瑞華院了聞の福井住職との対談

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令和4年2月4日に、私はウォーキング中に足を滑らせて頭を5針縫う事故に遭遇した。2月4日と言えば「立春」の日である。

[立春]
立春は季節の指標である「二十四節気」の一つ。24ある節気(季節は太陽の動きに影響され、季節の目安として一太陽年を24等分したものが二十四節気)の1番目である。 季節には春夏秋冬の4つがあるが、それぞれの季節の始まりが立春・立夏・立秋・立冬である。立春は春の始まりである。

人生は季節に擬えられる。人生の始まりである春の始まりは立春である。
私は2月4日の立春に事故を起こしたのだ。これはおめでたいことだ。

私は、昨年数え70歳の古稀になった。今年の11月8日で満70歳になる。
そんなことで、今年の6月4日(土)に南麻布了聞で[生前葬]を執り行うこととした。そして、その日に生まれ変わり、午後に第二の生の誕生日を祝う[出陣式]を開催する予定だ。

そんなことを考えると、私の第一の生の命日であり、第二の生の誕生日は令和4年2月4日なのだ。その日は立春。第二の人生の始まりとして、何と相応しい日であろうか。

仏様は私をそのように導いてくださっていると思わずにはいられない。神仏も天も全て、私を温かく見守ってくださっているのだ。

6月4日は、私の第一の生を締め括り、第二の生のスタートとして雄々しく羽ばたいていくおめでたい日になるのだ。

昨日は、了聞にお邪魔して、瑞華院了聞の福井威人上人(住職)と、約1時間半に亙りYouTube対談をさせていただいた。
実に気づきが多いありがたい対談だった。

古稀を区切りとして戒名を授けていただき、新たな人生をスタートする。

第一生の70年は俗名小林博重で生きてきた。煩悩の塊の70年間だ。

人生、心の思うまま、我が道を行く、喜怒哀楽の人生を送ってきた。世のため人のためとは思っても家族には勝手気儘な私との付き合いは結構しんどいものがあったろう。いい格好しいの私だから、それが家族に迷惑を掛けることになる。まずは一番身近な”家族のために”なのだが、それがそうでない人生を送ってきたのだ。

第二の生は、紆余曲折、七転八倒の70年の、拙いが貴重な経験を活かし、新たな名前(戒名)を授けていただき新たな人生を送ろうと思う。

魂というものがある。私の魂は人間の肉体に入り、人間の人生を共に生きる。そして、70年間の付き合いの中で、七転八倒しながら”苦を磨き砂”として、魂を磨いてきた。肉体が誕生した時の魂より少しは魂は成長しただろう。

そして、その魂は、中古車だが、人生をリセットしたリニューアル小林博重という肉体に搭乗する。

戒名(魂)は不動院△△○○居士だが、俗名は小林博重という肉体に、戒名と俗名が同乗するのだ。その期間を50年と設定したい。 そして、次の世にスムーズに乗り換えるべく、そのレベルにまで魂を磨き続けるのだ。人生(世間)は最高の修行道場なのだ。
この修羅場を如何によりよい世界にしていくのか、私に何ができるのか、それを追求、追究し続けることが人生の修行であり、修業なのだ。

戒名を授けていただくことは、それは尊いことだ。私の第一の人生を生きてきた以上の想いがその戒名には込められているだろう。
「第二の生は戒名に恥じない生き方をしなさい」という想いだ。

俗名で生きてきた70年と戒名と共に生きる50年とは自ずから生き方はアウフヘーベンしなければならない。戒名に恥じない第二の生を送ろうと思う。そうでなければ、戒名を授かる意味はない。

煩悩とは欲望であり、妄念である。人間は煩悩に翻弄されて人生を生きる。しかし、煩悩があってこその成長でもある。
宇宙には「よかれかし」の大流が流れており、そのために人間は煩悩を前向きに使ってきたのだ。しかし、時には、煩悩が叛乱を起こして、今起こっているウクライナ危機のような悲しい顛末に至ることも、悲しいかな、避けることができないのだ。

よき煩悩の使い方をすることだ。煩悩を捨てることはできないとすれば、その煩悩を心を鍛えることで、利他の心を持つことで、相手の立場を思い遣ることができる優しい穏やかな心を持つことで、世の中は平和で明るい世界になることだろう。

小林 博重

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