頭髪を剃るということ

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毎朝、髭と頭髪を電動シェーバーとT字剃刀で剃る。今はorからandになった。まず、電動シェーバーで剃って、朝風呂でT字剃刀が基本だが、偶にはその逆もある。その日の気分次第だ。
気分次第と言えば、ウォーキングのコースもそうだ。昨日は明治神宮コースだった。その他に定期的なコースは靖国神社コースと皇居一周コースと麻布十番コースと目黒の自然教育園コース。合わせて5コースだ。 気分次第という気分というものがよく分からない。どうしてそれを選んでしまうのか、理由が分からない。どちらにしてもどうということはないのでどうでもいいのだが。 人生もそんなものなんだろう。たくさんの人生の歩く道はあるのだろう。
幼少の頃はあまりにも漠としていて道という道は視野に入ってこない。大学生の頃は官僚か政治家か社長だった。学者という道は全くなかった。学問を根を詰めて極めることは性に合わないと思ったのだろう。私は学究肌ではない。

起業するほどの能力や意欲はなかった。時代もそんな時代ではなかったし。中央官庁か大会社か、そこでトップを目指して精進することが、大げさに言えば”ふるさとへ錦を飾る”ことだった。 今考えると、大したことではないことを考えていたものだ。

44歳6ヶ月で銀行を辞めたのが、私のそれまでの人生の生き方や考え方を180度変えてしまった。
自分がそう決めたのだが、それは天がそうさせたのではないかと今になって思う。
七転八倒の四半世紀だったが、それは天から「お前の人生は、世間の苦い水をたっぷり飲んでからじっくり考えろ」と言われたのだ。そして私は、図らずも冬の日本海に自らの意思と思って飛び込んだのだ。 世間を渡る能力は何も待ち合わせていない自分だったが、怖いもの知らず、何も分からずよく飛び込んだものだ。
一時は後悔はしたものの、今は飛び込んで七転八倒、紆余曲折したことが、私の成長に繋がっていると心から思う。
この四半世紀で確信にまで至ったことは「応援哲学は『自利利他の哲学』だ」ということだ。「人のために生きること、世のために生きることは、私の幸せにつながる生き方なのだ」ということだ。

毎日、頭髪を剃る。頭髪は煩悩の象徴だ。人間は煩悩があって人間なんだと思う。
煩悩が世界を豊かにしてきた。欲望があってこそ世界は豊かになってきたことは間違いない。しかし、その煩悩をきちんとコントロールしてこなかったことが世の中をめちゃくちゃにしている。地球温暖化もしかり。SDGsが叫ばれる所以だ。そしてそれは不幸なことに、ウクライナ危機でもはっきりと証明された。悲しいことではないか。

人間にとってなくてはならない煩悩を野放図にしてきたつけが、今の不幸を産んでいる。
すなわち、煩悩をコントロールすることが世界を平和にすることなのだ。

毎日生えてくる煩悩を、毎日剃ること。剃りながら毎日の反省をすること。今日は煩悩をきちんとコントロールしようと思い行動に移すこと。 それでもできないことは山ほどあるが、その反省の日々が人間を成長させ世の中を少しでもよくしていくのだ。

そんなことを考えて、今日もこれから頭髪を剃ろう。

小林 博重

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