生前葬と出陣式の意味

生前葬・出陣式まで3週間を切った。私もさることながらプロデュースしていただくankさんや了聞さんにおかれても、画竜点睛を欠くことがないように最後の詰めをされていることと思う。ありがたいことだ。

ご出席いただく方々には、今週半ばを目処に最終のご案内状と出席者リストを発信する予定だ。
出陣式での私のご挨拶文も、もう何度見直しただろう。20回では利かない。起承転結や言葉の選び方以上に、私の第二の生の『人間宣言』のようなものだからだ。

第二の生を如何に生き抜くか。
利己を極めて利他の心に近づく。
利己と利他は隣り合わせだ。
元気に生きることは手段であり、私は天から与えられたミッションを果たすために第二の生を生きるのだ。

やはり、行動は拙速であってはいけない。第二の生は半世紀の人生なのだから「熟慮断行」だ。
第二の生は、同じ「コウドウ」でも、闇雲に行動することから、考えて行動する「考動」でなければならない。
そのためにも、6月4日までのギャップタームでしっかりと第二の生を熟考することだ。

本日は、5月2日に引き続き、日本青年館ホテルで出陣式の打ち合わせをする。
昨日の電話では、ホテル側は「6月4日はゴーですね。140名上限で行きましょう」とのことだった。そんなことで、サポーターを含め、上限150名で開催することになった。

人生とは面白いものだ。

一年で言えば、生前葬は大晦日であり、出陣式は元旦に擬せられるだろう。
大晦日は一年を振り返り、来年はいい年にしたいと誓う締めの日であり、元旦は新たな心でこれからの一年を意義ある一年にしたいと誓う日である。

ただ長生きすれば事足れりというものではない。生きること自体に意味があるのではなく、生きて何を成すかに意味がある。
そのために生きる哲学がある。

勿論、食事や運動にはじまり、医薬品や健康食品等々、身体にいいものは不可欠なのだが、そこになぜそれが不可欠なのか、何のためにそうするのかという、確固たる「生きる哲学」がなければ本当の幸せな人生とは言えないのではないか。

生きるとは?
幸せとは?

生前葬・出陣式は、そんな根源的な人生哲学を考えるイベントにしたいものだ。私だけでなくご出席の方々にとっても。

小林 博重