祖父と孫たち

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次男家族が1泊2日で大阪から上京した。長男夫婦と次男家族(5人)と三男家族(3人)とで、西櫻亭(伊勢丹新宿)で3年ぶりの12人の大家族での楽しい時間を過ごした。

古稀の歳になって4人(男子1、女子3)の孫ができた。気持ちは若いがおじいさんだ。
孫たちを見ていると、祖父母に育てられた幼少の頃を思い出す。

祖父は明治15年生まれ、昭和45年9月に他界し、89歳の天寿を全うした。私が物心ついた頃は散髪店をやめていて、専ら菊作りに没頭していた。 祖母は明治20年生まれ。次男が誕生した昭和57年に他界。95歳の天寿を全うした。

祖父母は信仰心が厚く、毎朝の仏壇と神棚とお天道さまへのお参りは欠かすことはなかった。
特に、祖父はお不動さまへの信仰心は一際厚く、能登の長楽寺の山腹にお不動さまを建立することに後半生をかけた。
私もお不動さまの参道を祖父と定期的に掃除をしたことをよく覚えている。

私が保育所に通っているころだろう。冬、祖父と炬燵に入っている時、祖父はよく日露戦争の話をしてくれた。

日露戦争は明治37〜38年だったから祖父は22歳で徴兵された。それまでは北海道江差の大店で丁稚奉公をしていたらしいから、徴兵されて能登に帰り金沢の第九師団に入隊したのだろう。
旅順の二〇三高地での露軍との激戦のこと、血の川の水を飲んで生き延びたこと。馬上の乃木将軍を手を合わせて拝んだとか、露軍に奪われた軍旗を取り返し、その功績もあって金鵄勲章を受章したとか。 そして、いつも口癖は「ぼぅ(私のこと)、日本のために尽くす人間になるんだぞ。そのためには無学では何もできない。勉強せい。東大を目指せ」だった。

そんな祖父の想いに殆ど応えることはできていないが、これからの第二の生で少しでも祖父の想いに応えたいと思う。

私は孫たちに何を伝えたいのだろうか。一緒に住んでいないので、祖父のようなことはできない。しかし、実績とこのblogのような書いた言葉で私の生きざまを示すことはできるだろう。

生きるとは
生まれて生きる意味とは
哲学を持って生きることの大切さ
義理と人情を忘れない人になる
利己と利他
恕の心を持って生きること
敬天愛人
正々堂々たる人生
真っ直ぐに生きる人生
素直な心
明るく爽やかな人生

あと半世紀とは思うが、どうなることかこれは天のみぞ知ることだ。
次に生まれ変わるその瞬間まで、孫たちに恥じない生き方を貫きたいと思うものだ。

小林 博重

西櫻亭伊勢丹新宿で、孫とカメラに入る。

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