生き方上手な第二の人生

昨日でほぼ生前葬・出陣式の出席者が固まった。何名か追加はあると思うが、大勢に影響はない。

ということで、昨日から今朝までの1日半かけて、出陣式の出席者リスト(20卓の着席リストを兼ねる)案を作成した。勿論、追加があることも考えてある。 ご出席予定者への最終のご連絡は22日を予定していたが、週の半ばには発信できるだろう。

私は何事も事を早め早めに進めないとストレスが溜まるセッカチなところがある。待ち合わせ時刻には30分も早く行くことはしょっちゅうだ。私をよく分かっている人は間々私に合わせて来ることもある。その点ではご迷惑をおかけしていることもあるが、私は「早くきてほしい」と急かせているわけではないので大目に見ていただこう。

生前葬は45名、出陣式からの人は88名。合わせて133名だが、133名の内、1名は生前葬のみの参加、1名は出陣式の司会をお願いしているので、5月15日現在で卓の着席の方は2人を引いて131名になった。追加があっても上限の140名には至らないだろう。他に、サポーターの人たちが12名いるので、併せて150名は下回ると思われる。予定通りだ。 毎年末にはOUEN望年会を200名程度で開催しているので、手慣れたものだ。

座席表づくりは、ご出席者の全てを存じているのが私だけなので、私しかできないのは致し方ない。この領域がある限り、私の存在価値はある。何事も、自分しかできないものを持っていると生きることにあまり不安はない。自分しかできないことを磨き続ければ、人生を生きることに怖いものなしだと思う。

私が44歳6ヶ月で自己都合で銀行を退職したのだが、それから今日までの26年間は「大企業の看板」なしの人生だった。いや、自らが看板になることを模索して生きてきた人生だった。
生きてきてみると「大企業の看板」が結構重いもので、自分の存在が芥子粒のように小さいものだと気がついた。決してサラリーマンは気楽な稼業ではない。サラリーマンで頑張っている人はストレスが溜まって大変だと、今になってみるとそのことを痛感する。

なぜなら、サラリーマンで一生懸命生きてきた人は、古稀になったら殆どの人が疲れ果て、第二の人生を長い余生として「悠々自適の人生」を送りたいと思うだろう。 私はこれから気合いを入れて頑張ろうと思っている。全く真逆だ。

これからは、もっと自分の個性を発揮できる生き方をしようと思う。そして、身体のメンテナンスを怠ることなく、自分自身をよく知り、明るく前向きに前のめりに生きて、楽しい人生を送りたいと思う。

そのためには、自分の至らなさをカバーするために、人さまのお力を厚かましいほどにお借りすることだ。ど厚かましいくらいがちょうどいい。 そして、人に嫌われないこと。嫌われたら何もできない。そこのところが、「できた人間になる」ということだろう。
できる人間になろうとしないことだ。なぜなら、できる人間とパートナーになればいいのだから。それを「生き方上手」というのだ。

小林 博重