終戦記念日に「人間の成長」を考える。

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昨日は終戦記念日だった。

午前は、かかりつけ医である南青山の藤田クリニックを受診した。月に1回の通院している。おかげさまで健康的な生活を続けている。

痛風とは30代後半から30年以上の付き合いになる。
また、還暦を過ぎてから少し血圧が高くなってきたので、血圧を下げる薬も飲んでいる。
大学生時代から少し太り気味のきらいがあり、現在の体重は70kg前後だ。これくらいが長生きできると言われるが、中性脂肪が高いのは芳しくはない。その薬も調剤してもらっている。 それに加え、還暦を過ぎてからは、一つならずの健康食品も服用している。

歳を取ると健康を維持するにはお金がかかる。日本の国民皆保険制度の有り難さを痛感している。
日本人は世界最高の長寿国であるが、私のような健康な高齢者であっても相当の医療費は使っているのだから、国費がパンクするのは当然至極だ。
元気な高齢者はもっと仕事に精を出して、お国の足を引っ張ることのないようにしなければならないと思う。これはお国のためであり、自分の健康のためでもある。私個人としては、悠々自適な生活は次の世まで取っておきたいと思っている。

藤田クリニックの受診を終えて、妻と、”昭和の快男児 日本を救った男 安藤明”さんが眠っている 青山墓地のお墓参りをした。8月15日は安藤明さんのご命日でもある。 6日(土)に裕美ちゃんとお参りして盆花をお供えしたが、雨台風のせいもあって花は枯れていなかった。
加えて墓前にはポリバケツに沢山の盆花が刺してあった。裕美ちゃんは14日に父上が親戚の方とお参りされるとお聞きしていたので、きっとそうなのだろう。 6日にお供えした花を捨てずに、その脇にお供えされるとは、ちょっとした心遣いだ。なぜかありがたいホッとした気持ちになった。

8月15日は日本人にとって特別な日なのだ。決して戦争を起こしてはならないという不戦の誓いを日本人全体で確認する日である。 また私にとってこの日は、「人生如何に生きるべきか」「何のために私はこの世に生を享けたのか」を改めて深く思考する日でもある。

生まれて70年、馬齢を重ねて古稀を迎えるまでになった。そして私はその70年を振り返り思うことがある。これは確信でもある。

それは「人間は日々成長する動物だ」ということだ。
これからの半世紀(生き抜くことは至難の業ではあるが)、少しずつでも一歩一歩日々成長していきたいと思う。それが私が人間であるということだ。 「成長なくして人間にあらず」

私の生業は人と人とをつなぐマッチングにある。それだけ人間を大好きだということだろう。”好きこそもののじょうずなれ”は真実だ。

だからということなんだろうが、私は人好きで、だからお人好しだ。多くの人に可愛がっていただけるが、また、一人ならずの人に騙されることもある。

人間の成長とは、可愛がっていただける人がどんどん多くなっていくことであり、騙される(こちらがその人に期待していたことがそうではなくなる。その人を見損なう)ことがどんどん少なくなっていくことなのではないかと思う。

おかげさまで、第二の生になって、前者はどんどん増えてきたし、後者は減ってきたように思う。

騙されることが多いというのは、私の人の見極めが甘いからだ。騙すより騙されるほうがいいとは言われるが、できれば騙されないほうがいいに決まっている。 人の見極めが甘いから人を買い被り、期待してしまう。そんな人と付き合わないということではない。人を見極め、人との相応しい距離感を取ることなのだろう。 そして、こちらから相手に良い刺激を与えることで、その人が少しでも成長してくれれば尚良しと思う”懐の深い人間になる”ことだ。 これは決して上から目線ではない。あくまでも人とは対等に付き合う広い穏やかな心の持ち主になることだ。

騙されること、こちらの期待に応えてくれないと嘆くことは、こちらがまだまだ至らない成長していない証拠だということだ。

もっと成長しなさい。
もっと大きな器の人間になりなさい。
そして、ネバー・ネバー・ネバーギブアップで人生を生きることだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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