「古稀」と「従心」

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昨年、了聞の馬形さんが事務所にいらして、ちょうどエンディングノートを書き始めていたこともあって、広尾の了聞を内見したことが切っ掛けで、終の住処を南麻布・了聞に決めた。 その上、今年満70歳になることも重なって、了聞にて生前葬をするに至った。

ウクライナ危機のようなとんでもないことが起こるのが世の常なのだろうが、今のところ私に関しては、身に起こる全てのことは天のお導きなのではないかと思う。そのことは、齢を重ねるに従ってそう思うようになった。

70歳は別名「古稀」とか「従心」とか言われるが、まさに「古来稀なる70歳」は「心の欲する所に従えども、矩を踰えない」歳だと言うのは自分ごととして、真実だと痛感している。

人生の甘ちゃんで生きてきて、順風満帆であることが自分自身の力だと少し天狗になっていた時があった。若気の至りもあって、銀行を飛び出し、世の中の荒波を真面に被り、自分なりの苦労見山を越えてきた。そして、ソクラテスの「汝自身を知れ」の箴言を身を以て悟るに至った。
七転八倒から七転び八起き。それが私を、少しはできた人間にしてくれたように思う。自分は「できる人間」ではないが、この歳になって「少しはできた人間」になってきたのではないかと思う。

そして、70歳を区切りとして、第一の生を終え、第二の生を始めるにあたり、「心の欲する所に従えども矩を踰えず」の入り口に辿り着いたことを嬉しく思う。

人間の性格はそう簡単には変わらないものだ。せっかちで、正しいと思い込んだら何が何でも突き進んでいく、森の石松のようなところはちょっとやそっとでは直らない。 理不尽だと思ったことは我慢ができない性格は変わらないが、若い時と違うのは「我慢をすること」ができるようになったことだ。
決して気が長くなったわけではないが、グッと堪えて立ち止まることができるようになったように思う。自分の思いのままに行動しても、それが人さまとのトラブルにはならず、自然と人さまが喜んでくれる方向に進むことができるようになったように思う。 無理はしないで、ストレスを溜めないで、言動を慎むことができて、人さまのお役に立つことができる。それは「グッと我慢」を習慣にすることができるということだ。

松井秀喜さんは、若くして人物だが、彼の座右の銘は真実だ。

心が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる

心→行動→習慣→人格→運命

心を変え、行動に移し、それを習慣にする。そうすれば人格が変わり「できた人間」になる。そして、その人の運命が変わってくる。 自分が自分の運命を変えるのだ。決して運命は、変えることができない宿命ではない。

今日は、8時半から、裕美ちゃんと、了聞での朝のお務めに参加させていただく。その後、豪徳寺にある日欧フーズの新しい事務所兼セントラルキッチンを訪ねて、ドミグラスソースのECサイトの立ち上げについての戦略・戦術のフリートーキングだ。 そして、4時から神宮前の崔珉徑さん(ミンちゃん)の事務所で、運転免許証の自主返納と運転経歴証明書発行のための顔写真の撮影だ。

私は多くの老若男女の人たちに支えられて生きている幸せな人間だと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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