人生を哲学すること

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早いもので、生前葬と出陣式はあと2ヶ月余りに近づいた。
コロナは3月21日で「まんぼう」が解除されたが、感染者は下がり切っておらず、近く第七波もありとのネットの記事もある。
6月4日はコロナがどうなっているか、今の時点では全く予想はつかないが、最悪でも生前葬は執り行いたいと思っている。

人生には春夏秋冬がある。
私は70歳を区切りに、それまでが春夏、70歳以降の人生が秋冬と思うに至った。できれば冬なしで、120歳まで秋が続き、前のめりに倒れて次の世に旅立ちたいと願っている。 願わないと叶わないと言うから、そう思うことにしていて、そんなことは無理だとは思わないことにしている。

そして、夏と秋をこのように区切り、儀式として生前葬と出陣式(誕生会)を取り行うことは、下駄を履いた「ゼロからのスタート」であり、単に長生きすることとは全く違う意味があるのだと思う。

それは気持ちの面は勿論のこと、肉体の面においても違うような気がする。「心身一如」とか「身心一如」とか言われるが、心と身体は一体であるから、心から身体に、逆に身体から心に、双方が影響し合っている。 心身統一合氣道での修練で肉体をゼロから鍛えたいと思う。

そして、これからは有意注意の人生を送りたい。第一生は無意注意で何とか人生を送ってきたが、第ニ生ではそれではいけない。有意注意に徹することだ。第一生の経験を活かして生きることだ。人生を区切ることで、第一生の経験は歴史になる。賢者は歴史に学ぶ。第二生は愚者から賢者にアウフヘーベンすることだ。

人生はリセットすることができない。一旦死ぬと現実に生まれ変わることはできない。輪廻転生と言うが、それは一個人が体感できることではない。 そのため私は、生前葬と出陣式を通じて、輪廻転生の疑似体験をするということなのだ。

今までの人生70年、人生山坂、七転八倒、紆余曲折、反省の日々の連続であったが、その経験を基礎として、新たな旅立ちをする。 第二の人生とは、生まれた命をそのままにして、新たな旅立ちをすることなのだ。

私のミッションとは何か。
私に何ができるか。
私は何をしたいのか。
そして、それは世のため人のためなのか。

人生を哲学することだ。ただ生き長らえるのではない。何かをするために、私は第ニの生を生きるのだ。

明日は、瑞華院(了聞)の福井住職とのYouTube対談だ。人生を哲学する対談になるだろう。実に楽しみだ。

小林 博重

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