生前葬&出陣式は、実に忘れられない会になった。人の温もりが伝わってきて、じんと心が熱くなった、素晴らしい会になった。
生前葬は一般人にはあまり拡がっていないらしいが、元気な老壮の御仁は「生前葬&出陣式」のセットイベントで、ますます元気になり、日本創生の大いなる一助になっていただきたいものだ。掛け値なしに日本は元気になるだろう。
人生120年の後半戦は、第一の生で培った経験、知恵、人脈をフル活用して、日本を元気にするのだ。その使命は元気な老壮年が持っている。
古稀は、それからが下り坂の人生だという。その下り坂をゆっくりと周りの変わる風景を楽しみながら生きていくのが幸せな後半戦の人生なのだろう。五木寛之さんもそのようなことを仰っている。それもそうだと思う。私も五木さんのファンだから、そのご意見に共感するところは多々ある。
しかし、それもそうだが、後半人生を楽しむことは私の考える「上り坂の人生」があってもいい。
中古車なのだから若い時以上のメンテナンスが必須だ。毎年1回か2回かの人間ドックで問題点を改善すること。薬を飲んだり、健康食品を食したり、無理なくウォーキングを楽しんだりしてメンテナンスを怠らないことだ。
人生に一旦区切りをつけて、下り坂から上り坂を歩くギアチェンジをするのだ。
決して急傾斜の山道を努力して労力を費やしてのぼる「登坂」ではない。だんだんと高度を上げていく「上り坂」だ。村田英雄の「皆の衆」でも♬無理はよそうぜ。身体に悪い♬と歌っている。
そして、メンテナンスしながら、無理をせず、どんどん高度を上げて、夢に向かって邁進していくのだ。
しかし、天は「もうそろそろ、次のステージが待っている。後に続くみんながしっかりバトンを受けてってくれるから、心を残すことなく旅立ちの時を迎えなさい」と宣うだろう。そのお迎えの時は、潔く第三の生に向かって、「いざ出陣!!!」と気合を入れて旅立つことだ。
スイスの文筆家カール・ヒルティも、「仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」と言っている。生涯現役として「仕事のさなか」に倒れ、正常な老人の正しい経過を経て人生の最も望ましい終結を迎えたことは何にも代えがたい喜びではないか。
ふと、城山三郎の小説「祖にして野だが卑ではない」~石田禮助の生涯~を思い出した。
私は能登の寂れた田舎出身。幼少の頃はせいぜい七尾に出かけるのが精一杯。高校は金沢だったが、それも当初は金沢の都会っ子に引け目を感じていた。東京は夢のまた夢。その私が青山に自宅と事務所を構えている。
祖にして野」(粗野)なところは生まれつき、もうどうしようもない。しかし、私は「卑ではない」心は清く美しい。そうあり続けたいと切に思う。まさに、石田禮助のような「祖にして野だが卑ではない」生涯を送りたいと思うものだ。
昨日、刎頸の友である、同期の東北大学応援団長であった木島明博さん(東北大学名誉教授)から「第2の生への激励の書」をいただいた。飲んで書いたというが達筆である。
気合を入れて第二の生にチャレンジしようと思う。
小林 博重
ライターの大賀康史さんは、城山三郎の小説「祖にして野だが卑ではない」~石田禮助の生涯~について書いている。
気骨ある日本人の生き様を最近見ているだろうか。戦後年月が経ち、以前の日本人に見られた気骨ある美しい生き方を目にすることは少ない。それは日本人の価値観が変わったからだろうか。いや、社会構造の変化が減った中で、そのような人物の存在が減り、そしてその影響を受ける人も減り、さらにそういう人物が減る、という連鎖的なものだろう。いずれにせよ、気骨のある人物とはいかなるものか、本書は読者に背筋が伸びる思いを抱かせる。
人物を印象付けるものとは何だろうか。親族との関係、交友関係等、少なくともその周辺にはその人物が現れる。しかし強い印象を与えるのはその人物の強烈なポリシーではないだろうか。そのポリシーが、個人の利害ではなく、広く社会に向いていればなおさらである。
「粗にして野だが卑ではない」「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」等、その発言には自分の生き方が現れており、それは国会議員が相手であろうが誰であろうが全く変わらない。そのような石田禮助氏は、老いを理由として何かをしないことはない。常に現役の意識を持ち続けた。本書には成功の先に何を求めるのか、人生の目標とは何かを考える一助になろう。それは石田禮助氏の場合、「パブリック・サービス」であったのであろうし、それが「パスポート・フォア・ヘブン」になるものだと信じていたのである。