私は運がいい人間/綱渡りの人生

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中村天風翁の【絶対積極】と【相対積極】について考える時、松下幸之助さんの【絶対積極】の具体的実例を思い浮かべる。

松下幸之助さんは採用面接の時、必ずこんな質問をしたと言われている。

「君は運がいいか?」

自分は運が強いんだと確信していれば、どんなことでも受け入れて立ち向かう勇気と力が生まれてくる。人から見ると決して運がいいとは思えない状態であっても、自分は運がいいと思い前向きの人生を送る人が成功を勝ち取ることができる。松下電器はそんな運がいいと考える人を採用したのだ。

翻って、私自身の来し方の人生を振り返ってみる。

私の来し方の人生は「運がいい人生」だったと思う。七転八倒、紆余曲折の「綱渡り人生」だったが、楽しい幸せな人生だった。

小中学校の成績は学年ではトップを維持していたが、所詮、能登の片田舎の小中学校だ。全く格別に秀でた頭脳を持ってはいなかったが、周りから煽てられて豚が木に登ってしまったのだ。

高校は地元の七尾高を目指していたが、先生が金大附属高を推薦してくださるという。
この高校は石川県下の中学生は推薦でしか入学できなかった。入りたくても中学校の推薦がなくてはどうしようもない。中学3年生での模擬試験の成績が合否に大きなウエイトを占めていた。それくらいしか合否を判断する材料がないから当然のことなのだろう。
先生は私を推薦したいから「模擬試験を頑張れ」という。そんなことで10回の模擬試験を受験した。まぐれが続き、その内の5回はトップだった。そのせいもあり、おかげさまで金大附属高校にめでたく合格することができた。これも「小林はできる」と煽てられたからできたことだった。

高校では、田舎から出てきたことで最初は小さくなっていたが、同級生に「小林は面白い奴だ」と煽てられたことで、文化祭や予餞会で「王将」の寸劇で坂田三吉を演じたり、「巨人の星」の星飛雄馬を演じたりして高校の人気者になった。
大学受験は東大か京大を考えていた。私は京大の前身である旧制第三高校の寮歌が好きだった。自由闊達でロマンチックな校風に憧れていた。しかし、祖父の「東大を目指せ」の遺言もあり、東大を受験しおかげさまで現役で合格することができた。これも運がいいと言ったら運がいい。

東大では応援部漬けの大学生活だったが、ここで学んだ「応援哲学」「3Sスピリッツ」(Service、Sacrifice、Study)は私の人生哲学になっている。東大応援部に入部していなければ今の自分はない。京大でなく東大で良かったと思う。

公務員試験はドロップしたが、私のような性格では公務員は無理だったろう。義理人情でがんじがらめにされてお縄ということになりかねない。公務員にならなくて良かった。
銀行員には向いていないと思ったが、安田信託銀行は銀行らしくない銀行で、私の勝手気ままを結構許してくれた。21年勤めて、やはりこれ以上銀行員を続けるのは無理だと思って辞めたのだが、それまで何とかやってこられたのも安田信託銀行だったからだった。 銀行では妻にも巡り会って、人からは「小林には過ぎた女房」だと言われることが多い。これも私は運がいい。

45歳で銀行を辞めて四半世紀が過ぎた。七転八倒、紆余曲折の四半世紀だったが、盛和塾と稲盛和夫さんに巡り会って、東大応援部の3Sスピリッツと稲盛哲学を合わせた、私なりのOUEN哲学を持つことができた。それは日々を追うごとに確固としたものになっている。 災いと思っていたことは災いではなく自分を磨く磨き砂だったのだ。

そして、古稀になって生前葬&出陣式を経て第二の人生を謳歌している。
第二の人生での生業はOUEN Companyと OUEN塾だが、今はコロナ禍でOUEN Companyに特化せざるを得ないが、それはビジネスマッチングのみならず、私が渦の中心になるビジネスコラボレーションに拡がってきている。 これは私が仕掛けてなっているものではないが、天がそのようにしてくださっている天恵ではないかと思う。これを運がいいと言わずしてなんと言おうか。

慌てず、焦らず、じっくりと大きく育てていきたいと思う。

私は運がいい。

結果として私の天寿は120歳でないかもしれないが、人生120年と思って頑張っていこう。そしてその時が来たら、快くバトンを後輩に託そうと思う。

松下幸之助さんではないが、運がいい人生は幸せな人生だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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