第ニ生を丸坊主で生きる意味

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この土日は何もアポイントが入っていない。久しぶりに休日という感じがする。何ヶ月ぶりだろう。

今朝は珍しく6時までぐっすりと寝ていた。やはり、平日は気が張っているのだろう。出張が入ると尚更だ。1週間に土日があり、心身の休日を持つのはやはり大いに意味あることだと、珍しく土日の効用を実感する。 年中無休、24時間営業、生涯現役の掛け声は私を元気づける特効薬ではあるが、それにいろいろな色を付けないと、それがサスティナブルにならないのだ。 勝手気儘な仕事であり、いつでも休んだり遊んだりできるのだが、やっぱり私にも土日があった方がいい。
人の心が分かるとか、バランス感覚を持つとか、そのためにも遊びや休みは必要なのだ。

今日は2時間ウォーキングに汗を流した。1週間ぶりだ。よく寝たせいもあるだろう。すこぶる調子がいい。春めいた日和だったので、帽子なしの丸坊主のままでのウォーキングだった。
歩くと今朝剃った頭が汗びっしょりになった。髪の毛がなくても汗びっしょりなんだから髪の毛があったらさぞやたくさんの汗を掻いているのだろう。そんなことは丸坊主にしないと分からない。
人生もそんなものかと変なところで人生を考える。何事も全て意味のある人生経験なんだろうし、人間はいろいろな経験を通して成長していくのだろう。ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったとか。
どんな愚者であっても生きていればいろいろな経験をするのだから少しずつでも成長はするものだ。そして少しずつ賢者になっていくと歴史に学ぶことができるのだろう(経験は小さい自分史でもあるのだからこれも歴史に学ぶ一つではある)。

ウクライナ危機についても、プーチンはきちんと歴史に学べば、こんな狂気の沙汰はしなかったのだ。全ての人間が持っている”欲望というならず者”を飼い慣らすことをせずに野放しにしてしまった結末が多くの人の命を奪っているのだ。 あまりにも大きく恐ろしいことであるから、このことに対して、愚者の私は世間の評論家にもなることができない。
宇宙の大流がウクライナ危機を何とか治めてくれることを私は祈るのみだ。

「まず形から入る」という諺がある。私の丸坊主もその一つだろう。
私の場合、今までの人生を振り返って考えると、自分の意思で形から入ったことは殆どない。私の周りにいろいろなことが起こって、それが私に「神さまは私にそうしなさい」と言ってくれているんだと思ってそうすることがほとんどなのだ。それが形になって、心につななっていく。

私の丸坊主は「私の第二生は修行の人生であり、世のため人のために生きることを極める人生でありたい」と思い行動するための宣言としての形なのだ。

生臭坊主ではない「修行僧」として身を清める人生を送りたいと思うものだ。

小林 博重

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