沈思黙考のウォーキング

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今朝も4時過ぎに起きて事務所に行き、5時前にウォーキングで事務所を出た。7時直前に事務所に戻ったから約2時間のウォーキング、16千歩強。明日から3泊4日の出張だが、次回のウォーキングは出張帰りの23日(土)になる。

歩きながらいろいろ考える。ウォーキングの2時間は私にとって沈思黙考のひと時になっている。

私は人と人を繋ぐことがビジネス(含、ボランティア)であり、人との付き合いが何より私の財産だ。
会う人は全てその財産であってほしいが、相手様も人間であるからそう思うようには事は運ばない。

飛んだ食わせ物はこちらから願い下げだが、そうでもない人でも少なからずの人は縁が遠くなって行く。
生まれ変わったからというわけではないが、ここ1年前くらいから私は人と争うことを極力避けて生きるようになった。諍いは何も自分に益を生まないからだ(私は人一倍自己中の人間だから、自分に益のないことはやらないことにしている。第二の生はこれを徹底して生きていきたいと思っている)。
そうすると、よく人の考えていることが分かるようになってくる。そして、思ったことは、私と性が合うか否かということもあるが、それよりも、私から離れていく人は、自分の利を第一に考えて、それが絶対的に優先する人のように思う。 「自分が一番大切」ということは人間全てそれが当然のことだ。私も人後に落ちない”利己主義の塊”だと自覚しているからその通りと思う。
しかし、人のために尽くしてこそ、自分の利はついてくると思ってお付き合いをしている。そうすると、場合によっては義理人情の世界で生きているものだから、損得勘定抜きで行動することは少なからずあるものだ。 しかし、決してその義理人情を解さない自己中の人間がいる。少なからずそんな人間はいる。
そんな人とは喧嘩別れなどと野暮なことはしないが、自然と付き合いの足が遠のいていく。昔はその遠のき方があまり上手ではなかったのだが、馬鈴を重ねて古稀にもなるとなかなか上手になってくるものだ。

あの人とあの人とあの人はこれから遠のいていくな、と自然体で分かってくる。
そして逆に、いい関係になっていく人たちはどんどん増えてくるものだ。そんな人たちがどんどん私の周りに集まってきてくれる。これこそが”重陽”=陽のエネルギーなのだ。

利他の心を持つことはそれはなかなか難しいことだが、利己の心は誰にでもある。
私は、第二の生を生きるにあたり、「利己の心を極め続けると利他の心に近づくという真理」=「応援哲学」を身を以て悟ったように思う。これからは、これをどれだけ深く実践していくかだ。

利己と利他の関係はそんなところのような気がする。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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