新生[OUEN Japan]の新年会

昨日から熱があるようで少し体がだるい。もしかしたらコロナではないかと心配になった。
そんなことで、今朝は、いつもの早朝ウォーキングを取りやめた。体温を測ってみると、36度後半だ。平熱は36度前半なので、それくらいでもこんなだるさになるんだと思ってビックリ。 コロナは、37度どころか38〜39度らしいから、たまったものではない。仕事どころではないだろう。
事務所に抗原検査キットがあるので、チェックしてみたが、negativeと出た。今のところ陰性なのでちょっとホッとした。

ここのところ、熱帯夜が続いてクーラーをかけっぱなしで寝ていたので夏風邪をひいたのかもしれない。風邪薬を飲んで、今日一日は自宅で安静にして寝ることにした。

今週のスケジュールは、月は北九州で日帰り、水〜金は福知山と大阪、金の朝1番の新幹線で東京に戻り、午後に東京でいくつかのアポが入っている。 今日の日曜日は自宅でゆっくり寝る休息日にする。ちょうど休息日が土日とは、なんと私は運がいい幸せな人間だろうか。

毎年末(12月中旬)にはOUEN望年会を開催している。ここ2年はコロナで中止を已む無くしたが、今年は何とか開催したいと思う。 これまではお茶の水の東京ガーデンパレスの一番広い部屋での開催だったが、生憎、全て埋まってしまっている。8日だけ空いているが、ちょっと早い。 それではと思い、出陣式を行なった日本青年館に問い合わせてみた。こちらも12月はいっぱいなのだと。
ここ2年は年末のパーティは開催できなかったが、今年は何とかやりたいということだろう。皆、私と同じことを考えている。

それでは、私は出陣式で生まれ変わったことだし、OUENの集いも年末から年始の新年会にしよう。新年会なら1月下旬。ということで空いている日を聞いてみると、26日(木)が空いていた。 では、1月26日(木)に日本青年館にて新生OUEN Japan新年会を開催することに決定した。

コロナがどうなるか分からないが、出陣式と同じ規模でできるだろう。1卓7人で20卓。アッパーは150名だ。間隔も出陣式から7ヶ月と、ちょうどいい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

半世紀に亙る心友たちと美食を堪能する。

昨夜は、西櫻亭(伊勢丹新宿レストラン街)にて、50年来の友人二人(圓角健一さんと馬形貢さん)と実に楽しい懇親の席を持った。 安藤裕美さんも同席の予定だったが、急用で欠席になったのがとても残念だった。

圓角さんは、高校と大学の1年後輩だ。
柔道部での部活での出会いからだから、16歳から半世紀以上の付き合いになる。
私が東大に合格したこともあって、1年後輩達は、こぞって東大を受験した。金沢大学附属高校は、一学年が150名のこじんまりとした高校だが、昭和47年(私は46年)の合格者は何と42人だった。 「小林さんが合格したのなら私も合格できるだろう」とかつてない生徒が東大を受験したのだ。
灘や開成ならいざ知らず、金沢の田舎の高校から1/3近くが東大に合格したことは前代未聞だった。そして、金沢附属は、この時の42人の合格者は未だ破られていない。そして、私はその影の功労者である。

圓角さんは東大の試験の前に、私の杉並区下高井戸の3畳1間の狭い部屋に泊まっていった。
試験の前はホテルに泊まって心を落ち着けて受験に臨むものだと思うが、よくもまぁ、きれいとはいえない狭い下宿に泊まったものだ。こちらが緊張して眠ることができなかったことを覚えている。

また、私が宛名を間違えて、鎌倉の円覚寺の円覚で手紙を出した時がある。圓角さんは「苗字のエンカクは円覚ではなく圓角だ」と返信があったことも懐かしく思い出される。 東大を卒業して東京ガスに入社されたが、私は彼が関連会社社長の時にも大層お世話になった。

一方、馬形さんは、安田信託銀行の2年後輩だが、大学の時から顔見知りの間柄だ。
私は文京区西片に下宿していたが、その近くに鶴山館という岡山県の県人寮があった。岡山県津山市には鶴山城があり、それで鶴山館の名が付いていたのだが、まるで旧制高校の寮であるかと思うような当時でも珍しいバンカラな寮だった。
文京区春日にあった「養老の滝」という居酒屋で、鶴山館寮生が私たち東大応援部員が学生服で飲んでいたことで「君たちは東大応援部か」と因縁をつけられたわけではないが、なんだかんだあって、それがきっかけで、東大応援部の後輩たちも鶴山館寮生と親しくなったのだ。そのひとりが馬形さんだ。 私が4年の時、彼は1年。3年後輩だが私が1年留年したため安田信託では2年後輩になった。
馬形さんは、私が安田信託銀行に入っていたことで、大手証券会社の内定を断って安田に入ってきた。昭和53年入社は石油ショックの時で安田の採用は30名を少し超えたくらいだった。きっと馬形さんは最後の一人だったのではないか。私が推薦して、人事部も「小林の友人なら」と採用してくれたのだと私はそう思っている。 彼と知り合ったのが22歳だから、48年の半世紀近くの友人である。

二人の共通点は、性格は違うが、二人とも義理人情に厚い好漢であるということだ。彼らとは、損得抜きで半世紀付き合ってきた。二人とも昔のままで精神の純粋さは若い時と全く変わっていない。寧ろ、半世紀の山坂がその純粋さを深く美しいものにしている。

人間は一人では生きていくことができない。心を割って付き合ってくれる朋友が心の支えである。
応援団の仲間たちともども美しい心根の朋友たちを大切にして生きていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

1粒で2度おいしいグリコのおまけ

3泊4日の九州出張を終え、疲れが出たようで朝はいつも通りに起きることができなかった。
早朝ウォーキングは取りやめて、7月の最終営業日でもあり、事務作業に勤しんだ。これが私の休息日ということだろう。

午後3時まで、8〜9月の出張の電話でのアポ取りを開始だ。
8〜9月は、北九州(1日)・福知山(1日)大阪(1日)札幌(2日)・福岡(3日)・富山(2日)・石川(2日)と、盆を挟んでいるのに、至るところ飛び回っている。
半分旅行と思えば、また楽しい。ホテルはドーミーインだから、温泉気分に浸ることができる。寝るだけの安いホテルは山ほどあるが、こんな私のビジネススタイルであれば、やはりドーミーインに拘ることになる。

私はビジネスマッチングが生業であるから、お願いされた企業の方との同行が中心だ。勿論、私はセッティングだけであり、話の中心はそれぞれの企業の商品やサービスになる。だから渦の中心は私ではないと思いきや、そうではない。 私がアポイントを取り、スケジュールは私が決める。私が渦の中心なのだ。
妻は「ついでができない人」と私のことをいうが、私のビジネスは、この”ついで”を如何に高パフォーマンスで行なうことができるかなのだ。
そして、それぞれを点から線へ、線から面へ拡げていくのが私のビジネスだ。そして、これに学生や留学生が絡んでくる。若い力を動員することができるのは、私ならではのビジネスだ。 それによって老若男女、地域内と地域外、全ての人たちが絡み合って、私たちが住み働き学ぶ地域を創生していく。

来週は北九州と福知山・大阪の出張が続く。実りある1週間になるだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

グラシアスと角打ち

昨日、本日の福岡・長崎出張は、(株)グラシアスグループのビジネスサポートだ。
同社の山本さんと齋藤さんのお二人を同行して福岡の企業を訪問した。

グラシアスグループは、法人向けのコスト削減商材や業務改善に関する商材、福利厚生に特化した商材を提供しているベンチャービジネスだ。
私は同社顧問として、「エコモ」という電気使用量を最大20%削減する節電ユニット(特許取得済商品)を全国に拡販するため、OUEN Companyを中心とする法人を同社にご紹介することを引き受けた。

昨年9月から石炭や天然ガスなどの輸入価格が高騰している影響で燃料調整費等が値上げされているため、電気料金が上昇している。電力ロスを低減し、電気料金を削減する「エコモ」は、地球の環境問題を解決する一つのツールとして貢献する商材だと思い、同社顧問を引き受けたものだ。この商材を紹介することは、OUEN Companyの経費削減に貢献することができ、 成約した時の報酬はOUEN塾の運営資金になる。Win Win Winの三方よしだ。

首都圏・関西圏は勿論のこと、OUEN塾を展開している福岡をはじめとする九州北部(福岡・佐賀・長崎)、私のふるさとである北陸(石川・富山)に拡めていきたいと思う。

そんな思いで各社を訪問したのだが、最後の訪問先は九州北部信用金庫協会の篠原専務だった。
ここのところ、篠原さんを訪ねる時間は始業前が続いていたので、篠原さんは、次回は「角打ち」にしようと仰る。真面目な話だから、飲みながらでは困るというと、きちんと話は聞くと。
篠原さんとは飲んでも飲まなくても中身の話はいつも真面目で真剣だ。「角打ち」でざっくばらんに話し合い、温かい人間関係をつくることが、ビジネスの基本だ。山本さんも齋藤さんもそのほうがスムーズにビジネスは進むだろうと思い直し、それでは18時半に博多駅博多口の山崎酒店で落ち合うことにした。 この懇親会は、楽しい実のあるひと時になった。流石、篠原専務の言葉は的を得ていた。

篠原さんが仰るには、「角打ち」はどちらがどうだということではないが、迎賓館と下品館があり、山崎酒店は前者なのだと。食べログの評価は極めて高い。

山本さんも齋藤さんも角打ちは初めてのようで、感激していらしたが、下品館もまた味のある店だ。これからはちょくちょく福岡に出張することになるだろうから、次は下品館で角打ちを堪能してもらいたいものだ(私は1年以上前だろうか。しっかり堪能させていただいた)。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

与えられたミッションを自覚して、それを果たすことが、 人間の幸せである。

「袖振り合うも多生の縁」という諺がある。道を行くとき見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味だ。どんな小さなちょっとした人との交渉も偶然ではなく、全て深い宿縁によって起こるのであるという意味である。

また、”縁”に関して、柳生家に以下の家訓がある。

小才は、縁に会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす

私は人と人のご縁を結ぶことを生業にしている。ビジネスとボランティアは対比されるものではなく、根っこは同根である。2つとも人と人のご縁をつなぐ人間の行為である。 だから”自分だけよかれ”と思う寂しい心根では、そのご縁は一回限りで消えていき、決してサスティナブルなものにはならない。
絶えず相手がどんなことを考えていてどんなことを望んでいるのか、そのお手伝いを私はどれだけすることができるのだろうかと絶えず真剣に考えることで、袖振り合うご縁も太く厚い熱いものになるのだ。

昨日は3件のマッチングに立ち会ったが、いずれも温かい人間関係が構築できるものだった。そして、それはちょっとした1つのことから、どんどん拡がっていくものだ。それはごく自然に拡がっていく。
“自分だけよかれ”の心根を持っていると、その時は得をした気になってもそれは1回切りになってしまい、長い目でみたら何をやっているのか分からないことになってしまう。そんな簡単なことを分からないで生きている人間が如何にたくさんいることか。心したいものだ。

これから朝一の福岡行きのANAに乗る。今日は福岡に泊まり、明日は長崎に向かい、長崎から帰ってくる。先週とは逆コースだ。来週も北九州日帰りがあり、福知山・大阪の関西出張だ。再来週は札幌出張と、ここのところ出張づいている。

皆さん、コロナコロナと感染を心配してくださるが、この2年以上の間、コロナと付き合ってきて、皆さん、その対処の仕方は分かってきたのではないか。世の中、絶対ということはないから、100%感染しないということはないが、その確率をゼロに近づけることはできるはずだ。 これからはwithコロナで生きていかないと幸せな人生は送ることができない。

金沢大学附属高校22回生(昭和46年3月卒)同期会は東京で先行復活させようと思う。10月8日(土)に伊勢丹新宿の西櫻亭で開催する予定だ。 一昨年予定していた50周年も、一年延期した昨年もコロナで開催できなかった。
では55周年まで待つのか。いや、その前に露払いが必要だ。それは関東同期会が請け負おう。
何せ、私のビジネススタイルは露払いがビジネスなのだ。本番はそれぞれの当事者がしっかりとやってもらおう。

人にはそれぞれの役目があって、その役目を果たすためにこの世に生まれてきたのだから。何もトップになることが幸せではない。それぞれに与えられたミッションをしっかり果たすことが幸せということだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」は昔の話

今朝の東京は雨模様だ。一昨日、昨日と2時間早朝ウォーキングで汗を流したが、今朝は止めにしようと思う。土砂降りでないから少し濡れてもどうということはないが、敢えて雨の中をウォーキングすることもない。こんな時は、天の指図に素直に従うことだ。

平成20年5月(満54歳)に個人会社南青山ビジネスパートナーズを、平成26年1月(満60歳、還暦)にNPO OUEN Japan を立ち上げた。多くの人たちに支えていただいて今まで何とかやってこられた。個人会社もNPOも実質私個人そのものであるが、緩やかで強固な人間関係の中で仕事を続けてくることができている。
独りであっても独りではない。サラリーマンは大会社であろうと中小企業であろうと組織人として生きていかなければならない。しかし、その組織が心穏やかで楽しい組織であるか否か。皆さん、結構ストレスは溜まっているのではないか。 サラリーマンとは組織の中で孤独に生きている人たちなのではないか。私はそんな気がする。

幼少の頃、私は父に言われたことがある。
「お前は大組織の階段を昇って生きていくのが性に合っている。会社を立ち上げるとか自由人で生きていくには不向きだ。しっかりとした組織に入り、出世の階段を一歩ずつ昇っていくんだぞ」と。今はそれは全く私には当てはまらないと悟っている。

当初、私は東大を卒業して官僚になろうと思った。大学では殆ど勉学には精を出してこなかったから
上級公務員試験にはdropし、民間の信託銀行に入社した。
私が入った安田信託銀行は大銀行とは思えないくらい自由闊達な雰囲気があり、私の勝手気儘を結構許してくれた、実に珍しい銀行だったと思う。 しかし、20年も勤めると、そんな勝手気儘はだんだん通用しなくなる。「偉くなるにはもうそろそろまともな銀行員になれ」と周りがそんなことを言う。
そうでなければ偉くはなれない。少しそんなストレスを感じ、ちょうど金融自由化の時代に突入し、バブルが弾けたこともあり、普通の銀行員への締め付けに私はストレスを感じたのだ。
そのピークは満44歳の時に来た。保守的な銀行で生きていくのは私には似合わないと思って、若気の至りもあって銀行を中途退職をした。ちょうどベンチャービジネスの開拓をしていたこともあって、小組織ではあるが、あるベンチャービジネスに入ったが、やはり小なりと言えども組織であることは間違いない。また、小はオーナー会社でもある。オーナー色が強く、大企業とは別なストレスがある。 オーナーの顔色を見て仕事をしないと仕事にならない。そんなことは当たり前だ。大会社のストレスとは違う次元のストレスに晒され、私は4年で辞めることになった。
その後、中小企業や生命保険エージェントを経て独立するに至ったのだが、これもまた、何も保証がない不安定というストレスがある。個人会社やNPOを立ち上げ、七転八倒して何とか今まで生きてきた。 そして、やっと今、自由人になれたような気がする。独りでも独りではない。緩やかでも強固なネットワークを活かして、世のため人のために生きることができる。 かっちりした組織に属していないが、私は渦の中心である緩やかで強固な組織を創っている。これが私には一番居心地がいい。

朝は3時起き、ウォーキングを日課とするが無理はしない。朝寝をしたり昼寝をしたり。夜は早い日は19時に寝る。21時まで起きていると、真夜中まで起きていたような感覚になる。気の向くまま、風の吹くまま。

生きるベースは世のため人のため。これをぶらすことはできない。これがあるから、仕事が遊びになる。武田鉄矢の歌ではないが「休みたいとか遊びたいとか思ったら死ね」とは、私に言った台詞のようだ。ほんとに休みたいとか遊びたいとか思ったら死んだほうがいいと思う。

サラリーマンの悲哀を分かってあげようと思う。彼らはストレスに苛まれているのだ。可哀想なくらいストレスの中に生きている。
その点、私は恵まれている。恵まれているからこそ、彼らのお手伝いをして差し上げようと思うのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

金沢大学附属高校22回生同期会のこと

今朝も4時に起きて、事務所でメールをチェックして、5時から2時間ウォーキングを楽しんだ(真夏は早朝ウォーキングでないと身体が持たない。日中ウォーキングは健康に悪影響がある)。早朝ウォーキングをしないとストレスが溜まる。これが私の習い性になった。無理はしないでウォーキングを楽しむことだ。

一昨年の土曜日に高校同期宛に「関東同期会開催についてのヒアリング」のメールを発信したところ、6名から「是非やりたい。企画してほしい」「感染が収まっていたら出席したい」という開催前向きの返信をいただいた(1名からは時期尚早のメールもいただいたが)。

勿論、感染次第ではあるが、開催の方向で話を進めないとできることもできなくなる。
5人であってもやろうじゃないか、小さく産んで大きく育てていけばいい。
卒業50周年は一昨年中止を余儀なくされた。昨年に延期したが、それも中止になった。こんなことでは3年後の55周年を待つか。それも果たしてできるだろうか。 これはコロナのせいではない。73歳になって開催する55周年に果たして人数が集まるだろうかと宣う金沢の幹事たちが多いのだとか。

73歳は人生100年時代の今日では、まだまだ働き盛りではないか。悠々自適な隠居生活をしているからそんな情け無いことを言うのだ。 金沢の幹事連中に発破を掛ける意味でも、関東で元気のいいところをみせようじゃないかということだろう。
無理はしないで自然体で集まれるだけ集まってみようということで、私を含め7人の都合のいい10月の土日に開催しようということにした。

青春時代の同期、高校や大学の友人は、その付き合っていた期間は3〜4年と社会人の友人たちと比べ短いのだが、お互いの印象は格別のものがあり、70歳になっても鮮明に若かりし思い出は鮮明に脳裏に浮かんでくる。皆んなの名前もしっかり覚えている。それだけ青春時代は損得抜きの温かい付き合いだったということだろう。

きっと7名からスタートして20名以上は集まるのではないか。その言い出しっぺはいつも私の役目になっている。
人に頼りにされるということは、ほんの小さなことでも生き甲斐になるものだ。全てのことはこの同期会と同じようなものだ。

私はそんな乗りで何事にも取り組んでいる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

エスユーエスさんに望外のお祝いをしていただく。

3泊4日の九州・関西出張を終えて、昨日は5日振りの2時間ウォーキングを楽しんだ。
明治神宮コースだ。明治神宮に参拝して、新宿〜四ツ谷を経由して外苑前に帰ってくる。早朝の明治神宮は人影は疎で実に荘厳な雰囲気を漂わせている。

事務所に戻って朝風呂に浸かり頭髪を剃る。9時過ぎに帰宅し、朝昼兼用の食事だ。

やはり、1週間の出張で疲れが溜まっていたのか、布団に入ると昼過ぎまでぐっすりと朝寝をした。おかげで頭はスッキリした。事務所に戻り、出張で溜まっていた仕事に取り掛かった。

金沢大学附属高校同期の田中秀昌さんからメールが届いていた。
コロナで、春と秋の年2回、定例で開催していた関東同期会をそろそろ再開しないかとの内容だ。私は永年幹事であるので、私から同期の皆んなにメールを発信してほしいとの依頼だ。

今、コロナは第7波の真っ最中であるが、間もなくピークが来て収束に向かうだろう。10月に同期会はできるのではないか。
いつも20名強が集まるが、10名でも5名でもいい。3年ぶりにリアルでの同期会を開催したいものだ。

そんなことで、同期に一斉メールを発信した。同期だから皆んな70歳、古稀の歳になった。
この歳になると、同期でも元気がいい人とそうでない人にはっきりと別れる。元気でない人は同期会には出てこないが、出てくる人も人生の考え方はさまざま。 私のように生前葬&出陣式をして、これからが第2の生と言って、半世紀生きると言って気合いを入れている人間は滅多にいない。
これからの後半生は登り坂ならぬ上り坂で生きていきたいという人間もいることを伝えることは、少しは同期の刺激になるのではないかと思い、同期会の案内メールの前段に生前葬&出陣式の想いを書いて一斉メールをした。

ビビリの人も少なくないと思うが、数名でもリアル同期会をしようと言う同期がいたら、私が仕切って開催しようと思う。
会場は裕美ちゃんの西櫻亭伊勢丹新宿にしよう。たしか、直前の関東同期会は西櫻亭でしたと思う。

出張の締めくくりは京都。京都本社のエスユーエスさんを訪ねた。

アポを取った時、大槻取締役から「それではランチでもしましょうか」と仰っていただいたので軽い気持ちでankの榎森さん同行で伺ったのだ。

豈図らんや、ランチの会場は京都駅直結のホテルグランヴィア京都15階の”五山望”だ。別嬪さんの藤竹蘭ちゃんが私の隣に座ってくれた。

五山望は高級鉄板焼きレストラン。五山望の名の通り、京都五山を一望できる素晴らしいロケーションだ。大文字焼きがある8月16日の予約は半年前には埋まっているのだと。

突き出しのウニからはじまり冷製スープ、メインは海鮮(伊勢海老と帆立)、牛肉(ヒレとロース)等々。席を替えてデザート。
私の第2の生誕生のお祝いなんだと。ありがたいことだ。望外のおもてなしに”アッと驚く為五郎”だった。

OUEN Japanに協賛していただいているのに、私から同社ビジネスを何にもお手伝いできていない。穴があったら入りたいが、そんなことを言っていないで、キチンと応援して差し上げる前向きの考え方でないと人間として正しくないだろう。気合いを入れてお手伝いしたいと思う。

そんなことで、3泊4日の九州・関西の旅は素晴らしい締めくくりで終えることができた。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

博多から大阪へ(出張3日目)

昨夜は、博多駅傍にある「華味鳥」で水炊きを堪能し、徒歩で5分くらい、昨日の宿「八百治博多ホテル」に辿り着く。
同ホテルは1階が温泉なのだが、部屋に着いて歯を磨いてベッドにバタンキューだったのだろう。気が付くと真夜中の3時だった。
温泉はやめて部屋のバスに入り、2つの剃刀で髭と頭髪を剃る。その後、OUEN blogを書いてベッドで軽く一寝入り。
朝食の豪華さが売りのドーミーインではないので、6時半に2階に降りて軽く朝食を摂る。バイキングだが、腹七分目くらいがちょうどいい。食事の摂り方は年齢通り。素直に「汝自身を知れ」を実践できるようになった。

八百治ホテルから徒歩10分足らず、8時過ぎに博多偕成ビルの九州北部信用金庫協会に到着した。アポは8時半だったが、篠原専務は既に事務所で朝刊を読んでいらした。9時にプロレドパートナーズの杵渕さんがいらしてご紹介するまでに1時間弱があるが、私の生前葬&出陣式、ニッチの会での私の講演(篠原さんがご紹介してくださった)のこととか話すことは山ほどある。アッと言う間に1時間は過ぎ、杵渕さんがいらした。 気が合うとはこんなものだ。篠原さんとは、来週に、博多の「角打ちツアー」を楽しむ予定にしている。

11時10分、博多発新大阪行きの新幹線「みずほ」に乗る。みずほの普通席は一列が4人掛けだ。車両の内装は一般の新幹線とは違ってシック。落ち着く。 何ヶ月前だったか、博多から新大阪まで新幹線に乗車したが、みずほでなかったのだろう。初めて4人掛けの新幹線に乗った。

本町のankで榎森さんと打ち合わせ。北井さんにスマホでouen danchoのメールアドレスを見ることができるようにしてもらった。私一人では何にもできない。こんなことでも「人間は一人では生きていくことができない。人のために生きることで人は生きている」ことを思う。

4時にアイテックの中社長がankに来られて打ち合わせ。想像もしなかったビジネスの展開に、またまた「アッと驚く為五郎」だ。 私は勘がいいのか。これは、天の仕業、私は運がいいのだ。

夜は「武者本町」で懇親会と相なった。出張の打ち上げと言うところか。
黄さん、中さん、宮吉さん、榎森さん、森田さん、次男の教博と私の7人。ざっくばらんで懇親を深めた楽しい会だった。この出会いがまた皆んなに幸運をもたらすことだろう。

心をきれいにして生きていると、周りにはそんな同じ心根の人たちが集まって来てくださる。心が汚れた人たちが近づいてきても、それは私の第6感が働いて、諍いはせずに距離を遠のかせてくれる。 これは天の仕業としか言いようがない。私の第2の生は天が見守ってくださっているのだ。
第1の生での経験と知恵がそうさせているのだ。ありがたいことだ。

今日は出張4日目、最終日。
京都でのランチをして新幹線で京都から東京に帰る。
ちょっと綱渡りの出張だったが、何とか無事に終えることができそうだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

九州出張2日目

昨朝もいつものように3時に目覚めた。露天風呂は3時過ぎだと入っているのは私だけで誰もいない。ゆったりと風呂に浸かって剃刀で頭を剃る。 やはり旅でも毎日剃らないと気分はスッキリしない。たっぷりとシェービングフォームを頭に塗って丁寧に剃刀を当てる。手慣れたものだ。

部屋に帰ってブログを書く。昨日のブログには補聴器と財布を事務所に置いてきてしまったことを書いたのだが、それを黄英蘭さん(イノベーションソフト社長)が朝早く読んでくださった。 「東京にいて事務所に行くことができるから、預かって、明日大阪でお目にかかるので持っていきましょうか」
とありがたいLINEを送っていただいた。
私は補聴器なしでも何とかなるし、お金がなくてもカードで代わりができるから大丈夫だと返信をした。
黄さんのように私のブログを読んでくださる人は少しずつ増えてきた。ありがたいことだ。

明日は大阪本町の「武者」というこじんまりした居酒屋で、黄さんや彼女の友人たちや私の次男を含めて懇親の席を持つ。武者には私の焼酎のボトルが入っている。皆さんとお会いするのがとても楽しみだ。

9時に、長崎市田中町にあるクリーンマットの田中社長を訪ねて、同社ビジネスの応援や私のサポート先への協力依頼の打ち合わせをした。
福岡県(福岡市と北九州市の間の地域)はOUEN塾で5年がかりでOUEN Companyを開拓した。これもOUEN Japanを応援してくださっている皆さんのご紹介をいただいての賜物である。同様に長崎もそのようにできればと思う。 ありがたいことに、田中社長はそのリードオフマンになっていただける人だ。そのためにも私も同社を一所懸命に応援したいと思う。

人間関係は合わせ鏡のようなものだ。先ずはこちらが応援すること。そうすれば自ずと応援していただける。これは宇宙の真理ではないか。それをただ忠実に実行することで、人生は幸せに生きることができる。

タクシーで長崎駅に向かう。午後にはゼオライトと打ち合わせ&ZOOM MTGがあり、博多行きの特急かもめに乗る。
また雨がちらついてきた。クールファイブのヒット曲♬長崎は今日も雨だった♬が頭をかすめる。そんなことを運転手さんに話すと、彼は40年前の豪雨で長崎の人たちが300名以上犠牲になった話をしてくれた。長崎の雨はロマンチックなことばかりではない。

JR長崎本線特急かもめは、有明海沿線を通り2時間かけて博多に着く。
西九州新幹線は9月に開業だとか。この新幹線は長崎と武雄間のみで大村湾沿線を通る。長崎本線とは別のルートだ。そして、武雄と新鳥栖間は在来線。九州新幹線とは直接つながっていない中途半端な新幹線だ。 佐賀県内に新幹線を通すことを佐賀県が意固地になって抵抗している。長崎に行く通り道になるだけで佐賀には何のメリットもないということか。 いろいろな理由はあるのだろうが、長崎県民や福岡県民だけでなく、この新幹線を利用しようと思う人なら"根性が悪い佐賀県"だとしか思わないだろう。 なぜ、新幹線開業を佐賀県の地域創生の梃子にするくらいの知恵を皆んなで出すことを考えないのか。知事の器量が問われる。

博多でゼオライトを訪問。打ち合わせまで時間があるので、会長室で一仕事。仕事と言っても、8月以降のアポ取りの電話攻勢だ。
このところ北九州はちょっとご無沙汰している。北九州市役所、佳秀工業、日本鉄塔工業には、10月訪問のアポをいただいた。

ゼオライトと打ち合わせが終わって、八百治博多ホテルにチェックイン。夜は、林さんと野村さんと藤瀬さんと「華味鳥」で水だきをいただきながらの懇親会だ。

九州北部(福岡、佐賀、長崎)の地域創生と同社ビジネスのドッキングをすることが私のミッションだ。核は足元の九州北部。それを九州全域に拡げていく。 OUEN Companyの皆さん同士のビジネスマッチングから地域創生につなげていくのだ。その蝶番が私の役割だ。
これから頻繁に九州に出張することになる。九州北部は私の第2のふるさとになった。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)