昨夕から痛風の発作が始まった。振り返って考えると、その兆候は4月に入ってあった。4月1日に合氣道の無料講習に参加したおり、殆ど正座ができなかった。身体が硬い体質なので、歳のせいもあって具合が悪いのかと思っていた。 7〜8日の金沢・能登の出張のおりもどうということはなかったので、痛風の発作が9日の夕方から現れるとは全く想定外だった。
そして、30年前のことを思い出した。
昭和59年7月に安田信託銀行神戸支店から人事教育部に異動になった。それから、人事企画部を含めて人事部門には7年3ヶ月在籍した。 平成2年10月に新宿支店に転勤になるまで、メイン・サブを入れて、昭和60年入社組から平成3年入社組の7年に亙る新入社員の採用に関わったことになる。
この7年間はバブル最盛期の時期でもあり、学生たちとは飲食の機会が多く、仕事で夜も遅くなることが殆どだった。全く身体にいいことはない。 そんな身体で新宿支店に転勤になり、数ヶ月後に痛風を発症したというわけだ。
それは、前夜に新宿でしこたま飲んで調布にあった銀行の独身寮(私は、船橋の自宅は遠かったので、人事部に頼んで独身寮に住んでいた)に帰宅した、その次の朝に痛風の発作は発症した。
朝、靴がスムーズに履けない。どうしたことだろうと京王線で新宿支店まで通勤した。デスクに座ってその場で立つことができない。私の席はちょうど支店長席の目の前だったが、その支店長席に立っていくことができない。 キャスター付きの椅子を回して支店長の前まで行ったが、しこたま叱られた。立つことができないから仕方がないが、上席に対して実に失礼なことだった。 事情を話したら、支店長は「それは痛風だ。すぐ病院に行け」とのことで、部下にタクシーまでおぶってもらって日本橋の銀行の健康管理センターに行った。 しかし、タクシーから降りることができない。守衛さんに手伝ってもらって車椅子を持ってきてもらってやっと2階の健康管理センターまでたどり着くことができた。 そこで、2時間の点滴を施していただき、何とか杖をお借りして夕方に船橋に帰宅することができた。それから2日間は会社を休んだように思う。
今回は30年前とほぼ同じ症状だ。左足のくるぶしが腫れて痛いのも同じだ。
歴史は繰り返す。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というが、毎日、尿酸値を下げる薬を飲んでいて、特に発作の兆候はなかったことで、その兆候が出ていても自覚しない。
慶應義塾病院に電話して担当の先生に聞くと、今は点滴はしないから救急で来院しても意味がないとのこと。市販薬で痛み止めの薬を飲んで、休み明けにかかりつけの医者に診てもらうことを勧められた。
妻がコロナワクチンの副作用対策で買ってあった鎮痛剤を飲んで、土曜日の夜に痛さで七転八倒していた状態から何とか回復し、日曜日の夕方には痛さはなくなった(しかし、トイレに行くにはまだ、キャスター付きの椅子に乗っていかなければ行くことができない)。 明朝一番、南青山のかかりつけ医の藤田クリニックで受診しようと思う。
70歳を迎えるに当たり、高転びに転んで頭を5針縫うとか、30年ぶりの痛風の発作を発症するとか、私は、区切りの古稀にいろいろなことに遭遇している。 しかし、おかげさまで大事に至っていない。痛風でも石川県出張のおりに発症していたら、現地で入院ということになっていたかもしれない。 明日のアポは電話とメールでキャンセルをしたので、明日は通院してゆっくり体勢を整える一日としよう。
小林 博重