半世紀に亙る心友たちと美食を堪能する。

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昨夜は、西櫻亭(伊勢丹新宿レストラン街)にて、50年来の友人二人(圓角健一さんと馬形貢さん)と実に楽しい懇親の席を持った。 安藤裕美さんも同席の予定だったが、急用で欠席になったのがとても残念だった。

圓角さんは、高校と大学の1年後輩だ。
柔道部での部活での出会いからだから、16歳から半世紀以上の付き合いになる。
私が東大に合格したこともあって、1年後輩達は、こぞって東大を受験した。金沢大学附属高校は、一学年が150名のこじんまりとした高校だが、昭和47年(私は46年)の合格者は何と42人だった。 「小林さんが合格したのなら私も合格できるだろう」とかつてない生徒が東大を受験したのだ。
灘や開成ならいざ知らず、金沢の田舎の高校から1/3近くが東大に合格したことは前代未聞だった。そして、金沢附属は、この時の42人の合格者は未だ破られていない。そして、私はその影の功労者である。

圓角さんは東大の試験の前に、私の杉並区下高井戸の3畳1間の狭い部屋に泊まっていった。
試験の前はホテルに泊まって心を落ち着けて受験に臨むものだと思うが、よくもまぁ、きれいとはいえない狭い下宿に泊まったものだ。こちらが緊張して眠ることができなかったことを覚えている。

また、私が宛名を間違えて、鎌倉の円覚寺の円覚で手紙を出した時がある。圓角さんは「苗字のエンカクは円覚ではなく圓角だ」と返信があったことも懐かしく思い出される。 東大を卒業して東京ガスに入社されたが、私は彼が関連会社社長の時にも大層お世話になった。

一方、馬形さんは、安田信託銀行の2年後輩だが、大学の時から顔見知りの間柄だ。
私は文京区西片に下宿していたが、その近くに鶴山館という岡山県の県人寮があった。岡山県津山市には鶴山城があり、それで鶴山館の名が付いていたのだが、まるで旧制高校の寮であるかと思うような当時でも珍しいバンカラな寮だった。
文京区春日にあった「養老の滝」という居酒屋で、鶴山館寮生が私たち東大応援部員が学生服で飲んでいたことで「君たちは東大応援部か」と因縁をつけられたわけではないが、なんだかんだあって、それがきっかけで、東大応援部の後輩たちも鶴山館寮生と親しくなったのだ。そのひとりが馬形さんだ。 私が4年の時、彼は1年。3年後輩だが私が1年留年したため安田信託では2年後輩になった。
馬形さんは、私が安田信託銀行に入っていたことで、大手証券会社の内定を断って安田に入ってきた。昭和53年入社は石油ショックの時で安田の採用は30名を少し超えたくらいだった。きっと馬形さんは最後の一人だったのではないか。私が推薦して、人事部も「小林の友人なら」と採用してくれたのだと私はそう思っている。 彼と知り合ったのが22歳だから、48年の半世紀近くの友人である。

二人の共通点は、性格は違うが、二人とも義理人情に厚い好漢であるということだ。彼らとは、損得抜きで半世紀付き合ってきた。二人とも昔のままで精神の純粋さは若い時と全く変わっていない。寧ろ、半世紀の山坂がその純粋さを深く美しいものにしている。

人間は一人では生きていくことができない。心を割って付き合ってくれる朋友が心の支えである。
応援団の仲間たちともども美しい心根の朋友たちを大切にして生きていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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