私の応援精神

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私の人生のモットーは『敬天愛人』と『応援人生』である。

『敬天愛人』は西郷隆盛が愛した言葉であり、西郷さんと同郷の稲盛和夫さんも座右の銘にされている。

敬天愛人
道は天然自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。
天は人も我も、同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て、人を愛するなり。

『応援人生』は、東大応援部の3S-spiritsを生き方の指針として、それ以降、私のモットーにしている言葉である。
『応援』とは何か、を追求し続けた18歳から70歳までの半世紀だった。

『応援』とは何か
『応援』は、その名の通り、「人の援けに応える」ことだ。

応援(援けに応える)→おうえん(OUEN)→おおえん→大円→○

応援は「○」だ。○はある一点から右に進んでも左に進んでも、その究極には2つは合流する。一般的には右に進む人と左に進む人はどんどん遠ざかってしまう。しかし、○は進めば進むほど離れていくが近づいているのだ。

矛盾は矛盾ではない。
私に言わせれば、利己と利他は、それぞれ極めれば同じ点に辿り着く。勿論、お互いが「心が清らか」という大前提があるが。

また、応援は「丸い球」である。オールラウンダーの人間はほとんどいない。普通人は、修行に修行を重ねてもキリストや釈迦や孔子のレベルには遠く及ばない凸凹の人間ではないか。 しかし、天は全ての人に、その人にしかない得手を与えているのだ。
その得手は潜在化していて、自分の得手が何か気付くには自分を磨き続けることでしかなかなか顕在化しないのだ。
自分が楽しいと思ったこと、抵抗なくできることを一所懸命にすることで、得手は顕在化してくる。

しかし、大きな事を成すためには、その得手だけでは迂遠であることが多い。ではどうすればいいだろうか。
自分の不得手なところを得手としている人たちと強いパートナーシップを組むことだ。その大前提として、その相手が「心が清らか」であることが必須である。

すなわち、『応援』は「○」であり、「丸い球」なのだ。そして、応援の心は「心が清らか」なのだ。

『応援』とは、困っている人のために尽くすこと、援け(助け)に応えることだ。そのために丸い心になって、自分の不得手を得手としている、信頼できる人たちと強いパートナーシップを組むことなのだ。

私はこの応援精神を第一の生でようやく悟ることができた。そして、やっと今、その入り口に立っている。
そして、第二の生で成すことは、一層応援精神を磨き続け、心を高め続けること。テクニックをブラッシュアップしてコスパを高めることだ。 そして、夢を現実化させることだ。

小林 博重

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