「素直な心を持つ」ということ

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稲盛和夫さんは「素直な心を持つ」ことを下記のようにお話しされている。

素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。とかく能力のある人や気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし本当に伸びる人は、素直な心をもって人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。そうした素直な心でいると、その人の周囲にはやはり同じような心根をもった人が集まってきて、ものごとがうまく運んでいくものです。自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受けとめる謙虚な姿勢が必要です。

素直な心を持つことは謙虚な心を持つことであり、感謝の心を持つことである。特に今、世界を騒がせているロシアによるウクライナ侵略においても、ロシアのプーチンが専制君主如き権力者として取り巻きにイエスマンばかりを取り揃えている。しかし、そのイエスマンも人の心を持った人間であるから、「これはとんでもないことをしているのだ」と本心はそう思う人が少なからずいると思うのだが、そのことを言おうものなら現在の地位どころか命までも失いかねないから、仕方なくイエスマンを押し倒しているというのが現実ではないだろうか。

それほど、素直な心、謙虚な心、感謝の心を失うことは、人間の顔をした悪魔に成り下がってしまうことなのだ。

私は稲盛和夫さんを私淑している者の一人だが、私に言いたくもないことを、ある時は婉曲に、またある時はストレートに諫言してくれる人が一人ならずいる。それは殆どが歳下、男女に関わらない。特に古稀にもなった老人の部類に突入した人間に嫌な思いをさせるかもしれない諫言を言うことはできれば言いたくはないことだろう。しかし、その中でも、妹のような、また娘のような女性がそんな諫言を言ってくれる。

これはありがたいことだと感謝することだ。人に嫌われるかもしれないことをあえて言うことはないのだから、私のことを思って言ってくれているのだ。そのような人に感謝する素直な心を持つことが、稲盛さんが仰るように、私がたくさんの伸びしろがある人間になることができ、私の周りに同じ心根の人たちがたくさん集まってきてくれることになるのだ。

小林 博重

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