「人生春夏秋冬」と「上り坂の人生」

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コロナの第7波が到来している。コロナは変異し続け、人を介して拡散していくので撲滅されるということは皆無に近いのだろう。
いつの時代でも感染症と共に生きることが人類の宿命ということか。

兎にも角にも、早くコロナがインフルエンザと同じレベルになってほしいものだ。

人間の運命にも波がある。人生は「山あり谷あり」波瀾万丈だ。人生は季節に擬え、人間はそれぞれの春夏秋冬の季節を生きることになる。

安倍元総理は凶弾に倒れ67歳の生涯を閉じることになった。亡き父である安倍晋太郎さんは病に倒れ同じく67歳の生涯だった。それが安倍元総理の宿命だったのか。 「天は無情」とも思わざるを得ない。天の意思にも困った意思がある。

その安倍元総理は、父の葬儀において、吉田松陰の「四時ノ循環」を送る言葉として引用した。

「67歳で亡くなった父には67歳の中に自らの四季があったように思います。安倍晋太郎の死は、首相を目前に志半ばで惜しいというものではありません。
政治家としての安倍晋太郎の生涯を全うしたのだと考えています。結果としてどのようなものを残せたかは父自身では知ることはできませんが、一番近くにいた自分が志を見て、受け継いで、またそれを伝えていくことで、安倍晋太郎の生涯は喜べる生涯だったのではないでしょうか……」

吉田松蔭も「留魂録」で言っている。

「春に種を蒔き、夏に苗を植え、秋に実り、冬には蓄える。
人にも同じように四季があります。
人の命とは歳月の長さではない。
それぞれの春夏秋冬があり、実を結んでいる。
私は30歳ですが、収穫の時を迎えたと思っております。
どうか一粒の籾として、次の春の種となれますよう」

[人生春夏秋冬]
中国五行思想では、人生は春夏秋冬ではなく、人生は冬から始まるのだと言う。冬春夏秋なのだ。
冬の暗さ寒さを乗り越え(玄冬)、はち切れる春(青春)を経て、燃える夏(朱夏)を迎える。
そして、実りの秋(白秋)で人生の結実を果たすのだ。それは、その長さではない。
「その人は何を成したか」という成果が問われるのだ。その成果は財産でも名誉でもない。人間としてどれだけ人のために尽くしたかが問われるのだ。

私は凡人も凡人、馬鈴を重ね齢70の古稀を迎えるに至った。
だからこそ、私の第二の人生(人生後半戦)はその成果を追求しなければならない。
しかし、有限の命であるから、それは志半ばで倒れることになるだろう。だからこそ、並行して、継いでくれるだろう志が同じ人たちを育てていくのだ。

人の命はいつ果てるやら、これは天のみぞ知ることだ。ただ、前向きに前のめりになって、真っ直ぐ、想いを貫き続けることだ。

[上り坂の人生]
人生は上り坂があって下り坂がある。生まれた時点がゼロであれば、ゼロからその人なりの100を目指して、そして、人生後半戦は緩やかに下り坂を下っていく。 そして、ゼロ時点になってこの世とおさらばする。それが人生なのだろうか。

私はずっと上り坂の人生を歩きたいと思う。
山歩きをすると、頂上まで登っていく途中は下り坂もあるし、峠もある。下り坂でちょっとホッとして呼吸を調整したり、峠で一休みして体勢を整えることで、楽しい山登りになるのだろう。そんな下り坂や峠がないと上り坂を上り続けることはできないだろう。 そして、最後は山の頂上に辿り着く。下り坂や峠は上り坂を元気に上っていくためにあるのだ。鳥の目からすれば、山登りはずっと上り坂なのだ。 そして、ゼロからスタートして、ピークでおさらば。そんな人生を生きていきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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