出陣式の挨拶を書く。

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昨日の「こどもの日」はいつものように4時起きして出陣式のご挨拶文を書き始めた。
生前葬と出陣式を執り行おうと思った経緯や私の生きる存念、人生哲学、天から与えられたミッション、後半生で成し遂げたいミッション等々、つらつら書き連ねた。

いつもOUEN望年会では5分程度にしているのだが、第二の生の出陣式ともなると、私にとっては一世一代の大イベントである。いつもの倍の10分程度はお話しするようにとのプロデュース側からのアドバイスもあった。

それもそうだ。話したいことは山ほどある。それを10分程度に収めるのはなかなかの難事でもある。

7時過ぎにはほぼできあがった。これでいいと思って朝食を摂りに帰宅してあれこれ考えると、ちょっと見直したいところが出てきた。予定は新宿の歯医者に行くだけなので、じっくり見直そうと思って、何回か推敲した。

新宿へは片道1時間かけて2時間ウォーキングをしたのだが、帰ってからもう一度と思って、念のためにこれが最後と思って見直したところ、とんでもないことに、人生春夏秋冬の春が抜けていたことに気がついた。

全てのことはこんなものだろう。大きく言って人生も同じことだ。これが完璧と思っても決してそうではない。
これでもかこれでもかと思って、何事も時間の許す限り精魂を傾けることだ。そこから、見えていなかったことに気がつくことは間々あるのだ。だから、何事も謙虚に謙虚を重ねたくらいがちょうどいい。

私はほぼ毎日OUEN blogを書いている。私の日記のようなものだが、人さまにも読んでいただけるものだからそれも意識して書いている。

稲盛和夫さんは人間は意志が弱い動物だから無言実行よりも有言実行をすることだと仰る。

私は昭和51年に大学を卒業して銀行に入社した時、新入社員研修での私たちのグループの発表は「男は黙ってサッポロビール」だった。今は亡き三船敏郎さんがその台詞を言っていた。

男女雇用均等法ができたのは昭和60年の私が採用担当者だった時だから、昭和51年は総合職は男子ばかりだ。女子大はあったが、殆どの大学は男女共学だ。社会人になってそうではなくなるのだ。今考えれば、これはおかしいことだと思う。しかし、このことにほとんどの人は違和感は感じていなかったのではないか。男子のみならず女子もだ。「当たり前のこと」だと皆思っていた。

ウーマンリブはちょっと社会人としては外れ者というイメージがあった。そんな時代だった。

「男は黙って」には男と女の問題もあるがもう一つ、黙ってするのが「できた人」のすることだと言うこともある。
『有言実行は自己アピールをしていて、「できる人」かもしれないが「できた人」ではない』ということだ。そんな時代だった。

しかし、もっと深く考える必要がある。人間の本能や煩悩を念頭に置いて、弱い人間を強くするためにも有言実行は大いに意味がある。そのことを稲盛和夫さんは仰っているのではないか。それは「謙虚であれ」と言うことと全くもって相反するものではない。

こんなことも書きながら考える。何事も推敲に推敲を重ねることは意味がある。

人生70年、私は「匹夫の勇」のところがあったことは若気の至りで許していただこう。
これからの50年は、ありがたいことに、大きい高下駄を履かせていただいて生きる人生になる。
「心身一如のコスパ重視」で生きていこうと思う。

50年と思ってもどうなることやら分からない。人生に100%と言うことはない。それであれば、全ての可能性を考えて行動することが必須なことだろう。

小林 博重

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