本日は9月9日、重陽の節句(菊の節句)だ。
今までは5節句を意識していなかったが、私の戒名に「重陽」の2文字が入っているので、9月9日の『重陽の節句』は特別に意識してしまう。
5節句
奈良時代に中国から伝わった、奇数が重なる日をめでたいとした考え。江戸時代に幕府が節句を元に公的な祝日とした5つの節句が現代まで残っている。
節句とは、季節の変わり目に無病息災・豊作・子孫繁栄などを願って、供物をしたり邪気祓いを行ったりする行事のこと。
①人日(じんじつ)・・・1月7日
②上巳(じょうし・じょうみ)・・・3月3日、桃の節句
③端午(たんご)・・・5月5日
④七夕(しちせき)・・・7月7日、たなばた
⑤重陽(ちょうよう)・・・9月9日、菊の節句、栗の節句
【重陽の節句】
中国では奇数のことを陽数といい、縁起がよいとされてきた。なかでも最も大きな陽数「9」が重なる9月9日を「重陽の節句」と制定し、無病息災・不老長寿・子孫繁栄を願って、祝いの宴を開いたことが起源だ。
私の戒名は『不動院重陽博愛居士』だ。この戒名は、第二の生の私の本名でもある。
「不動院」
祖父が日露戦争で旅順の二百三高地でロシア軍と戦った時、金沢の第9師団が軍旗を露軍に奪われた。軍旗は天皇陛下そのものであり、西南の役のおりに政府軍が西郷軍に軍旗を奪われ、乃木さんがその責を取って切腹しようとした時に明治天皇に止めていただいたことにも象徴される。
その軍旗を奪い返したのが私の祖父だった。そのこともあり、祖父は上等兵ではあったが金鵄勲章を受章する名誉に浴したのだ。
祖父はこれは日頃から信仰しているお不動さまがお護りいただいたおかげと思って、能登のお不動さま建立の先頭に立って尽力した。そのようなことで、祖父の戒名は恐れ多くも、「不動院」を冠していただき、『不動院積徳永寿居士』と名付けられた。 その『不動院』を私の戒名にも付けていただいたのだ。
「重陽博愛居士」
戒名を付けていただいた瑞華院了聞の福井住職が仰るには、「重陽」とは陽のエネルギーが重なるということで、私の周りには陽のエネルギーを持った人たちがたくさん集まってくる。その人たちは心が清く、美しく、素直で真っ直ぐな心根の人たちばかりだ。そのような心豊かな人間になろうと努めて生きている人たちばかりだ。 その人たちのために、愛を広める(=博愛)のが私の第二の生のミッションなんだと。
福井住職は、そのような人間になるようにとお思いになって、その戒名を付けてくださった。いや、仏様が授けて下さったのだ。
第二の生はあと半世紀。第一の生と合わせて120年の生を生きることになる。健康には一層の留意をして、「生涯に亙り人間を磨く」精進をすることだ。 そうは思ってもいつあの世からお呼びがかかるやも知れず。日々の一瞬一瞬をど真剣に生きることが大切だ。
悔いのない人生と思ってもなかなかそんな生き方はできるものではない。日々反省をすること、至らなかったところは素直に反省して、日々心を改めて生きることだ。
重陽の節句にあたって、心新たに全うな人生を生きることを誓う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)