第ニ生は「自利利他のリードオフマン」を目指す。

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第二の生は丸坊主で生きていこうと決めた。
丸坊主は私が自主的にそうしようと思って丸坊主になったものではない。たまたま、ウォーキングで躓いて頭を切ってしまったことで丸坊主にせざるを得なかった。
私はそれを「これが天の意志だ。天が私に何かを気付かせようと思われて私を躓かせたものだ」とプラス思考で思ったものだ。そして、私は「第二の生は在家で出家して、心を形で現そう。人間、生きることが修行であり、丸坊主はそれを形に表したものだ」と思うに至った。

すなわち、「心が形をつくり、形が心をつくる」
心と形は鏡のようなものであって、心が形に表れ、その形がアウフヘーベンした心をつくっていくのだ。

OUEN Japan は、「学生たちの応援団」であり、それを応援してくださる「企業(OUEN Company)の応援団」であり、究極には、学生たちとOUEN Company が協働して、住み働き学ぶ「地域の応援団」を目指したい。私の第二の生は、それがミッションだ。

その心が丸坊主という形になって、心を清くして、OUEN Japanのミッション達成に貢献する。

第二の生を「自利利他」が全ての生きるベース、幸せのベース、幸せがサスティナブルに続くベースであることを身をもって示すものにしたいと思う。

「自利利他」とは、他を利することで自分の利はついてくるということだ。
人間は欲得で生きている。成長したい、お金儲けがしたいという欲があって、人間は成長してきた。しかし、その欲がサスティナブルに続くためにはどうしたらいいかとまでは考えが及ばなかったのだろう。自分だけが良ければと思うから、犯罪は起こるし、絶滅に至る動植物は後を絶たない。地球温暖化は止まらない。みんな人間が自分勝手に「我さえ良ければ」と言う欲望だけで生きてきたからだ。

仏教の教えに「忘己利他(もうこりた)」がある。己を捨てて他を利することだ。滅私奉公もそのようなことだろう。
それは崇高な心だが、神様仏様のレベルでなければ達することができないレベルだろう。それを凡人たちの私たちに求めるのは無理というものだ。 しかし、「自利利他」ならそうではないのではないか。まずは自分の利がある。それを果たすための最高のコスパは何かということの結論が「自利利他」なのだ。 頭のいい、欲得を考えた人間ならば、この「自利利他」は究極の哲学になるのではないか。そうであってほしい。

それを身をもって、私がリードオフマンになって第二の生で示すことだ。

昨日の企業と企業のセッティングは、その一つの形だった。人は、お互いが鏡のようなもの。キャッチボール。こちらが投げたように相手は投げ返してくる。好球には好球が返ってくる。それを第二の生で身をもって示したいと思う。

小林 博重

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