「悪い煩悩」を剃っているか。「良き煩悩」を剃ってはいないか。

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まだ6月だというのに、昨日は東京も真夏が一足飛びにやってきたかのような真夏日の一日だった。今日も同じく猛暑の一日らしい。

昨日の日中でのウォーキングは熱中症の危険があり、いくらウォーキングが趣味の私でも事務所に篭りきりだった。
これからこんな日が続くのだから日中のウォーキングはやめて早朝ウォーキングをすることにしようと思う。ということで、今朝は6時前に外苑前の事務所を出て、四谷〜新宿〜千駄ヶ谷と約2時間の早足ウォーキングで気持ちのいい汗を流した。ついでにJR新宿駅のみどりの窓口で、7月19〜22日の九州〜関西出張の切符を買い求めた。
6時過ぎはまだ人通りはほとんどない。私と同年代のご夫婦が犬の散歩がてらゆっくりと散策しているくらいだ。私はマスクを外してウォーキングだ。外出でも人がいなければ気兼ねなくマスクは取って問題ない。日本人は同調圧力に弱いから、そんな時でもちゃんとマスクはしている。自分で考えて取ったり付けたりでいいのだがとも思う。

8時半、事務所に戻って朝風呂に浸かり、髭と頭を剃る。ここのところ頭も毎朝剃っている。
やはり、剃らないと気分が良くない。髪は短いほどよく手入れをしなければ見苦しくなる。特に高齢者と言われるような歳になると意識して小綺麗にしていることが大切だと思う。 これは身支度だけに限らない。若い時には無意注意で良かったのだが、高齢になると全てのことに有意注意であることが長生きの秘訣ではないかと実感している。 2月4日の立春に新宿の公園で高転びに転んだのも、私が、この「有意注意」でなかったからだ。

私は同年代の男性の平均よりも髪の毛は多い。少しずつ細く少なくなっているが、まだまだ多いと自覚して喜んでいたが、そんなことで喜んでいてもそれは低レベルのことで喜んでもしようがない。 髪は毎日少しずつ伸びている。だから剃りがいがある。
福井住職の仰る通り、髪は煩悩の象徴であり、人間は生きている限り煩悩を消すことはできないのだろう。特に私のような髪の毛が多い人間は煩悩も人以上に持っていると思う。 その煩悩を消すことが仏の道に入ることだと思っていたがそうではないらしい。
煩悩があることで人間は成長し、世の中は進歩してきた。しかし、その煩悩があるせいで、ウクライナ危機のようなことも世界から消えることはない。前者が「良き煩悩」であり、後者が「悪い煩悩」だ。 煩悩を無くすような無理はせず、無くすことができない煩悩をできるだけ「良き煩悩」にする努力をすることだ。そのために生涯をかけて努力精進することだ。

今日の剃髪では、「悪い煩悩」を剃ったのか。「良き煩悩」を剃ってはいないか。
そんなことを考えながら、剃りがいのある剃髪をして今日の一日をスタートさせた。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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