天が人に与え給うミッションは、真っ直ぐな心で、七転八倒しながら生きていると自ずから気付くもののようだ。
孔子はその時期を50歳(知命)であると論語には書いてある。孔子ならぬ凡人の私であれば、天命を知る時期は古来稀なる70歳(古稀)でも早いのかもしれない。
だから、天はその人に与えられたミッションを果たすために100歳か120歳かは分からないが、長寿という修行の時間を与えるのだろう。長寿はただ悠々自適な後半生を送るために人間に与えられたものではない。 天命を知り、与えられたミッションを果たすための時間として、天は人間に長寿という贈り物を与えて下さったのだ。
クラーク博士は北大を去る時、学生たちに『青年よ、大志をいだけ』と言う名言を残した。「世のため人のため絵本シリーズ」に『思い続けることで夢をかなえた人 稲盛和夫』がある。
『願いは必ず叶う』と言われる。願いは叶わないと思う人も、「願いは叶わない」と言う『願い』は叶っているのだ。やはり、願い(夢)は必ず叶うものだ。ただし、願い続ければ、絶対諦めなければ、「願いを叶えよう」と誰にも負けない努力を続けていけば、の前提があるが。
私は54歳で個人会社Mapを立ち上げ、60歳(還暦)でNPO OUEN Japanを設立した。全て成り行き任せだった。天命を知るところではなかった。ただ素直に真っ直ぐ生きていこうと思い、生きてきた。 そして、これが私に与えられた天命なのではないか、私はこのミッションを与えられて生まれてきたのではないかと少しずつ分かってきた。 そうすると、そのミッションを果たさなければこの世から旅立つことはできない、長生きをして、そのミッションを果たさなければならないと強く想うようになった。
ミッションは、学生たちの応援団になることだ。
そして、その私のミッションを分かってくださって応援してくださる企業(OUEN Company)の皆さんの応援団になることだ。
そして、彼らと協働して、住み働き学ぶ地域の創生の一助となることだ。「地域創生」が私の最終のミッションであると自覚するようになった。その達成は迂遠なことであるが、少しずつでも命ある限り長く地域創生に貢献していくことだ。
夢は、見果てぬ夢くらいがちょうどいい。見果てぬ夢は後に続く人たちが繋いでいってくれるのだから。老人の幸せな最期は、前のめりになって仕事のさなかに倒れて果てるものだ。
古稀(従心)を機に、生前葬を取り行ない、生まれ変わって出陣式を開催した。戒名である「不動院重陽博愛居士」は私の本名になった。陽のエネルギーを最大に集めて、人に幸せを与え広めることだ。それが地域創生に繋がる。
第二の生のスタートを切って、自然体で物事を考えるようになった。
「無理はよそうぜ、からだに悪い」第二の生は身心一如、何事もバランスが大切と思い、無理なく自然に、人のため世のために尽くすことをすることだ。長続きすることが不可欠だからだ。想いがあっても行動できなければ全く意味がない。
そして、「夢は必ず叶う」ことを少しずつ実感している。
そう思い、それに沿うように行動していくことだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)