人間の幸せと、応援=OUENしたくなる人

福岡の八百治博多ホテルに宿泊する。いつもながら3時過ぎに目覚め、ゆったりと部屋の風呂に浸かり、髭と頭髪を剃りながら昨日の反省の時を持つ。

何気なくNHK総合テレビを点けて4時40分からの「視点・論点」を視聴する。
今日のテーマは「人間が幸福になる経済を求めて」と題して、東京大学名誉教授の神野直彦さんが語っていた。
私が日頃からずっと考えていることだったので、興味深く10分間を神野先生のお話に聴き入った。

人間には大きく2つの欲求がある。一つは存在(being)欲求であり、もう一つは所有(having)欲求なんだと。
前者は人間の幸せを追求し、後者は人間の豊かさを追求する。
私たち人間は、幸せになるために豊かさを追求してきた。人間の目的は幸せであり、その幸せを求めるための手段として豊かさがある。あくまでも豊かさは幸せになるための手段でしかない。 しかし、人間は豊かさを目的と思い違えて、本来の目的である幸せから遠ざかっているのではないか。

日本は小泉政権以来、新自由主義を目指してきた。そしてトリクルダウン理論(徐々にこぼれ落ちる)で国民は「おこぼれちょうだい」で豊かになり、それが幸せなのだと。きつい言葉になるが、政治は国民を騙してきたのだ。

私から言わせれば、トリクルダウンは、それは愚民政策でしかない。国民は自ら考える能力はないのだから、お上がこぼれ落ちる豊かさを落としてやるから、国民は口を開けて待っていればいい、それが幸せなのだと言っているように思うのだ。

たとえ、口を開けて滴る蜜を飲んだとしても、それは人間の幸せではない。人間の幸せとは、自らが考え、行動して、世のため人のために生きていると、自分が生きて働くことで、周りの人たちが幸せになる、それが生きている意味(存在=being)なのではないか。 私たち人間は生涯幸せを求め続けて生きていきたいと思う。

私は人一倍のお人好しとよく言われるが、それでも人を選んで、その人を応援=OUENする。
昔はダボハゼでほとんど人を選ぶことをしなかったせいもあり、結構煮湯を飲まされたものだ。この70年間、つい最近までそんなことはあった。 そのこともあり、70歳(古稀)になったことを機に、生前葬・出陣式(誕生日会)で生まれ変わり、新たな気持ちと身体でリスタートを切りたいと思うのだ。

昨日、黄英蘭さん(イノベーションソフト社長)同行で北九州市若松区の佳秀工業の寺本常務をお訪ねした。
寺本常務とは[OUEN塾in福岡・北九州]でお世話になっており、それでも3年くらいのお付き合いになる。OUEN望年会にもご出席いただいた。

黄さんは知り合ってまだ1ヶ月くらいだろうか。東大の後輩(竹本毅さん)が顧問をしている関係で、彼に手伝ってあげてほしいと依頼されたことがきっかけだ。

お二人とはなぜか気が合うと言うのか、お二人とも心が清い方のようにお会いした時からそう思った。私の第六感と言うところだろう。その第六感をお付き合いしながら確認していく作業が人間の付き合いということなのだろう。

寺本常務と14時のアポだったが、黄さんとは折尾駅で12時半に待ち合わせしたので、約束の時刻まで時間はたっぷりあった。

黄さんは中国のハルピン生まれ、東北の人だ。何で日本に帰化しようと思ったのか、日本のどこが気に入っているのか。大勢のエンジニアを社員やパートナーとして抱えていて、日本で会社を立ち上げて頑張っている。どこからそんなタフな力が出てくるのか。

私は長年の友人であるかのように、勿論失礼のないように質問した。彼女もそれに応えて、自然体で応えてくれた。私はますます彼女を応援してあげようと思った。

人と人との関係は合わせ鏡のようなものだ。こちらが心を開けば相手も開いてくれる(勿論、私は人を選んでいる)。

そんな、応援=OUENして差し上げたい沢山の人たちとこれからも巡り会いたいものだ。

小林 博重

年度末、福岡に出張する。

今日から2日間、期末の3月30日〜31日だが、1泊2日で福岡出張をする。やはり、期末なので皆さんご多忙だが、それでも5社のアポをいただいた。

昨夜は久しぶりに親しい方々と懇親の席を持った。その席には私のメンターも同席していた。ここのところ、彼女とは会っていなかった。久しぶりの会食だった。

定期的にメンターに会って仕事のことをはじめ、何でもないことまで話すことは、私の場合、とても意味があることだ。
昨夜も会食の席で、私が全く失念していたことを指摘され、ハッと気づいて胸を撫で下ろした。こんなことは稀ではない。

人間は完璧ということはない。「自分は完璧だ」と思うことは思い上がっている証拠だ。「自分は完璧」と思うことで、人のアドバイスに耳を傾けて聴くことをしなくなる。まさに、ロシアのプーチンのような裸の王様になってしまうのだ。

そのことは、組織のトップばかりのことではない。私のような一匹狼も例外ではない。
独りで何でもできることもあって、時にはとんでもないことをしでかすこともある。
そんな時、ストレートなアドバイス、お小言を言ってもらえることは実にありがたいことなのだ。「煙たいことを言う」と言う態度だと、人は思っても何も言ってくれなくなる。心したいことだ。

朝はいつも3時前後に目覚めるが、朝一の飛行機か新幹線だと、やはり気が張ってしまう。
そのため、寝る前には「3時に起きるぞ」と気合いを入れて寝ることにしている。途中一度起きたが、また気合いを入れて一寝入りしたので3時過ぎには問題なく目覚めることができた。 人間は起きていても寝ていても自分に気合いを入れることができるのだ。

4時前には事務所に出かけ、メールのチェックをして、いつもより早い朝風呂に入る。頭髪を剃りながら昨日の反省をする。メンターの話も反芻して身を引き締める。

毎朝の頭髪剃りは日課になってしまった。稲盛和夫さんの「6つの精進」に『毎日の反省』があるが、私の場合、それは頭髪剃りの時だ。

今朝は6時25分羽田発福岡行きのANAに乗る。
いつもより少し早いので、青山一丁目駅から都営地下鉄で大門浜松町まで。浜松町から羽田空港第2ターミナルまでモノレールに乗る。朝一の飛行機に乗るには、モノレールが京急より少し早く着く。乗車料金は少し高いが、こんな時はモノレールに乗車することにしている。

沢山の方々からお電話をいただき、外苑前の事務所に来ていただく。また、私からも沢山の方々にお電話して、訪問するか、ご来社いただくか。
やはり、リアルの面会面談があってのビジネスだと思う。私への依頼に対しては、私はほとんど前向きにお聴きすることにしている。以前は私ができそうでないことはできないとお話しすることが多かったが、最近は「何とかやってみましょう」とお話しすることにしている。
それは、私への依頼が、私の「ドラえもんのポケット」になるからだ。こちらから「お話しを持ってきていただいてありがとうございます」とお礼を言いたいくらいだ。タモリの「友だちの友だちはみな友だち」を地で行けば、ビジネスはコスパがだんだん高くなるのだ。

私は一匹狼だが、人さまには「私の部下は1万人もいるんです」と言うことがある。私に関わってくださる人たちを部下というのは失礼なことだが、ともに働く仲間たちと言う意味だ。

私は上司と部下の関係はあくまでも対等だと思っている。役割が違うだけだ。そのことを私は東大応援部で学んだ。人さまは、上下関係が厳しい、理不尽なこともしょっちゅうある応援部(団)と思っていらっしゃると思うが、少なくとも東大応援部はそうではなかった。勿論、上下関係は厳しいし、理不尽なことも偶にはある。しかし、人間が温かいのだ。

人の情けが全てを解決する。あくまでも心は対等なのだ。
心と心のやりとりが私の応援哲学を確固としたものにしてくれている。

小林 博重

瑞華院了聞の福井住職との対談

令和4年2月4日に、私はウォーキング中に足を滑らせて頭を5針縫う事故に遭遇した。2月4日と言えば「立春」の日である。

[立春]
立春は季節の指標である「二十四節気」の一つ。24ある節気(季節は太陽の動きに影響され、季節の目安として一太陽年を24等分したものが二十四節気)の1番目である。 季節には春夏秋冬の4つがあるが、それぞれの季節の始まりが立春・立夏・立秋・立冬である。立春は春の始まりである。

人生は季節に擬えられる。人生の始まりである春の始まりは立春である。
私は2月4日の立春に事故を起こしたのだ。これはおめでたいことだ。

私は、昨年数え70歳の古稀になった。今年の11月8日で満70歳になる。
そんなことで、今年の6月4日(土)に南麻布了聞で[生前葬]を執り行うこととした。そして、その日に生まれ変わり、午後に第二の生の誕生日を祝う[出陣式]を開催する予定だ。

そんなことを考えると、私の第一の生の命日であり、第二の生の誕生日は令和4年2月4日なのだ。その日は立春。第二の人生の始まりとして、何と相応しい日であろうか。

仏様は私をそのように導いてくださっていると思わずにはいられない。神仏も天も全て、私を温かく見守ってくださっているのだ。

6月4日は、私の第一の生を締め括り、第二の生のスタートとして雄々しく羽ばたいていくおめでたい日になるのだ。

昨日は、了聞にお邪魔して、瑞華院了聞の福井威人上人(住職)と、約1時間半に亙りYouTube対談をさせていただいた。
実に気づきが多いありがたい対談だった。

古稀を区切りとして戒名を授けていただき、新たな人生をスタートする。

第一生の70年は俗名小林博重で生きてきた。煩悩の塊の70年間だ。

人生、心の思うまま、我が道を行く、喜怒哀楽の人生を送ってきた。世のため人のためとは思っても家族には勝手気儘な私との付き合いは結構しんどいものがあったろう。いい格好しいの私だから、それが家族に迷惑を掛けることになる。まずは一番身近な”家族のために”なのだが、それがそうでない人生を送ってきたのだ。

第二の生は、紆余曲折、七転八倒の70年の、拙いが貴重な経験を活かし、新たな名前(戒名)を授けていただき新たな人生を送ろうと思う。

魂というものがある。私の魂は人間の肉体に入り、人間の人生を共に生きる。そして、70年間の付き合いの中で、七転八倒しながら”苦を磨き砂”として、魂を磨いてきた。肉体が誕生した時の魂より少しは魂は成長しただろう。

そして、その魂は、中古車だが、人生をリセットしたリニューアル小林博重という肉体に搭乗する。

戒名(魂)は不動院△△○○居士だが、俗名は小林博重という肉体に、戒名と俗名が同乗するのだ。その期間を50年と設定したい。 そして、次の世にスムーズに乗り換えるべく、そのレベルにまで魂を磨き続けるのだ。人生(世間)は最高の修行道場なのだ。
この修羅場を如何によりよい世界にしていくのか、私に何ができるのか、それを追求、追究し続けることが人生の修行であり、修業なのだ。

戒名を授けていただくことは、それは尊いことだ。私の第一の人生を生きてきた以上の想いがその戒名には込められているだろう。
「第二の生は戒名に恥じない生き方をしなさい」という想いだ。

俗名で生きてきた70年と戒名と共に生きる50年とは自ずから生き方はアウフヘーベンしなければならない。戒名に恥じない第二の生を送ろうと思う。そうでなければ、戒名を授かる意味はない。

煩悩とは欲望であり、妄念である。人間は煩悩に翻弄されて人生を生きる。しかし、煩悩があってこその成長でもある。
宇宙には「よかれかし」の大流が流れており、そのために人間は煩悩を前向きに使ってきたのだ。しかし、時には、煩悩が叛乱を起こして、今起こっているウクライナ危機のような悲しい顛末に至ることも、悲しいかな、避けることができないのだ。

よき煩悩の使い方をすることだ。煩悩を捨てることはできないとすれば、その煩悩を心を鍛えることで、利他の心を持つことで、相手の立場を思い遣ることができる優しい穏やかな心を持つことで、世の中は平和で明るい世界になることだろう。

小林 博重

三矢の訓

日経新聞朝刊の広告欄で「見えないものを見る力」〜経営者に求められる「ネガティブケイパビリティ」(成果に至るまでの苦しい道のり)〜を見て、日本橋丸善まで往復ウォーキングをしようと思った。 日経で宣伝している割には丸善では置いてあるところが分からなくて店員さんに聞いて、1冊しかなかった本をやっと見つけた。
ついでに、致知出版社の「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」と第二弾の「生き方の教科書」を買い求めた。

私はここ数十年、小説を読んだことがない。専ら「生き方」に関する評論だ。そして、せいぜいそれに類するエッセイくらいだ。
それは、自分の人生が小説だと思っているせいだ。宝くじやおみくじも買ったことがない。それも同じ理由だ。

本は買っても全てをすぐ読んでいるわけではない。積ん読の本が数冊ある。買いたくなる時に買って積ん読する。そして気が向いたら読む。買おうと思った時、買うのがワクワクして楽しいのだ。

今日のウォーキングは、行きは赤坂見附から虎ノ門〜皇居前から丸善へ。帰りは銀ブラして新橋〜虎ノ門〜赤坂見附で外苑前まで。
往復で2万歩強、ちょっと歩き過ぎと妻に言われる。無理して歩いているわけではないのでどうということはないと思うが、身体と相談してウォーキングを楽しもうと思う。

事務所に帰り、大相撲春場所千秋楽をテレビ観戦する。
「荒れる大阪場所」と言われるように、優勝争いは混戦模様だ。横綱照ノ富士は休場だし、大関も正代、貴景勝はやっと勝ち越し。御嶽海も今一。優勝戦線に残ることができなかった。 しかし、関脇以下の優勝争いもまた面白い。今場所は観客を楽しませたのではないか。

番外の若隆景と高安との12勝3敗同士の優勝決定戦は素晴らしい大相撲だった。土俵際で若隆景の大逆転は観ていてとても興奮して、何度もビデオを観てしまった。

初めて知ったのだが、若隆景は福島県出身で、おじいさんからの相撲一家で、相撲三兄弟の末弟なんだとか。
長兄は幕下の若隆元、次兄は幕内の若元春だ。祖父は元小結若葉山、父は元幕下若信夫。新関脇での初優勝はかの双葉山以来のことだと。

若隆景は身長181cm、体重130kgと相撲取りでは小柄だが、筋肉質で正統派。元横綱千代の富士を彷彿とさせるイケメンだ。彼の相撲ファンはこれからたくさんできるだろう。

また兄弟の四股名がいい。毛利三兄弟の隆元と元春(吉川)と隆景(小早川)から名付けられている。

✴︎三矢の訓
毛利元就が、今際の際に三人の子どもたちを呼んで、「1本では脆く折れてしまう矢も、束になれば頑丈になる」と言ったことから由来している。

私にも3人の息子たちがいる。3人とも仲のいい親思いの好青年だ。三矢の訓よろしく、これからの人生を手を取り合って生きていってほしいものだ。

久しぶりに大相撲を堪能した。
そして、人生を考えさせられた。
⑴人生は筋肉質であるべきだ。
⑵人生は正統派であるべきだ。
⑶人生は一人では生きることができない。共に闘う信頼できる仲間と手を取り合って生きることだ。

小林 博重

人生を哲学すること

早いもので、生前葬と出陣式はあと2ヶ月余りに近づいた。
コロナは3月21日で「まんぼう」が解除されたが、感染者は下がり切っておらず、近く第七波もありとのネットの記事もある。
6月4日はコロナがどうなっているか、今の時点では全く予想はつかないが、最悪でも生前葬は執り行いたいと思っている。

人生には春夏秋冬がある。
私は70歳を区切りに、それまでが春夏、70歳以降の人生が秋冬と思うに至った。できれば冬なしで、120歳まで秋が続き、前のめりに倒れて次の世に旅立ちたいと願っている。 願わないと叶わないと言うから、そう思うことにしていて、そんなことは無理だとは思わないことにしている。

そして、夏と秋をこのように区切り、儀式として生前葬と出陣式(誕生会)を取り行うことは、下駄を履いた「ゼロからのスタート」であり、単に長生きすることとは全く違う意味があるのだと思う。

それは気持ちの面は勿論のこと、肉体の面においても違うような気がする。「心身一如」とか「身心一如」とか言われるが、心と身体は一体であるから、心から身体に、逆に身体から心に、双方が影響し合っている。 心身統一合氣道での修練で肉体をゼロから鍛えたいと思う。

そして、これからは有意注意の人生を送りたい。第一生は無意注意で何とか人生を送ってきたが、第ニ生ではそれではいけない。有意注意に徹することだ。第一生の経験を活かして生きることだ。人生を区切ることで、第一生の経験は歴史になる。賢者は歴史に学ぶ。第二生は愚者から賢者にアウフヘーベンすることだ。

人生はリセットすることができない。一旦死ぬと現実に生まれ変わることはできない。輪廻転生と言うが、それは一個人が体感できることではない。 そのため私は、生前葬と出陣式を通じて、輪廻転生の疑似体験をするということなのだ。

今までの人生70年、人生山坂、七転八倒、紆余曲折、反省の日々の連続であったが、その経験を基礎として、新たな旅立ちをする。 第二の人生とは、生まれた命をそのままにして、新たな旅立ちをすることなのだ。

私のミッションとは何か。
私に何ができるか。
私は何をしたいのか。
そして、それは世のため人のためなのか。

人生を哲学することだ。ただ生き長らえるのではない。何かをするために、私は第ニの生を生きるのだ。

明日は、瑞華院(了聞)の福井住職とのYouTube対談だ。人生を哲学する対談になるだろう。実に楽しみだ。

小林 博重

心身統一合氣道成心館道場青山教室にて合氣道を修得する 。

昨日、心身統一合氣道会の成心館道場青山教室に無料体験の申し込みをした。
私のかかりつけ歯科であるサンデンタルクリニック(西新宿)の小山悠子先生のご紹介だ。

私が2月4日にウォーキングで足を滑らせて転び、頭を5針縫う事故を起こしたことで、小山先生から「インナーマッスルを鍛えなさい」とアドバイスを受けたものだ。
「小林さん、ウォーキングの他に合氣道をしたらいいですよ。私もバレーの他に合氣道に月1回通っているんです。ご自宅や事務所の近くの青山にも教室があるからインターネットで申し込んでみたら?」とご紹介されたものだ。

心身統一合氣道
成心館道場青山教室
〠107-0062
港区南青山2-27-20
VORT外苑前Ⅱビル B1F
入会金/5,000円(税別)
年会費/4,000円(税別)
月会費/9,000円(税別、東京地区)
道着/5,000円〜7,000円

インターネットで「小山悠子先生のご紹介で」と申し込んだら、早速、連絡が来て、4月1日(金)20〜21時に無料体験することになった。青山教室は週1で、金曜日20〜21時に開催しているのだと。 小山先生にも小原館長からご連絡があったようで、小山先生から「鍛えて上げてくださいと話しておきましたよ」とメールをいただいた。

心身統一合氣道の5原則
1.氣が出ている
2.相手の心を知る
3.相手の氣を尊ぶ
4.相手の立場に立つ
5.率先窮行(躬行)
✴︎率先窮行
人の先に立って自ら物事を実行すること
言ったことを人より進んで実行すること

まさに、論語のいう「恕の心」だ。私が目指すところである。

成心館道場
この道場の主旨は「心を成し、プラスの氣の人材を育成し、人生成功の道を普及する」ことであり、創始者藤平光一先生より小原英雄先生(館長)が認可を受けた。

✴︎成心とは
先天的に持っている完全な心

齢70の古稀になって、第二の生を雄々しくスタートさせたいと思っている時に、この”心身を鍛える心身統一合氣道”と巡り合ったことも何かのご縁だろう。

教室が自宅と事務所の至近にあること、週1の金曜日20時から1時間というのもありがたい。無理なく務めることができると思う。

全ては私のために世の中は動いているようだ。身に起こる全てのことは「よかれかし」という天の意思であり、宇宙の大流なのだ。

小林 博重

顧客満足と顧客感動の違い

朝風呂で髪を剃る。やはり、電動シェーバーよりもT字剃刀が髪の根本からカットするので「煩悩をカット」する思いが強くなるように感じ、ここのところT字剃刀が殆どだ(電動シェーバーは出張の折に持参して剃っている)。

稲盛和夫さんの「6つの精進」の第3に毎日の反省があるが、私の場合、「毎日の頭髪のカット」で反省をする習慣になった。
「形から入る」と言う言葉があるが、「反省をし、人間を高める方法」の一つとして、それは意味があることだと実感している。
また、その形によって思いの外、相手の方が私の想いを快く受け止めてくれるように思う。

顧客満足と顧客感動について考える。

双方とも顧客の立場に思いを致すことで、顧客に信頼していただき永続的に深い取引をすることを目指すものだが、前者は1対1の関係であるのに対して、後者は信頼の連鎖が拡がっていくことがイメージされる。

顧客に期待以上のパフォーマンスを提供することにより、顧客に感動を与えることができる。
感動すれば、そのことを友だちに伝えることをするだろうし、それによってその友だちもその感動を味わいたいと思って私と接点を持とうとしてくれるだろう。”友だちの友だちはみな友だち”とどんどんその輪は拡がっていくのだ。 顧客満足から顧客感動にアウフヘーベンすることは、一人の顧客に対するレベルアップに限らない大きな意味があるのだ。

私はビジネスマッチングを生業としている。
ビジネスマッチングは基本的に1対1だ。今までの私のビジネスはその範疇に過ぎなかったのだ。すなわち顧客満足のレベルで終わっていた。

しかし、私が目指すものはビジネスマッチングからビジネスコラボレーションサポートなのだ。
一つの感動がどんどん派生していき、多くの人たちを巻き込んでいく。顧客感動まで行かないとほんまもののビジネスではないのだろう。

小林 博重

顧客感動・顧客満足と『利他の心』

ビジネスでもボランティアでも人間に関わることは全て”ひとごと=人事”であり、その相手はお客様だ。「お客様に喜んでいただく度合いで人間の幸せ=人生が決まる」と言っていいのではないか。

今回の関西出張は実に実りの多い出張になったと思う。一つや二つのビジネスマッチングの成果ではない。その拡がりは”類は友を呼ぶ”諺通り、数珠繋ぎでビジネスマッチングが成立していくことを肌で感じた2日間だった。 そして確信として思ったことは「ビジネスの基本は自利利他である」こと、つまり、近江商人の”三方よし”を地で行くことだということだ。

やはり、実感しなければ血肉にならない。身につかない。何事も経験を積んで実感することで、それが確信にまで堅固なものになり、哲学にまで昇華していくものなのだ。

私たちは多かれ少なかれ、人と関わって生きている。人との関わりなしには生きることはできない。人間の世界で成功するためには、ひとごと=人事のプロになる必要があるのだ。

それは、相手に私と付き合ってどれだけ満足していただけるか、顧客満足(カスタマー・サティスファクション)の度合いがどれだけ高いかによる。
期待通りだと顧客は満足する。「カスタマー・サティスファクション(顧客満足)」だ。しかし、それに満足していてはいけない。絶対的差別化しようと思ったら、その上前をいくことが必要だ。お客さまが期待した以上のパフォーマンスをすることだ。それが「カスタマー・ディライト(顧客感動)」と言うことだ。

満足から感動へ、サービスを昇華させることだ。その底辺には相手のことを思い遣る『利他の心』がある。

顧客感動とはテクニックではない。ベースに『利他の心』があって、それにノウハウとしてテクニックを付け加えるということだ。そうでないとビジネスの成功はサスティナブルにはならない。

そのことを実感した関西の出張だった。

小林 博重

企業の社風(企業性)と社員の人間性

私は44歳まで21年間に亙り銀行に勤めていたが、その内8年近く、勤務年数の4割近くは人事部門だった。人事部門を卒業し約5年間は営業部門の管理職だったが、営業も”ひとごと=人事”であり、殆どの期間は人事に関わっていたような気がする。そして今、ビジネスもボランティアも全て”ひとごと=人事”であり、私のミッションである「世のため人のため」「学生さんと、彼らを応援してくださる企業の皆さんとともに地域を応援する”地域創生”」は、全て”ひとごと=人事”の延長であり、『応援』こそが”ひとごと=人事”なんだと思う。
私の前半生を振り返ってみると、「いつも人事に関わって生きてきた」ように思う。すなわち、人事が私の天職なのだ。

“社風”をネットで繰ってみる。
社風とは、企業全体の価値観や信念が表れる企業独自のスタイルや雰囲気のこと。

社風が自分の性格や希望の働き方と合っているかどうかは人それぞれであるため、業務内容や待遇で入社を決めた企業であっても、入社後に「社風が合わなくて、働きづらい…」と感じてしまうケースもあります。

社風は、大手企業・中小企業・ベンチャー企業と、企業の規模によっても異なります。

大手企業の場合

ある程度歴史があり、規模も大きい大手企業となると、会社全体の価値観やルールが細かく定められていて、個人の価値観やアイディアは反映されにくいという特徴があります。企業の資産があり社会的信頼が厚い一方で、自分なりのアイディアや自由なルールは通用しにくいため、チャレンジ精神の強い方や新しい発想を取り入れたい方には働きづらいと感じてしまう部分があるかもしれません。

中小企業の場合

中小企業の規模になってくると、特に会社のトップの考え方や価値観が社風に強く影響しやすくなります。そのため、トップの考え方や方針に共感できる方には働きやすく、仕事に対する満足度も高くなるでしょう。また、大手企業に比べると規模が小さい分出世しやすい環境であるため、昇進を目標のひとつとしている方には向いているといえます。

ベンチャー企業の場合

ベンチャー企業は社員数が少ない分、意思決定もスピーディーに運びやすいという特徴があります。社員一人ひとりの仕事の裁量が大きく、大手企業と比べると柔軟に、自由度の高い仕事の進め方ができる会社が多いのも特徴です。その一方で、実力主義であったり、マニュアルやルールがないため自分で考えて業務をしないといけないといった点もあります。また、経営者との距離が近いため、その考え方や人柄に共感できるかどうかもポイントになりそうです。

私は銀行という保守的でお堅い会社の権化のような企業に勤めていた。

大学時代は金融機関だけには入りたくないと思っていたのに、中央官庁をドロップしたことと、応援部時代に応援部のことのみならず、人生全般に亙るまで、一際お世話になっていた応援部の先輩のお誘いもあって、安田信託銀行という「信託」が付いているが銀行には変わりない企業に入社した。

どうして入社したのかと言えば、それは安田信託銀行に勤めている人、人事部門をはじめとしたさまざまな立場の人があまり銀行くさくない”ザックバラン”な人たちばかりだったからだ。

そして、私なりに入りたくないと思っていた銀行に入る理由を考えた。「全ては人だ。安田信託銀行の社風は私には合うのだろう。そして、銀行は企業の血液であり、志高い企業家、起業家の支えになることが私が目指す”世のため人のために尽くす”ことなのだ」と。

社会に存在する法人は全て存在する意義がある。

あとは、私がその組織に合うかどうか。組織の社風に合うかどうかなのだ。それは間違いではないと思う。しかし、人間、いろいろな経験を積み、生き方が固まってくる。また、時代の流れで企業も変わらざるを得なくなってくる。組織の柵で生きていくことが耐えられないようになったら、自分に偽ることなく飛び出すことは限られた人生を後悔なく生きることではないかと思って44歳で飛び出した。

社風もあるが、最後は自分の生き方、人生観、人生哲学に沿って生きることができるかどうかだ。そんなことで、私は社風を人生観の次に考える。人生観が確立する前では、社風を第一に選ぶ基準とするということだ。

そんな意味で、社風の良し悪し(自分に合うかどうか)を私がお付き合いする企業の第一の選択基準にしたいと思っている。

第二の人生を生きるに当たって、この世は決して一人では生きていけないのだから、共に闘う友(すなわちそれは企業)は社風がいい(私の生き方に合う)企業でなければならない。

すなわち、お付き合いの期間の長短ではなく、素晴らしい人間性ならぬ企業性を持った企業とお付き合いしたいと思うのだ。

その点で、昨日行動を共にしたゼオライトさんとankさんは、企業の大小とは関係なく(素晴らしい心根の会社は必ず大きく成長する)、社風がいい、企業性が素晴らしい会社だと思う。

この2社は、私の第二の生の素晴らしいパートナーだ。

昨日初めてお会いしたゼオライト(株)の福島孝太さん、八木愛子さんは、お二人とも素晴らしい人間性豊かな人だと思った。

社風とその組織に属する人の人間性は間違いなく合っているものだ。

小林 博重

人誑しと哲人

ロシア外務省が21日、北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を中断すると発表した。ウクライナ侵略に伴う制裁に日本が加わったことへの反発が理由のようだ。 さもありなん。日本政府はそんなことはとっくにお見通しだろう。世界の孤児となった人非人プーチン率いるロシアとの交渉は今時点ではできるはずはない。

宇宙は「よかれかし」の大流が流れているはずであるのに、百獣の頂点に立っている私たち人類は何と愚かな動物なのだろうと慨嘆せざるを得ない。悲しいことだ。

しかし、地球=世界は宇宙の一部であり、「よかれかし」の大流は滔々と流れているのだ。
たとえ、21世紀が16世紀の戦国時代に戻るかのような、また20世紀の第一次と第二次の世界大戦時代を彷彿とさせるかのような様相を呈してきても、人類に与えられたミッションは「全ての生き物が幸せに暮らすことができる地球をつくる」ことにあるのだと信じて、前を向いて行動することなのだ。「365歩のマーチ」よろしく、3歩進んで2歩下がるが、それでも必ず1歩は進んでいるのだから。

[365歩のマーチ]
しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう

腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け
ソレ ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

しあわせの 扉はせまい
だからしゃがんで 通るのね
百日百歩 千日千歩
ままになる日も ならぬ日も
人生は ワン・ツー・パンチ
あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている

腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け
ソレ ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は ワン・ツー・パンチ
歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から
はじまることを 信じよう

腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け
ソレ ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

日曜日の整体院の海老原先生との話の中で「人たらし」が話題になった。

[人たらし]
周囲の人たちから好感を持たれることや、そのような人物を”人たらし”といいます。しかし、人たらしには、「他人を騙すこと」や「他人を騙す人」という意味もあるようです。人たらしを漢字で表記した場合は、「人誑し」と書きますが、この「誑し」とは、騙す・誘惑するなどの意味合いを持つとされています。

「人誑し」と言えば、太閤秀吉や田中元総理がその代表と言われるが、彼らはいい意味で言われている。

ネットで[人誑し]を繰ってみる。
[人誑しな人の特徴]
1.ポジティブ思考
2.いつでも笑顔
3.人懐っこい
4.好奇心旺盛
5.リアクションが良い
6.同性異性を問わず人気
7.適度な距離感を保つ
8.気配り上手
9.素直に受け止められる
10.マメで丁寧
11.聞き役も話し役も上手い
12.目上の人を立てられる

自己分析すると、私はこの内、半分以上当てはまっているか。まだまだ人誑しには至っていない。

私は人誑しよりも、哲人を目指したい。西郷隆盛や稲盛和夫さんのような「人として如何に生きるか」を人生のテーマとして、行動に移して世の中を変えた人だ。

西郷隆盛の愛した言葉『敬天愛人』は稲盛和夫さんも座右の銘として生きる座標にしていらっしゃる。
西郷さんや稲盛さんの足元に少しでもたどり着いて人生を全うしたいと思う。

小林 博重