第二の生〈人生秋の陣〉 にあたって、出陣のご挨拶/「 いざ出陣!!!」

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 皆様には、日頃より一方ならぬお世話になっております。 本日はご多忙の中、私の第二の生の「出陣式」にご出席賜りまして、誠にありがとうございます。
 そして、この出陣式に、サッポロビールさんにビールを、ポッカサッポロフード&ビバレッジさんにソフトドリンクを、古安曾農業育成さんに長野ワインを、ご提供いただきました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

 さて、私は昨年、数え70歳になりました。そして、本年11月に満70歳を迎えます。
 70歳という年齢は、中国ではいくつかの別名で呼ばれています。
 その一つの「古稀」は、中国・唐の詩人である杜甫の詩の一節、「人生七十、古来稀なり」に由来します。名横綱双葉山が安藝ノ海に敗れ、連勝が69でストップしたとき、アナウンサーが「やはり、70、古来稀なり」と叫んだとか。昔の70歳は「古来稀なる年齢」でした。
 また、論語・為政篇の一節、「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」から、「心に従う」という意味の「従心」という別名もあります。すなわち、70歳は心の欲するままに行動しても人の道に外れるようなことがない人間であるということ。孔子は、「70歳とは、『あの人は人間ができている』と誰にでも言ってもらえる、『人間ができた人』である」と言っているのです。
 さらに、古代中国の五行思想では人生を四季にたとえ、色がそれぞれ与えられています。冬は「玄冬」で黒、春は「青春」で青、夏は「朱夏」で赤、秋は「白秋」で白です。中国思想が奥深いのは、人生は青い青春から始まるのではなく、黒い玄冬から始まるところです。誕生から20歳までが玄冬、20歳から40歳までが青春、40歳から60歳までが朱夏、そして60歳を過ぎると白秋に入ります。60歳以降の高齢期が白秋ということです。
 私は、人生100年時代の現代においては、白秋は60歳以降ではなく、70歳の「古稀」、「従心」以降ではないか、と思っております。

 私は、この「70歳」を機に一旦人生に区切りをつけて、新たな人生をスタートしようと思うに至りました。
 そして先ほど、増上寺の子院である「瑞華院・了聞」におきまして、厳かに「生前葬」を執り行い、「不動院重陽博愛居士」の戒名をお授けいただきました。これからの私の第二の生では、本名がこの「不動院重陽博愛居士」であり、「小林博重」という名前は俗名になりました。そして、ありがたいことに、私の俗名である「博重」の2文字が、2つとも戒名に組み込まれています。

 この「不動院」は、祖父が日露戦争二百三高地の戦いにおいて、お不動様のご加護があって生き延びることができ、祖国日本に帰還できたとの強い想いがあり、先の大戦前、能登のお不動様建立に際し多大な尽力をした、ということで、授けていただいたありがたい院号です
 「私も祖父の生き方を受け継ぎたい」との想いを瑞華院・了聞の福井住職にお話しして、お授けいただきました。

 そして、「重陽博愛居士」は、「多くの心清き人たちが私の周りに集まって来てくださり、その陽のエネルギーの総和を極大にして、集まって来てくださった人たちに愛を広める人」という有難い居士号です。
 古来中国では、奇数の日は縁起のよい「陽の日」とされ、3月3日や5月5日、7月7日など、奇数が重なる日を祝い節句としました。そして中でも一番大きい陽の数である9が重なる9月9日を「重陽」と呼び、その日が「重陽の節句」として、5節句の一つになったのだそうです。

 「重陽」とは、「多くの陽のエネルギーが集まり、最大になる」という意味であり、「博愛」とは、文字通り、「愛を広める」ことです。
 「名は体を表す」と申します。多くの「陽のエネルギー」を集約して極大化する「温かく、大らかな、できた人間」になりたいと思います。そして、本日、皆様のご臨席のもと、「人生秋の陣・出陣式」を執り行い、この戒名に恥じない第二の生を生き抜きたいと思います

 「生産年齢人口」という言葉があります。「生産年齢人口」とは、生産活動の中心にいる人口層であり、15歳以上65歳未満の人口を言います。65歳になった時、「私はもう生産活動の中心から外れた人間になったのか」、「もう高齢者と呼ばれる年齢になったのか」と、半ば苦笑いして、その言葉を聞いておりました。まさに、65歳からは「老後」ということでしょうか。
 しかし、この「老後」という言葉の響きは、“人生を謳歌する”という活き活きとしたイメージには程遠く、私はあまり好みません。私が思うところは、「老いてますます元気になり、人間的に成長する」、すなわち、「老いて成長する=老成」の季節を「白秋」と呼びたいのです。そして、第二の生を、「元気に生きることを手段」として、天から与えていただいた「ミッションを果たす人生」にしたいと思っております。

 ちょうど1年前でした。安田信託銀行の2年後輩である馬形貢さんが、「広尾にある都市型納骨堂の了聞に入社した」と言って、私の事務所にいらっしゃいました。了聞は、草刈正雄さんのコマーシャルでご存じの方もいらっしゃるでしょう。
 馬形さんとは大学時代からの半世紀近くの付き合いです。彼は義理人情が闊歩しているような人、「人生劇場」の青成瓢吉を地で行ったような人です。損得抜きの付き合い、そんな友人が本当の友人です。「類は友を呼ぶ」という諺は真実です。
 彼は就職の報告に来社されただけなのですが、私はその時ちょうど、エンディングノートを書き始めていたこともあって、「では一度見学にでも行ってみようか」と思ったのが切掛けで、それから1カ月も経たないで、了聞を「終の棲家」にすることに決めました。一般的に「終の棲家」とは、「生涯を終えるまで生活するための住居」を言うのですが、私のそれは、「私の魂が棲む楽園」のことです。

 了聞さんでは、「生前葬」が話題になりました。一般的に、「生前葬」は、本人が、お世話になった方々の今までの恩義に対し、感謝の心をお伝えするイベントです。オーナー経営者であれば、それに加え、本人同様に、引き続き、これからの会社を託す役職員の皆さんをお引き立ていただきたいとのお願いをする「一世一代のイベント」であろうかと思います。
 しかし、私は、それだけでは、野球でいえば「9回同点、延長戦」の1試合だけで終わってしまうと思い、引き分け再試合をしてみたいと思いました。すなわち、これからの第二の人生に果敢にチャレンジしてみようと思ったのです。
 それが、「死んでも死なない」、「新しく生まれ変わる」、人生秋の陣の、この「出陣式」です。ちょうど、日々、自分自身の来し方・行く末の人生を考えていたこととマッチしたというところでしょうか。

 今、私の人生は、玄冬、青春、朱夏を過ぎて、これから「白秋」に突入します。
 では、私の今までの70年の「人生の四季」を振り返り、我が人生を俯瞰してみます。

 玄冬は、生まれてから大学に入学するまでの、人生の光明を模索して、東京大学を目指した「能登と金沢で過ごした」18年です。
 金沢大学附属高校では、文化祭や予餞会で、私の十八番である、「歌謡演劇・王将」の阪田三吉や、当時、スポコンもので人気を博した「巨人の星」の主役である星飛雄馬を演じたことで、イベントは盛り上がり、全校生徒は私の名前を憶えてくれました。そのことが大きかったのでしょうか。卒業時に、生徒会から「生徒会功労賞」を授与されました。
 金沢大学附属高校は、石川県随一の進学校でありながら、自由闊達で、そんなお茶目なところがある高校でした。私は、そんな雰囲気の中で、明るく楽しい3年間の高校生活を過ごしました。
 そのことを思えば、玄冬の黒のイメージ、北陸の暗い冬のイメージとは正反対の、「明るく自由奔放な10代」ではなかったかと思います。

 青春は、大学時代から安田信託銀行を辞めるまでの26年です。
 青春のその名の通り、東大のスクールカラーである「淡青」の空のように、周りの皆さんが、私の個性をそのまま活かして育ててくださったおかげで、明るく大らかに生きることができました。まさに、「青い春」、「草萌える青春時代」だったと思います。
 しかし、バブルが弾けて銀行が生き残るかどうかの金融自由化の時代に遭遇し、若気の至りということもあったのでしょう。44歳6か月で銀行を飛び出したのです。

 そして朱夏は、45歳から今日までの25年になります。
 経営の才を持ち合わせていない私にとって、その後の人生は七転八倒の連続でした。世の中はそんなに甘くはありません。赤い夏の暑い日差しを浴びながら、何とか生き延びてきた四半世紀だったように思います。
 人生の光明を模索した玄冬の時代と、皆さんに可愛がっていただきスクスクと育った青春の時代を、私は苦労知らずの「甘ちゃん」で生きてまいりました。そんな私が、荒れ狂う冬の日本海に飛び込んだのです。それは無謀だったと、一時は深く後悔をした時もありました。そんな時に、稲盛和夫さんの盛和塾との出会いがあったのです。私は、つくづく「運がいい人間」だと思います。
 盛和塾で稲盛和夫さんは、「6つの精進」を説かれました。
 1つ、誰にも負けない努力をする
 2つ、謙虚にして驕らず
 3つ、毎日の反省
 4つ、生きていることに感謝する
 5つ、善行、利他行を積む
 6つ、感性的な悩みをしない、の6つです。
 この「6つの精進」が、赤い夏の暑い日差しを遮る日傘になってくれたのです。そして、多くの方々に巡り会い、支えていただいて、私の今日があります。
 「汝自身を知れ」というソクラテスの箴言があります。人生・朱夏の時代を生きて、自分自身を知ること、飾ることなくそのままの自然体で生きること、私だけが持っている個性をフルに発揮して生きること、苦を磨き砂とすること、そして、前向きに、前のめりになって生きることです。私は、それが「幸せへの最短距離」だと思っています。

 そして、これからの後半生の半世紀が、私の白秋です。
 白秋を「たわわに実る、実りの秋」とするためにも、今、70歳を機に、人生の再出発をしようと思います。しかし、ゼロからの再出発ではありません。今までの冬と春と夏の3つの季節で、学び、培った、「人生の知恵」と「温かい人脈」という大きな高下駄を履いて、新たな気持ちで、「天から与えられた私のミッション」を果たしたいと思っています。

 では、私のミッションとは何か。
1.未来を担う「学生たちの応援団」になること2.学生たちを応援してくださる「OUEN Company の皆さんの応援団」になること3.OUEN Company の皆さんと学生たちと協働して、私たちが、住み、働き、学ぶ、地域を創生すること。「地域の応援団」になることです。

人間とは何か。人間は「幸せを追求して生きる動物」、「死ぬまで成長することができる動物」ではないでしょうか。
では、幸せとは何か。それは人さまが喜んで下さることをすること、人さまに「あなたにお世話になりました。ありがとう」と言っていただくことをすることだと思います。まさに、これは「応援」そのものです。そして、夢を追い続けて、棺を覆う、その瞬間まで成長し続けることが「人間として生まれてきた本懐」だと、私は思っています。
勿論、お金は大切ですが、それはあくまでも幸せになるための手段であって、お金を稼ぐことが目的で人は生きているわけではありません。

 坂本龍馬は、「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ」と喝破しています。
 また、ベンジャミン・フランクリンは言っています。
 「私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。しかし、私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれた」
 そして、稲盛和夫さんは「心。」というご著書で、イギリスの思想家であるジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」の一節をご紹介されています。
 「清らかな人間ほど、目の前の目標も、人生の目的も、けがれた人間よりもはるかに容易に達成できる傾向にあります。けがれた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません」
 本田宗一郎さんは、「哲学がない人は、経営をやることができない」と仰いました。経営に限らず、人生を生きるにも「哲学を持つ」ことが不可欠だと思います。人生を経営する「人生哲学」です。

 そして、私の生きる哲学は、昭和31年東大応援部卒部の中島清成さんがお創りになった東大応援部の精神「3S-Spirits」です。この3Sとは、Service、Sacrifice、Studyの頭文字から取ったものです。
私は、Serviceを「社会貢献」、Sacrificeを滅私奉公ならぬ「活私奉公」、そしてStudyを「人生修養」と意訳していますが、私のこの「応援哲学」は、稲盛和夫さんの「6つの精進」に通じています。
 「応援」とは何か。応援とは、それはキャッチボールのようなものです。
 こちらが好球を投げれば、相手は気持ちよくボールをキャッチすることができます。そうすれば、相手も好球を投げ返してくれます。
 一生懸命に人さまを応援して、相手が「ありがとう」と言ってお返ししてくれることが、まさに「応援の醍醐味」と言えるでしょう。
 「ありがとう」のお礼の言葉が、何よりの応援する者の喜びなのです。
 また、応援とは、「丸い円」です。語呂合わせではありませんが、応援とは、「大きな丸い円=大円=応援」なのです。
 円は、ある一点から左右に分かれて進んでも、究極には二つは合流します。直線では、それは離れていくだけですが、円は離れれば離れるほど近づいていくのです。
 それは矛盾しているようですが、そうではありません。利己と利他は真逆ではなく、隣り合わせにあるのです。相手のことを思って応援することは自分のためなのです。
 自分のために相手を応援する。究極の利己主義は、「利他の心」に通じていると、私は確信しています。
 そして、応援は「丸い美しい球形」です。
 私は若い時、自分のことをよく分からずに、オールラウンダーになりたいと思いました。稲盛和夫さんに巡り会い、彼のようなオールラウンダーになりたいと思いました。しかし、自分自身を知れば知るほど、オールラウンダーから程遠い凹凸人間だと自覚するようになりました。私はオールラウンダーではない。決してオールラウンダーにはなれないと思いました。「トマトはトマト。決して、トマトはかぼちゃにはなれない」のです。しかし、その凹凸人間の私が、尖がった「個性」を磨き続けることで、それが「得手」になり、「人さまのお役に立てる武器」になるのではないかと思い直しました。
 天は、全ての人に、その人にしかない「個性」というプレゼントを与えて、この世に送り出してくれます。その個性を磨き続けることでそれは得手になり、人さまのお役に立てる武器になる。
 そして、自分が不得手なところを、それを得手としている、信頼ができる「心が清らかな人たち」にカバーしていただくことで、お互いがWin Winの関係になることができる。「応援の心」を持ち、その心を具現化するべく行動することで、凹んだところが埋まり、凹凸の物体は、丸い美しい球形になります。
 そして、タモリさんの言う「友だちの友だちは、みな友だち」ではないですが、友だちの輪は留まることなく、Win WinがWin Win Winへ、Win Win WinがWin Win Win Winへと無限に拡がっていくのです。
 これが私の「応援哲学」です。この哲学を持ったことで、私には、今までの70年の人生で「沢山の温かい人脈」という宝の山ができたのだと思います。
 皆さんには、「OUEN塾」しかり、「OUEN Company」しかり、これからの「地域創生」にも大きな支えになっていただけます。

そして、これからの第二の生を、今までのアナログonlyの人生から、メインパートナーである「合同会社ank」さんの強力なサポートをいただき、「アナログとデジタルの融合」を図ることにより、私のミッションを達成する半世紀にしたいと思っています。
 まずは、私がそう「想うこと」、そして「有言実行すること」、「私の得手をフルに活かして、世のため、人のために、尽くすこと」です。私は、それが、「宇宙の大流に沿って生きる」ことだと思っています。

 これからの半世紀、皆さまには引き続きお世話になりますが、どうぞよろしく、末永くお付き合いいただきますようお願いいたしまして、私のご挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。

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