは多い。

賢女たちは、柔らかく、優しく、強靭に生きている。

やはり、21世紀は女性の時代なのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

魂を磨くために、

『稲盛和夫と福島の子どもたち』〜「人は何のために生きるのか」(大震災・原発被災の苦しみを乗り越えて)を再読した。

[人生の目的は魂を磨くこと]

心を磨くということは、魂を磨くことです。言葉を換えれば、人格を高めることであり、人間性を豊かにしていき、美しい人間性をつくっていくということです。

人間は本来、真善美を求めると言います。「真」とは正しいことであり、「善」とは善きことであり、「美」とは美しいものであり、人間はそのようなものを探求する心を持っています。人間がこの三つを求めているということは、人間という存在自体が真善美という言葉で表現できる美しい魂そのものなのだと言えるのかもしれません。

そして、そのような私たちが本来持つ、愛と誠と調和に満ちた美しい心をつくっていくことこそが、私たちがこの人生を生きていく目的ではないかと思うのです。

私たちが生きる70年、80年という期間は、輪廻転生する魂を磨き上げていく期間なのかもしれません。生まれてきたときに持ってきた自分の魂を、この現世の荒波のなかで洗い、磨き、少しでも美しいものへと変えていく。そのために人生というものがあるのではないかと思うのです。

死にゆくとき、生まれたときよりも少しでも美しい魂に、やさしい思いやりに満ちた心を持った魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はない。つまり、人生とは魂を磨き、心を磨く道場なのではないでしょうか。

しかし、そのように考え、心を磨こうと思っても、実際にはなかなかうまくいかないのが人間です。善き思いを抱こうと思っても、「儲かるかどうか」「自分にとって都合がいいかどうか」ということで、つい行動してしまうのが人間です。そうした悪しき思いが出てきたときに、モグラたたきのようにその悪しき思いを抑えていくことが重要です。

そのように、日々反省をすることが、心を磨くためには不可欠なことだと私は考えています。

皆さんも、ぜひ人生という道場の中で、善きことを思い、善きことを行うように努めていただきたいと思います。

そのことによって、皆さんの魂、心は磨かれていきますし、その美しい心で描いた思いは、人生において成就していくのです。

我々の人生は我々の心のままにつくられていくのです。

私はいつも、この稲盛さんのお言葉を心で反芻している。このお言葉が私の人生を変えた。

[人生の目的は魂を磨くこと]

→魂を磨くことは「世のため人のために生きること」(社会貢献)

→絶えず、相手が何をしてほしいのか、何をしてほしくないのかという「恕の心」を持って、相手の立場に思いを致すこと。そのために、天が与えて下さった個性をフルに発揮することで社会に貢献すること(活私奉公)

→それを生涯続けていくことが、人間性を高めるということであり、魂を磨くということ(人生修養)

具体的事業(OUEN事業)で、魂を磨き続けていきたい。

[私(=OUEN Japan)の具体的事業]

⑴OUEN Company

⑵OUEN塾

⑶地域創生

これら3つは別々な事業ではなく、密接につながっている。

  1. OUEN Company=ビジネスマッチング、ビジネスコラボレーションサポート

「友だちの友だちは皆友だち」「類は友を呼ぶ」の、その言葉通り、私の培ってきた人と人とのつながり・拡がりで、企業と企業、人と人をつなぎ、企業を応援する。

  1. OUEN塾=未来を担う学生たちを応援するイベント

⓵学生たちに地域を知ってもらう。⇒OUEN Companyの皆さんと交流するイベント

②これからの社会に求められる人間のありようを、学生たちとOUEN Companyの皆さんとともに考えるイベント

③OUEN塾長は学生たちのロールモデル。私は黒子としての応援団長。

  1. 地域創生

学生たちも加わって、OUEN Companyの皆さんとともに、住み、働き、学ぶ、地域を創生する。あくまでも地元が主役、都会の企業はサポーター。

⓵産業を起こす仕掛けを考え、実行に移す。

②OUEN Japan はその蝶番、調整役に徹する応援団、私はその応援団長。

不動院重陽博愛居士

(俗名 小林 博重)

『オーナー魂を持つ』ということ

社会教育家の田中真澄先生は、『オーナー魂を持って生きよ』と仰る。
言わんとされていることは、「人生100年時代だ。サラリーマン人生が60年であれば、残りの人生はサラリーマン根性から脱皮してオーナー魂を持って個人事業主として生きなさい」と言うことだろう。

私は44歳まで銀行員としてサラリーマン人生を送ったが、決してオーナー魂を持って生きていたとは思えない。
間々、思ったように真っ直ぐな道は歩けなかったように思う。ぶつかってぶつかって、思いを曲げることもしながら、偶には忖度もしながらどうにか生きてきた21年間だったように思う。 決して前に立ち塞がる壁を壊すことはできなかったし、そこまでしようとも思わなかった。忸怩たる思いがある。
人と比べればストレスのない銀行員人生を送ったと思うが、それでも少しずつストレスは溜まっていたのだろう。人間としてこれでいいのかと。 サラリーマンとはそんなものだ。

銀行を退職してオーナー企業に勤めたが、4年で退職を余儀なくされた。
その原因は、オーナーサイドとの人間哲学・人生哲学の違いは私サイドの思い。先方からすれば、私に対して、オーナー魂を持つことをせず、サラリーマン根性で経営をする、オーナーとサラリーマンの思いのギャップを強く感じたことがあったのだろう。
何事も、オーナーは自分ごと、サラリーマンは他人事ということだ。サラリーマンは自分の身を守ることだけが自分ごとであり、組織で起こることは究極は他人事になっていることがほんとうのところではないか。その差は天地ほど違う。

55歳で完全独立して一匹狼として生きてきた。しがない一匹狼でもオーナー魂だけは持っている。
お付き合いする人たちは会社のオーナーであったり、サラリーマン経営者や経営幹部であったり、経営層の手前の人たちであったり、はたまた手に職を持つ専門職であったり、それはさまざまだ。 それぞれがさまざまなビジネスシーンに出くわし、降り掛かる案件を決断していく。その時に彼らの寄って立つ魂を垣間見ることができる。 私は、そんな時の決断や思考過程に思いを致し、大小を問わずオーナーとサラリーマンの違いを強く感じてしまうのだ。

サラリーマンであってもオーナー魂を持った人がいる。そのように生きようと必死に頑張っている人がいる。
そんな人を見ると、私はその人をこよなく好きになる。愛おしく思う。きっとそんな人はサラリーマンの世界ではトップに昇り詰めることは稀ではないだろうか。殆どのサラリーマンの思考回路は、会社のことは他人事であり、自分の保身が自分ごとなのだから。 しかし、そうでないサラリーマンは稀にトップに昇り詰める。そんなサラリーマンが少しでも増えることを私は願っている。

やはり、人間的魅力がある人はオーナーだ。仕事の中から人間哲学・人生哲学を確立した哲学経営者だ。
例えば、松下幸之助さん、本田宗一郎さん、稲盛和夫さんなど。サラリーマンではごく少ない。土光敏夫さんくらいか。

私のような凡人はたとえトップになったとしても、決してサラリーマンで哲学を持った経営者にはなることはできないだろう。そのことは自分が一番分かる。
私がサラリーマンを辞めて一匹狼になったのは、結果的に、私に一番相応しい生き方なんだと思う。それが漸く、古稀の歳になって腹にストンと落ちた。一皮剥けたというところか。 もう一皮剥けると、燻し銀の『できた人間』になるのだろう。

サラリーマンは気楽な稼業ではない。サラリーマンで人間としての想いを果たすことができる人は稀だろう。
私は一匹狼、生涯現役で、私の想いを果たしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

久原本家グループ本社さんのこと

まさに10月は夏と冬の谷間であるかのような月だ。それを秋と言うのだろうが、地球温暖化によって秋という春夏秋冬の中でも全てが結実する「実りの秋」は実に短くなって季節の隅に追いやられた感がする昨今ではないだろうか。
今朝は一段と冷えている。3時過ぎ、厚手のコートとは言わないが、薄いジャンパーを着用して事務所に向かう。さらに、丸坊主なので裕美ちゃんにプレゼントされたニット帽をかぶる。もうそんな季節になった。

昨日は、2泊3日の関西(京都と大阪)と九州(北九州と福岡)の出張を終え、16時過ぎに外苑前の事務所に戻ってきた。たった3日留守にしていただけなのに何だかんだとすることがある。その整理をしていたら、あっという間に19時前になってしまった。
まだ、出張で訪問した皆さんへのお礼とお願いのメールは出すことができなかった。スマホでいただいたメールやLINEは見ることができるし、返信することもしているのだが、やはり落ち着いて事務所のデスクからパソコンで発信することでないとどうも落ち着かない。歳はこんなところにも現れる。

昨日は10時に久原本家さんのアポだったが、9時過ぎに着いてしまった。遅れるよりも早いほうがいいとは言うものの1時間も早い。早すぎる。
受付の守衛さんはご親切にも「受付事務所の中で待っていてください」と事務所の中に入れていただいた。そして訪問先の人事部にお電話していただいたところ、今朝礼中で少しお待ちくださいと。しばらく待って面会場に入れていただいた。

同社には3年ぶりの訪問だろうか。私の窓口であった方(中嶌さん)は部署内の異動で、新しい担当は羽根響子課長と吉田百合菜さんだった。
初めての面会で、それも朝早くのご多忙の時間であったにも関わらず、快く応対してくださった。
同社との出会いや今までのOUEN塾、これからのOUEN塾のこと、私の生前葬や出陣式、これから半世紀生きて頑張りたいということまで、何だかんだいろいろお話しした。
あっという間の約1時間。聞き上手というのか、相手のことを考えていらっしゃって応対されているのだろう。心地よく話が弾んだ。帰りには外まで出てきて下さってタクシーに乗るところまでお見送りいただいた。恐縮至極。

久原本家グループ本社さんとの出会いは福岡女子大学の梶山理事長・学長(当時)のご紹介に依る。
梶山先生が「だんだんボックス実行委員会」の応援団をされていて、同社が「一般社団法人 だんだんボックス」の参加企業であったからだ。

梶山先生がNPO OUEN Japanの理事でもあり、同社をご紹介いただき、久原本家グループ本社さんにもOUEN塾の協賛企業になっていただいたのだ。

【一般法人 だんだんボックス】
http://www.dandanbox.com/
おもいをおくる、おくるをおもいにする。

家に送られてくるお届けものの箱が、単なるダンボール箱でがっかりしたことはありませんか?
それがこんなアートの箱で贈り物が届いたらなんて楽しいんでしょう。
まして障がいを持ちながら絵の才能がある人たち描いている絵だったらどんなに素敵なんでしょう。
小さな嬉しいことから、だんだん気持ちが明るくなるように、だんだんと…

障がいを持ちながらも素晴らしい絵の才能を持つアーティストたちの作品が人から人へと贈る段ボールの箱になって、地域の名産、プレゼント、企業の商品など、人の思いを、「ありがとう」の気持ちで包みながら全国へ移動する、今までにない試みです。

持続的な経済活動としてしっかりと成立することが、コンセプトです。
自らが経済活動を伴って社会参加することにこそ、誰にとっても真の生きがいがあると考え、それがだんだんと広がるように応援するプロジェクトです。

明治26年(1893年)から続く総合食品メーカーで「キャベツのうまたれ」「茅乃舎だし」「椒房庵(しょぼうあん)めんたいこ」などを製造・販売する久原本家グループさんが、2011年より毎年「くばらだんだんアート」に賛同・支援されている。

福岡県内を中心に寄せられた作品の中から大賞作品を選び久原本家オリジナル段ボール、ラッピングへの使用と、応募いただいた作品の展覧会を福岡県立美術館で行なっている。
企画・運営を新入社員の皆さんが担い、社会貢献の大切さを学ぶ場にもなっているのだ。
https://www.kubarahonke.com/

これからのOUEN塾は、単なる大学生や留学生と企業との交流イベントに終わることなく、リベラルアーツをブラッシュアップさせてエッジを効かせたものにしていきたいと思っている。
そのビジョンを明確にして、コロナ禍が落ち着いてOUEN塾リーダーを募集することからスタートすることになる。
ちょっと中期戦になるが、そろそろその準備に取り掛かりたいと思う。
お二人には、そんなことをお話しした。

女性が輝いている企業は、柔らかく、大きく伸びる。人が生き生きしている。
そんな会社がどんどん増えていってほしいと思う。

21世紀は女性が輝く世紀だ。平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」と言った。

今、決して女性は蒼白い顔の月ではないが、まだ太陽であるとは言えないだろう。特に日本では。
日本再生のためには、女性は母なる大地に加え、太陽でなければならない。そんな時代が来ている。

そんな、時代をリードしていくOUEN塾でありたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

素晴らしい人たちとの出会い

私は出張の宿泊はドーミーインに決めている。それは、温泉付であり朝食が美味しいからだ。
一日のスタートを切るのに、温泉の朝風呂と美味しい朝食は絶対と言っていいほど幸せなビジネス&ボランティア活動につながると私は信じている。 それとグリコのおまけではないが、「1粒で2度美味しい」オンとオフの両立ができることだ。

ドーミーインでの宿泊は私にとっては最高のコスパになっている。

一昨夜は、大阪のドーミーインpremium大阪北浜。昨夜は、福岡で定宿のドーミーイン博多祇園だ。
今朝も3時半に目覚め、塩泉に浸かり、髭と頭髪を剃る。爽やかな一日のスタートだ。
今日は、久山町の久原本家を訪問し、コロナ禍明けにスタートしたいと考えているNEW OUEN塾についてのご報告とご意見を拝聴する。 珍しく、今日の福岡での活動はこれだけ。午後一で福岡空港から帰宅の途に着く。外苑前の事務所には16時過ぎには着くだろう。こんなゆったりとした日があってもいい。

昨日、高校同期の戸田等さんからメールをいただいた。彼は京都に住んでいる。
10月8日に西櫻亭(伊勢丹新宿)で開催した関東同期会にも京都から馳せ参じてくれた。
戸田さんのメールには、一昨日(24日)、京都四条で私とそっくりな人に会った。まさか、私が京都に来てはいないと思って声をかけなかったが、OUEN blogを読んで、私が四条に来ていたことを知ったと書いてあった。

ちょうど13時半に四条のSUSさんを訪問して、14時半頃、阪急烏丸駅ですれ違ったのだろうか。
戸田さんのメールで、私はすぐ思った。
「世の中は狭い。どこで誰が見ているか分からない。『天網恢恢疎にして漏らさず』という諺もある。悪いことはできない。正しく真っ直ぐな人生を送ることだ」 私は何でも教訓にしてしまう。

7時51分新大阪発の山陽新幹線みずほに乗り、9時58分に小倉に着く。2時間強。これくらいが疲れない乗車時間だ。

ゼオライトの藤瀬さんが迎えに来てくれて、北九州と福岡の企業を3社訪問。OUEN塾もあるが、ビジネスもある。
夜はゼオライト嶋村社長と会食した。

嶋村社長との会食の中で、OUEN Japan のミッション=地域創生について大いにヒントになるお話しを聞くことができた。やはりリアルに限る。

ゼオライトのビジネスも時代の変化に合わせて大きく展開していかなければならない。SDGsを意識した経営、地域創生にも貢献していかなければならないと。 女性リーダーの育成もそうだ。日本は、人口の半分を占めている女性の能力をほとんど活かしていないと。

⑴能登の地域創生と水道事業の民営化

⑵NEW OUEN塾のテーマ
①女性リーダーの育成
女性が育てば男性がついていく。ダイバーシティがキーワード。
②皆んなで地域創生
主役は地元だが、都会がサポーターとして地域創生に貢献する。SDGsと地域創生と利他の心。

リアルでないとアイディアは生まれてこない。Webはあくまでもサブであるべきだと思う。

嶋村社長は素晴らしい経営者だ。
「団長、『急がば回れ』はほんとうですね。利他はビジネスのベースですね。永田さんのお人柄を知るにつけても、そのことを強く認識しました」と。

私が明治安田生命にエージェントとして入社できたのも永田さんがいらっしゃらなければ、なかったことだ。私の大恩人である。
私が永田さんと嶋村社長をお引き合わせしたのだが、嶋村社長も永田さんに対して、私と同じ思いをお持ちになったのだろう。

人とのご縁は不思議なようで不思議ではない。必然だ。

「類は友を呼ぶ」
「大才は袖触れ合う縁をも生かす」

素晴らしい人には素晴らしい人が集まってくる。私は、素晴らしい人になりたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

花の京都に上る夢を実現させたい。

昨日から26日まで、京都・大阪〜北九州・福岡の2泊3日の出張だ。
京都は東京〜博多のほぼ中間地点。今までは福岡は飛行機での出張ばかりだったが、関西出張を組み入れて新幹線を利用するのもコスパの点で悪くはない。

京都では5年ぶりくらいだろうか。フラットエージェンシーの吉田光一会長を訪問し、旧交を温めた。同社は京都で大学生や留学生を中心とした不動産賃貸仲介・管理業務で確固とした地位を築いている。 吉田さんとの出会いは、東大応援部の8年先輩で、スターツ会長補佐をされていた井口一弘さんにご紹介されたことに依る。

OUEN Japanは大学生・留学生の応援団として設立したこともあり、都道府県の中で学生数の比率が最も高い京都でスタートしたいと思っていた。
京産大とのコラボにより、東京と京都の学生たちの交流イベントを京都で開催したのがOUEN Japan の活動のスタートだったが、学生たちの扱いに慣れている京都では、ごく普通の学生たちと京都の企業との交流イベントではあまりインパクトがなく、OUEN塾を継続する切っ掛けにすることができなかった。

それもあって、同じ学生数の比率が高い都道府県の中でも地方にターゲットを絞ろうということで、京都でも東京でも大阪でもない九州の福岡、北陸の石川にした(学生数の比率が高い都道府県は、高い順に京都、東京、大阪、福岡、石川)。

OUEN塾は地域創生を大きなミッションにしているが、やはり当初の学生たちの応援団ということで、学生の都道府県の筆頭である京都に足場をつくりたいと思う。いわば、戦国時代に例えれば、福岡と石川から花の京都を目指す、「京に上る」ということだ。

吉田会長にはそんな夢の話をした。吉田会長とお別れしたあとで、四条のSUSさんを訪問し、大槻取締役と藤竹蘭さんにお会いしたが、彼らにもそんな話をさせていただいた。

やはり、目が肥えている京都でOUEN塾を展開するにはエッジが効いたイベントでなければ学生たちも企業の皆さんも集まってきてはいただけないと思う。

私は一匹狼。多くの皆さんのお力をお借りしなければ夢は実現できない。
【重陽の会】【OUEN Company】を核にして、花の京都に上りたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

OUEN塾の発展系を追求する。

私の人生哲学は一言で言ったら『応援』である。勿論、そのベースには稲盛哲学の『6つの精進』が滔々と流れている。

私の人生は応援人生であり、そのスピリッツは東大応援部の3Sスピリッツである。

Ⅰ.東大応援部の【3Sスピリッツ】
1.Service=社会貢献
2.Sacrifice=活私奉公
3.Study=人生修養

Ⅱ.稲盛哲学【6つの精進】
1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
4.生きていることに感謝する
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない

そして、私の応援哲学にはもう一つが加わる。それは「黒子に徹する」ということだ。

「応援」には必ずプレイヤーがいる。プレイヤーがいて応援ができる。その逆ではない。
プレイヤーと応援団とは対等だが、役割は明確に違う。あくまでも主役はプレイヤーであり応援団は脇役である。甲子園の高校野球でも神宮の東京六大学野球でも応援団はプレイに花を添えるが決して主役ではない。 それを間違えて応援団は主役だと思い込み、主役になろうとすると、応援団は「はずれものの集団」に成り下がってしまう。あくまでも黒子に徹することなのだ。

では、OUEN Japan は何をするのか。それは以下のようである。

①『学生たちの応援団』=【OUEN塾】
②学生たちを応援してくださる『企業の応援団』=【OUEN Company】
③学生たちと企業の皆さん(OUEN Company)が協働して、皆んなが住み、働き、学ぶ地域を元気にする【地域の応援団】

①【OUEN塾】
コロナ禍で学生リーダーを募集することができず、コロナが収束するまでは、グッと我慢の日々を送っている。コロナ禍明けには、NEW OUEN塾として、ブラッシュアップしてエッジの効いたOUEN塾を開催したいと思っている。

②【OUEN Company】
企業同士のビジネスマッチングであり、ビジネスコラボレーションサポートである。OUEN塾が開催できない今、片肺飛行であるが私は、年中無休でOUEN Companyの活動に従事している。

③【地域の応援団】
地域創生は、私のふるさとである「能登の地域創生」の応援ができないかと思い、具体的には、一次産業としての「無農薬バナナの温室栽培」、延いては6次産業化を目指して知恵を出したいと思っている。

そして今考えるところは、【OUEN塾】と【OUEN Company】と【地域の応援団】の一体化だ。

【OUEN塾】がブラッシュアップしてエッジが効いたイベントになったら、【OUEN Company】や【地域の応援団】にもつながってくるのではないか。

そんなことを考える。
いろいろな人たちとブレストを重ねて、少しずつ形にしていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

人生は「苦楽吉祥」

いろいろ仕事が舞い込んでくるが、直ぐ結果に結びつくものもあれば、1年以上、いや2年以上かかるものもある。

私のビジネス&ボランティアは人と人とをつなぐことをベースにしている。すなわち人間関係で生きている。だから、小手先で稼ぐことはしないことをモットーにしている。

しかし、生きていく以上、そんな悠長なことを言っていられないというのもまた真実である。

いつも明るく前向きに生きているのだが、時には落ち込むこともある。いつもの自分ではないと、どうしたものかと思うことがある。

昨夜はあまり快眠できなかった。一つならず引っかかることがあったからだ。

19時に床についたのだが、2時間も経たないで目が覚めて寝付かれない。うつらうつらして何とか眠ったようだが、3時に目覚めた。どうも寝足りた感がない。と言って眠ることもできない。こんな時は起きて事務所に出かけるに限ると、メンターの教えを忠実に守ることだと思い、3時過ぎに事務所に出かけた。

こんな時は、気になった仕事を振り返るにしくはないと思い、いくつか頓挫している仕事を整理してみた。ちょっと心が落ち着く。これは気分の問題だろうか。

朝風呂に浸かり髭と頭髪を剃って風呂上がりに「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を読んだ。

この本は「月刊致知」に掲載されていた対談やインタビューを1年365日に分けて載せてある。たまたま7月7日の題は「仕事でもらったスランプは仕事で返す」(松本明慶さん、大佛師)だ。

我々は足を切ったり、指を飛ばしたり大怪我をすることもありますが、それでも私はあくる日も仕事場にいます。仕事をしない日はないです。お正月も、弟子には休みをやりますが、自分は木槌をふるっています。この正月の期間は仕事場を独占できて、新年の構想の下ごしらえができるんです。

こういう話をすると、「先生、そんなに仕事ばかりして、ストレスはどう解消していますか」と聞かれますが、スランプやストレスは何から起きているかといえば、結局は仕事から起きているんです。だからそのストレスは仕事でしか解消されないんですね。

魚釣りに行ってストレス解消しているという人もいるけど、それは一時的に忘れているだけで、実際は消えることはないんです。

野球選手がヒットを打てないからスランプやと言っても、そんなのヒット打てばいっぺんで直ります。

だから仕事でもらったスランプは仕事でしか返せないんです。それでもまた次にスランプがやってきますけど、そうやって繰り返していくうち、だんだん間隙が少なくなって、すーっと仕事ができるようになります。

一つの道を究めていくには精進を続けていかなければなりませんが、そのためにはまず考え方を変えないとダメだと思いますね。考え方が変わると行動が変わります。行動が変わると結果が変わります。

天台の教えにもありますよね。「苦楽」って。うちの工房の会報誌は、この「苦楽」に「吉祥」を足して「苦楽吉祥」というんです。結局、苦楽があるから吉祥があるんです。苦しいけど楽しいと考えを変えれば、必ず吉祥がきます。

また、「楽」という字には「多くの人が集まってくる」という意味があるそうですね。

私は「そんな長い時間、卒業も定年退職もなく、よく毎日やりますね」と言われますが、いい仕事を楽しんでやっていると、「あいつ、楽しそうだな」と人が集まってきます。寄ってきてくれた人たちに「あいつと一緒だと楽しいな」と思われ、また人が寄ってきてくださる。そうなると、どんな苦しいことがあっても楽しくなります。

これも天台の言葉ですが「一隅を照らす」という教えがあるでしょう。自分の仕事に懸命に取り組むことで、一隅を照らす。そうやってその場で光るような生き方をしておれば、必ず人は集まる。

私がいつも思っていることなのだが、ふっと忘れてしまうことがある。

仕事の借りは仕事で返す。

苦を楽しむ。

そんな一隅を照らす、光る生き方をしていれば、必ず人は集まってくる。

不動院重陽博愛居士

(俗名 小林 博重)

応援(OUEN)の真髄=人は人のために生きる。

私と「応援」との関わりは、中学時代に遡る。石川県鹿島郡(中能登)での陸上競技の郡大会の応援合戦だ。高校では金沢大学附属高校と名古屋大学附属高校の定期戦(旧制四高と旧制八高の定期戦に由来する)での応援合戦があった。 いずれもスポットの応援だったので、「応援の本質」というところまでは至らなかった。

東大に入り、ボディビル&ウェイトリフティング部に入部したが、身体を鍛えるという点では先輩たちは東大生らしくストイックなところがあり、その姿勢に尊敬の念を持ったが、殆ど人間的付き合いがない部だった(単に部活動のあとお酒を入れた懇親の席がなかっただけなのだが)。 能登の田舎から出てきて東京の水に慣れず、人恋しい気持ちもあったのだろう。そんなことで、2年生の4月にB&W部を退部して応援部に転部した。 応援部は理不尽なところもあったが、その後のフォローがあって、私には人間味溢れるクラブと映ったのだ。
応援部にのめり込み、「応援とは何か」「応援の本質とは何か」という理屈っぽい議論を日常茶飯事、練習や野球の応援のあとに仲間としたことを懐かしく思い出す。 そして大学を卒業して、公務員試験にドロップし、絶対入りたくないと思っていた信託銀行に入った。
そして、金融機関の役割はまさに応援ではないか。志高い企業家や起業家の応援をすることではないかと、これまた理屈を付けて銀行に勤めることを自分に納得させた。 そうでもしなければ、銀行に入ったことが素直に腹落ちしなかったのだろう。

「私は何のために生まれてきたのか」「これからどんな生き方をすれば、幸せな人生と言えるのだろう」そんなことを絶えず考えて生きてきたような気がする。 そんな哲学的なことを考えてもそれはお金に結びつくことではない。実際お金を稼がなければ生きていけない。
そんなことで、「出世の階段を昇っていくことが幸せな人生を送ることになる」と自分に思い込ませようと思って生きてきたのだと思う。性格的に銀行のような金融機関は私の肌に合わなかったのだろう。

40代になって事業法人の新規開拓を任されて、そこで何人かの盛和塾の塾生の社長たちに出会い、そして稲盛和夫さんとの出会いがあった。
バブルが弾けて生き残りに必死だった銀行はその本来の「人や企業の応援」というミッションを見失ってしまった。というのは言い過ぎかもしれないが、その中に生きている私にはそう映った。

人生80年の時代だ。人生の半ばを過ぎ、そろそろ人生を振り返る年代になった。後悔はしたくない。棺を覆う時、「私の人生は幸せだった」と思って旅立ちたいと思った。 何も力のない私であるが、同じ想いの同志たちの力を借りてその想いを果たすことができるのではないか。そんな生き方をしたい。そんな思いがあった。

そして、四半世紀生きてきた。七転八倒、紆余曲折の四半世紀だったが、多くの温かい心根の人たちに出会うことができた。まだこれからだ。古来稀なる古稀と呼ばれる歳になってしまったが、これから半世紀、頑張ってみよう。 体力の衰えを感じ、無理はできない歳になった。心と身体のバランスを大切にして、無理の手前まで頑張ってみようと思う。

OUEN Japanはその名の通り、「日本を応援する」ということ。「日本を元気にする」「地域を元気にする」「企業を元気にする」「人を元気にする」「学生を元気にする」「皆んなで一緒になって、日本と地域を元気にする」

ボランティア精神と独立自尊の精神を持って、ビジネスを起こす。今までの失敗の体験を成功の種とする。そして、世のため人のために尽くすことだ。

そんなOUEN塾をつくっていきたい。私は応援団長。あくまでも黒子に徹する。人と人をつなぐことが私の役割だ。

大きなビジョンを描く人がいる。ビジョンを描く人がOUEN塾長。それを私が受けて、大学、企業、学生、自治体をつないでいく。私はそんな応援=OUEN団長。間違えてはいけない。 チームワークだ。それぞれの得意分野をフルに発揮することだ。
援けてくださる人たちはたくさんいる。彼らたちのサポートをいただくためには、志が高くなければならない。大義の下に人は集まってくる。必ず集まってくる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)