「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」は昔の話

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今朝の東京は雨模様だ。一昨日、昨日と2時間早朝ウォーキングで汗を流したが、今朝は止めにしようと思う。土砂降りでないから少し濡れてもどうということはないが、敢えて雨の中をウォーキングすることもない。こんな時は、天の指図に素直に従うことだ。

平成20年5月(満54歳)に個人会社南青山ビジネスパートナーズを、平成26年1月(満60歳、還暦)にNPO OUEN Japan を立ち上げた。多くの人たちに支えていただいて今まで何とかやってこられた。個人会社もNPOも実質私個人そのものであるが、緩やかで強固な人間関係の中で仕事を続けてくることができている。
独りであっても独りではない。サラリーマンは大会社であろうと中小企業であろうと組織人として生きていかなければならない。しかし、その組織が心穏やかで楽しい組織であるか否か。皆さん、結構ストレスは溜まっているのではないか。 サラリーマンとは組織の中で孤独に生きている人たちなのではないか。私はそんな気がする。

幼少の頃、私は父に言われたことがある。
「お前は大組織の階段を昇って生きていくのが性に合っている。会社を立ち上げるとか自由人で生きていくには不向きだ。しっかりとした組織に入り、出世の階段を一歩ずつ昇っていくんだぞ」と。今はそれは全く私には当てはまらないと悟っている。

当初、私は東大を卒業して官僚になろうと思った。大学では殆ど勉学には精を出してこなかったから
上級公務員試験にはdropし、民間の信託銀行に入社した。
私が入った安田信託銀行は大銀行とは思えないくらい自由闊達な雰囲気があり、私の勝手気儘を結構許してくれた、実に珍しい銀行だったと思う。 しかし、20年も勤めると、そんな勝手気儘はだんだん通用しなくなる。「偉くなるにはもうそろそろまともな銀行員になれ」と周りがそんなことを言う。
そうでなければ偉くはなれない。少しそんなストレスを感じ、ちょうど金融自由化の時代に突入し、バブルが弾けたこともあり、普通の銀行員への締め付けに私はストレスを感じたのだ。
そのピークは満44歳の時に来た。保守的な銀行で生きていくのは私には似合わないと思って、若気の至りもあって銀行を中途退職をした。ちょうどベンチャービジネスの開拓をしていたこともあって、小組織ではあるが、あるベンチャービジネスに入ったが、やはり小なりと言えども組織であることは間違いない。また、小はオーナー会社でもある。オーナー色が強く、大企業とは別なストレスがある。 オーナーの顔色を見て仕事をしないと仕事にならない。そんなことは当たり前だ。大会社のストレスとは違う次元のストレスに晒され、私は4年で辞めることになった。
その後、中小企業や生命保険エージェントを経て独立するに至ったのだが、これもまた、何も保証がない不安定というストレスがある。個人会社やNPOを立ち上げ、七転八倒して何とか今まで生きてきた。 そして、やっと今、自由人になれたような気がする。独りでも独りではない。緩やかでも強固なネットワークを活かして、世のため人のために生きることができる。 かっちりした組織に属していないが、私は渦の中心である緩やかで強固な組織を創っている。これが私には一番居心地がいい。

朝は3時起き、ウォーキングを日課とするが無理はしない。朝寝をしたり昼寝をしたり。夜は早い日は19時に寝る。21時まで起きていると、真夜中まで起きていたような感覚になる。気の向くまま、風の吹くまま。

生きるベースは世のため人のため。これをぶらすことはできない。これがあるから、仕事が遊びになる。武田鉄矢の歌ではないが「休みたいとか遊びたいとか思ったら死ね」とは、私に言った台詞のようだ。ほんとに休みたいとか遊びたいとか思ったら死んだほうがいいと思う。

サラリーマンの悲哀を分かってあげようと思う。彼らはストレスに苛まれているのだ。可哀想なくらいストレスの中に生きている。
その点、私は恵まれている。恵まれているからこそ、彼らのお手伝いをして差し上げようと思うのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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