能登の地域創生=能登SDGs農業PARK

私の第二の生のミッションは地域創生である。OUEN塾は学生・留学生の比率が高い福岡県と石川県で開催していたが、このOUEN塾をベースに、九州北部(福岡・佐賀・長崎)と北陸(石川・富山)の地域創生に貢献することから始めたいと思う。

特に私のふるさとである能登地方、その中でも中能登地域に楔を打ちたいと思う。
中能登の中心は七尾市だ。加賀屋を代表とする温泉地である和倉や七尾湾に浮かぶ能登島も平成の市町村合併で七尾市に属することになった。

能登は輪島市や珠洲市がある奥能登と七尾市が中心の中能登に分かれる。一点集中。やはり私の想いの中ではまずは、私のふるさとである中能登に光を当てたいと思う。それが中能登に育った私の人情でもある。

OUEN塾は、学生たちがグループに分かれて、開催する4日間で、協賛する地元企業を訪問し企業と交流するイベントである。
事前に企業を研究することはするが、それは机上の勉強であり、血肉が通った交流になっているかと問われればそうではないと言わざるを得ない。それが能登の地域創生になっているかと言えば、おこがましくて地域創生に関わっているとは言えた代物ではない。

私は、コロナ禍の中でどうしたものかとずっとそのことを呻吟していた。やはり、直接的に地域創生に関わらなくては大上段に「地域創生」を掲げたことが恥ずかしいではないか。
そんな時、ある人の紹介でSeed Design Officeの小山(おやま)社長と巡り会ったのだ。

小山さんは、IT企業を経て農業コンサルティング事業で起業したベンチャービジネス経営者である。
それも高収益の農業経営でなければサスティナブルなものにならないこと。第一次産業の第六次産業化が農業が高収益になり、サスティナブルなビジネスが展開できると考えていらっしゃる。そして、これを群馬県太田市でチャレンジし、それは実現化しつつある。https://www.seed-design-office.com/

それを私のふるさとである中能登でもチャレンジし実現しようではないかと二人は意気投合したのだ。

【能登SDGs農業PARK】
「新時代の”高収益型農業”を能登から全国へ」がキャッチフレーズだ。
能登SDGs農業PARKは、バナナ栽培(まずは無農薬バナナの栽培)にとどまらず、2次産業(加工・食品製造)、3次産業(販売・観光)に踏み出すことで、地域への人の呼び込み、雇用創出を目指す活動である。農業PARKをハブとした6次産業化は、自然との共生、地域社会との交流、産業構造の学習、未来を担う子どもたちに「植物の生きる力」の学び等、収益事業でありながら、教育に活用できる事業である。

今までの地域創生には、この型破りの発想がなかった。サラリーマンの発想では何もできはしない。やはり、ベンチャー精神を持ったベンチャービジネス経営者でないと地域創生はできはしないと思う。

そんなことで、二人の地域創生の想いと、小山さんの培ったノウハウ、私の人のネットワークのそれぞれの強みを合わせることだ。
後は、その熱意を能登のイノベーションを解する経営者や地方自治体に熱く語ることによって早期実現化を目指そうと思う。
やはりオーナー経営者がコアになる。保守的ではなにも生まれない。

今日はちょっと能登でジャブを打ってきた。こんなものだろう。これからが私の真骨頂の見せ所だ。高い壁は私の望むところだ。壁が高いほど闘志は燃えたぎる。

再来週も能登に来る。そして、毎月能登に来ることになるだろう。

ふるさとは遠きにありてと思ふもの

能登に住む人たち以上に、私は、能登の地域創生に、私の第二の生をかけようと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ふるさと石川を思ふ。⑵

昨夜は能登と加賀のお酒で少し酔いが回り過ぎたのか、温泉には入らず、すぐ寝床に就いた。
目覚めたのが3時半。温泉に入るにはちょうどいい時間だ。4時前の風呂場には誰もいない。私だけの時間だとゆったり風呂に浸かっていたら、豈図らんや1人が入ってきた。 「珍しい人もいるものだ」と思ったが、この私がそうなのだからそれは天に唾するようなものだ。私と違って偶々早暁に目覚め温泉に足が向いたのだろう。

私は一般人の常識に拘泥することなく我が道を行くことで、それでいて人さまにご迷惑をおかけしないで、逆に人さまのために生きることをモットーにすることがストレスのない人生と思うようになった。 これは人さまにお薦めすることではないが、こんな生き方が人生を楽しく生きる一つのコツ、そんな生き方もいいじゃないかと思っていただく人もいらっしゃると思う。

人の心を慮る「恕の心」は、決して世間に染まることではない。相手が今どんなことを考えて、こうしたいと思っていることに思い至ることであり、決して俗世に染まることではない。

私は銀行で採用を7年間していたが、学生には「社会に出ても俗世に染まるな。俗世を下に見ることはいけないが、俗世に染まらず孤高の生き方を死守する孤高の人になることだ」とよく彼らと飲みながらよく「生き方」の話題をしたものだ。

私は中学時代に国語の時間に覚えた若山牧水の歌をこよなく愛している。

白鳥(しらとり)は哀しからずや
空の青、海の青にも染まずただよふ

私独自の解釈だ。
多感な中学生だったのだろう。私はこんな白鳥になりたいものだと思った。年齢を重ねても、空の青や海の青にも染まらないで生きていきたいものだと、その孤高な生き方に憧れたものだ。 それで世間的には損をしていることもある。しかし、たとえ世間に受け入れられたとしても、心が俗世に染まってしまったらどこに生きている意味があるだろうか。
私は決して濁世に染まることのない「白いハンカチ」になりたいと思った。そして、その心は未だに残っている。いや、より強く、逞しく、その想いは確信に至るまでに高まっている。

人の心に思いを致しても、それと自らの生き方は我が道を行くことだ。世のため人のために生きることだ。

もうすぐ5時になる。ちょっと一寝入りするか、眠れなくてもベットに横になって心穏やかにうつらうつらする。
今日もいいことがありますように。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ふるさと石川を思ふ。

2ヶ月半ぶり、2泊3日の北陸出張だ。昨日は北陸新幹線で富山に入り、今日は金沢と七尾を訪ねるので、いつもながらの金沢駅前のドーミーインに宿泊する。
勝手知ったるドーミーイン金沢だ。チェックインを済ませ、14階の温泉に浸かった。大相撲秋場所をテレビ観戦して、夕食は隣の金沢フォーラス6階にある回転寿司の「もりもり寿し」に行く。

ちょうど夕食時ということもあり、20組以上のお客が待っている。
渋谷マークシティ4階の美登利寿司は人気でいつも行列だが、私はそれを横目に見て入ったことはない。
「何でそんなに長く待ってまで寿司を食べるんだろう。そんなに待つならもっと仕事でもしたらいいんだ」
と言葉に出さないが心でいつもそう思うのだが、今日の私はそれと同じことをしている。

久しぶりのふるさと石川であり、「夕食は近場でたっぷりと日本海の魚を食べよう」と思ったからだ。美登利寿司での行列もそんな思いなんだと妙に納得する。

人間はいろんな思いがあって生きている。自分の考えと正反対と思っても、自分もそんな思いはちょっと心の片隅にあるものだ。
「盗人にも三分の理」という諺があるが、理は盗人にもあるのだからそうでない善良な人間皆んな、それなりの理があって生きている。
そのことに思いを致して他人のことを考えるべきだと寿司屋で1時間待ちながらそんなことを考える。

回転寿司と言っても回転している寿司はカッパや干瓢ばかり、それもちらほらで回転寿司は若い女性たちの呼び込みのためだろう。
皆んなタッチパネルで注文している。それは気楽に注文できるので、売上はタッチパネルがない時の倍以上なんだとか。今はコロナ禍でもあり、回転寿司の進んだところは回転しない回転寿司なのだろう。
そんなことで、生物があまり好きでない私も、北陸の貝類やイカタコ、ウニイクラを鱈腹食べた。
いつもは芋焼酎の水割りだが、能登の酒というので麦焼酎や石川県の日本酒を嗜んだ。
ふるさとに来るとなぜかホッとしてしまうのは私だけだろうか。

そして、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」が頭を掠める。
私は、ふるさと石川に住むことはないが、遠い東京(それでも今は北陸新幹線で2時間半)に住んで石川を想い、偶に帰ってくる。
そしてふるさと石川の地域創生に少しでも尽力することが私のミッションと思う。

小景異情 そのニ (室生犀星)
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや