第二の生は忙しい。これを熟すためには身体が健康でなければならないと痛感する。
昨日は、午前と午後、それぞれ1件のアポがあった。終わってウォーキングに勤しむ。
今月28〜29日の金沢出張のため、JR新宿駅までウォーキングを楽しみながら往復する。ラフな格好でポケットにはスマホだ。約15千歩。私にはこれくらいがちょうどいい。スマホは万歩計にもなるが、OUEN Companyの皆さんとの通信手段だ。ふと思いついたら即電話するし、電話は数回掛かってくる。何回も立ち止まってショートメールを打つ。
そんな慌ただしいことをして心が休まるのかと思うが、私はオンとオフを分けないのがストレスは溜まらない。仕事を遊びだと思っているからだ。これがいくら歳を重ねても気持ちが若くなる秘訣なのだと思う。24時間仕事であり、24時間遊びである。最高に効率がいい。
大学の時の友人が大会社の役員をしていたのだが、思うところあって65歳前に突然退任してしまった。生まれ故郷で百姓をするのだと。東京の家には奥さんが一人暮らし。本人は田舎で悠々自適、見様見真似でお百姓さんだ。たまに東京に帰ってくる。
農業で生業を考えているわけではないから気楽なものだと言う。収穫があったらそれは楽しいが、なくてもそれはそれでいいのだと。そんな気楽な生活だから、時々ボーッとしてしまう時があり、ある人に言われたことが頭をかすめるのだと。 「キョウヨウとキョウイクがなければ人生はつまらない」
キョウヨウとは教養ではなく、「今日、用がある」ということ。キョウイクとは教育ではなく、「今日、行くところがある」ということなんだと。
私は教養や教育は今一だが、今日の用事や今日行くところは山ほどある。そんな私は幸せなんだと思う。
死ぬまであくせくしていてそんな人生はつまらないという人は圧倒的だろうが、「人は何を成すために生まれてきたのか」と思うとき、それは「休むため」ではないだろう。 「人のため世の中のために尽くす」ために生まれてきたのだろう。
それであれば、生あるうちは、元気で健康で働き続けることだ。働くことが遊ぶことなら、それは最高のコストパフォーマンスだろう。
今日もかかりつけ医受診、合氣道、ビジネスマッチング、打ち合わせと、盛り沢山の仕事(遊び)がある。
富山の薬売りの「七楽の教え」に、「楽すれば、楽が邪魔して楽ならず、楽せぬ楽がはるか楽楽」がある。
楽と思うことはほんとは楽ではない。楽せぬ楽が遥かに楽なのだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林博重)