大才は袖触れ合う縁をも生かす

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9時発の新幹線のぞみの指定席を取っていたが、何事もせっかちの私は8時20分前に東京駅に到着した。京都で時間を潰せばいいと思い、8時20分過ぎののぞみ自由席に飛び乗る。京都駅で40分待って、山陰本線城崎行きのきのさき5号で12時40分に福知山駅に到着した。

福知山市の「もみじが丘病院」、宮津市の「成相山青嵐荘」を訪問。夜は福知山の鴨鍋を堪能した。
福知山は今回で2度目だ。懇親の席には、前回の福知山出張のおり知り合った森北千鶴さんもいらした。
彼女は45歳。ちょうど私が銀行を中途退職して、日本海の荒海に乗り出した歳になる。まだ45歳。若い。
人生80年であれば半分は過ぎているが、今は人生100年時代だ。まだ半分以上の人生がある。私のように120歳が天命と思えばあと75年だ。

人生は長いようで短い。
明日何があってこの世とおさらばするやも知れず。人生は何が起きるか分からない。100%絶対こうなるということはないのだ。しかし、完璧を目指したい。そんな人生を送りたい。 完璧を目指すが、完璧はあるはずもなし。さりとて完璧を目指す心と闘う心は持って生きたい。それが人生を極めて楽しく豊かにする。 両極端を併せ持つ心豊かなバランスある人生を送りたいと思う。

彼女とは親子というほどの歳の差がある。彼女のお父上は私の2歳上の72歳だとか。そんな娘のような女性と人生を語らう。ザックバランに人生の酸いも甘いも語り合う。 45歳はちょうど人生を振り返る歳なんだろう。私もそうだった。そして四半世紀して、今の私がある。

彼女も私同様、七転八倒、紆余曲折、七転び八転びの波乱万丈の人生が待っているやも知れず。しかし、それも結構楽しいものだ。
苦労を苦労と思わず、自らを成長させる磨き砂と思えば人生は楽しくなるのだ。一歩一歩の成長を楽しむことができる。人生は考えようだ。考えようによって楽しくも苦しくも悲しくもなる。 同じ生きるなら楽しい人生でないと生きる意味がないではないか。

森北さんは、9月10日の土曜日に東京に来るという。
この日は明治神宮球場で東京六大学野球リーグ戦東大対立教第一回戦があり、OB・OG集合日だった。しかしコロナで10月に繰延になった。ちょうど予定は入っていない。ウェルカム森北さんだ。

昼はつい先日行った青山グランドホテルのKAWAKAMI-AN(川上庵)という青山らしい洒落たお蕎麦屋さんで昼から一杯と行こうか。

柳生家の家訓
小才は縁に出会って縁に気づかず
中才は縁に気づいて縁を生かさず
大才は袖触れ合う縁をも生かす

せっかく出会ったご縁ではないか。それに出会っても気づかなかったり、気づいても生かさなかったりしたら何と勿体ないことではないか。 袖触れ合う縁をも生かす大才になりたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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