戒名と終活を考える。

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私の剃髪姿を見て、裕美ちゃんは「最初はびっくりしましたが、少しお話ししていると慣れてきました。お似合いですね」と言ってくれた。 お会いする人の多くは、「団長の頭は剃髪に相応しい丸い形をしている。よくお似合いですよ」とか「お顔が穏やかになりましたね」とか言ってくださる。 最初はお世辞だと思っていたが、皆さんほんとにそう感じていらっしゃるようだ。

人には相応しい様相があるのだ。人はそれを分からず生きている。

哲学的に突き詰めれば、それは『汝自身を知れ』というソクラテスの箴言に行き着くのだ。
自分のことは自分が一番知っていると思っているがさにあらず。結構、人間の心は素直ではないところがあって自分にも堂々と嘘をつく。それが自分では分からない。そんな心で人生を生きている人間が殆どなのだろう。 「出家する」ということは、汝自身を知るということであり、「心を高めて汝自身を知る」ことなのだろう。

6月4日、私は生前葬で戒名を授かる。

戒名は、仏教において、戒を守ることを誓った(受戒した)者に与えられる名前であり、仏門に入った証であり、戒律を守る証として与えられるものだと。
日本には、仏教伝来と共に戒名が伝わった。その後、平安時代末期の死生観の変化により、死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授けて死後の安寧を祈る風習が生まれた。死後の戒名の習慣は日本にしかない独特のものであるらしい。

生きたまま戒名を授かるということは、私はいわゆる「出家」をするということなのだ。「成仏する前に戒名をいただく」という単なる時間差の儀式ではないのだ。

これからの第二の生では、戒名を授かった出家僧に相応しい言動を心掛けなければならないのだ。

そんなことで、終活を考える。
加藤茶さんがテレビで終活のコマーシャルに出ている。

「加藤茶、エンディングノートを書き始める。自分の人生のエンディングを考えることは、これからの人生をどう生きるかを考えることなんだね。さようならがあたたかい」

私にとって生前葬は、人生の春夏との別れであり、それを区切りとして”実りの秋”の集大成を第二の生で全うすることなのだ。

終活とは、「人生の終わりのための活動」である。
人生のエンディングを考えることを通じて、自分を見つめ、今をよりよく”自分らしく生きる”ために終活を行うのだ。

そして、私にとって終活とは、生前葬を区切りとして、自分らしく、さらに得手を磨き、その得手をフルに生かして、第二の人生を歩くことなのだ。 私の終活とは、人生春夏秋冬のなかの”実りの秋”の季節を指す。
仕事の最中に前のめりに倒れて、冬なしで次の世に旅立つ50年である。

一般の終活は、
①身の回りのモノの整理
②財産の整理や相続の準備
③葬儀や墓などの準備
をすることだそうだが、私は③を第一の生で終えることになる。
①と②は、第二の生の50年でこれからゆっくりとすることにしよう。

小林 博重
  

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