牛に引かれて善光寺参り

投稿者:

過日、テレビニュースで『善光寺御開帳』が取り上げられていた。

[善光寺前立本尊御開帳]
7年に一度、絶対秘仏である御本尊の御身代わり「前立本尊」を本堂にお迎えして行う催し。
前立本尊は、普段は御宝庫に安置されているが、7年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶う。本来は昨年だったが、コロナ禍で今年に延期された。4月3日から6月29日まで行われる。

善光寺と言えば、私は幼い頃、祖父母に買って貰った仏様の漫画本のことを思い出す。このような本は由緒あるお寺にお参りすれば、売店に売っているのだろう。 お釈迦様やお大師様のことを漫画にして子どもでも理解しやすく説いてあった。
祖父母は私に文字を覚える教育も兼ねて買って与えたのだろう。私はその本で字も覚えたが、その内容もしっかりと理解したように思う。 それが私の生きる存念にもなっている。

何冊かの仏様のご本の一つに「善光寺」のご本があった。
「牛に引かれて善光寺参り」だ。

「牛に引かれて善光寺参り」
昔、信濃国小県の里に心の貧しいおばあさんが住んでいた。
ある日、川で布を洗い干していると一頭の牛が現れ、角に布を引っかけて走り出した。その牛を追いかけて、おばあさんがたどり着いたのが善光寺。

日が暮れてお堂に入ってみると、光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな、仏の道に汝を導く己の心を」と読めた。すると、おばあさんはすっかり信心深い人間に生まれ変わった。

後日、近くの観音堂に詣でると、観音様の足元にあの布が。おばあさんは、牛は仏様の化身と知り、ますます善光寺への信仰を深め、めでたく極楽往生を遂げた。この仏様が小諸の布引観音と言われている。

私自身の70年の人生を振り返る。

私の春は、金沢大学附属高校〜東京大学〜安田信託銀行の45年。夏は、七転八倒、紆余曲折の25年。
皆んな、私が自分の意思で歩く道を決めたようで、決してそうではなかった。
その時々、私を導いてくれた少なからずの人がいた。そして、私は捻くれもせず真っ直ぐ素直にその道を歩いてきたと思う。そして、その道は自分の意思で選んだようでそうではないように思う。 まさに「牛に引かれて善光寺参り」だったのではないか。

果たして、その牛は誰なのだろうか。牛は仏様の化身であるなら、私の牛は私の周りにいる数多くの心清い人たちなのだろう。心清い人たちが仏様なのだ。 その人たちのおかげで、自由奔放に好き勝手に70年生きてきたような気がする。

一旦、今までの生を閉じて、これからは皆さんへの恩返しの第二の生にしなければならないのだと思う。

実に私は運がいいと思う。ありがたいのだ。
「ありがたい」とは、そうあることが難い、ほとんど稀だと言うことだ。その稀が私の周りにはとても沢山ある。ありがたい、ありがたい。

第一の生にお別れする。
「ありがとう、ありがとう」

第二の生に誓う。
第一の生でお世話になった皆さんに、大切に育ててくれた社会に、世間に、恩返しをする50年にしようと思う。

小林 博重

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。