「出家して、在家で人生を送る入道」を目指す。

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昨日はいつもより早く、18時に床に就いた。うつらうつらして寝入り、珍しく寝足り感があったのだが、今朝は3時前に目が覚めた。結構眠った。快適な目覚めだった。
それからの床の中の30分、昨日の出来事(反省)や夢の中のことなど、いろいろなことを考える。それを事務所に出向き、日々のブログに書くのが、私の一日の事初めになっている。

「悟る」とはどういうことだろうと考えた。
「出家」をすることで悟ることができるのだろうか。
日々、一生懸命生きること、仕事をすることが”精進する”ことなのだから、在家でも出家することができるだろう。
頭を丸めて「入道」になれば、人間は心が弱い動物だから、頭を丸めて姿を入道にすることで、”有言実行”と同様、日々の行動を有意注意することで、「悟り」に到達することができるようになるだろう。

そして、なんだかんだ言っても思っても、究極は、「悟る」とは”大人になること”なのではないかと、今日のところはそれを結論としようと思い、床を離れた。

では、「大人(おとな)」って何だろう。
私は、私を良く知る人に、「もっと大人になりなさい。まだまだ中学生ですね」とか、「子どものままで大人になった人だ」とか言われる。その言わんとする意味は「まだまだ子どもだ。もっと成長しなさい」ということだろう。 そして、「正直者はバカを見る」という諺があるが、「人を信じ過ぎて、人に利用される」というところもあるだろう。

また、その「子ども」を別の意味で言われることもある。「あなたは、幼な子の心を持って大人になった貴重な人」なんだと。
“純真無垢”であったり、”天真爛漫”であったり、きっと褒め言葉なんだろう。それが”天衣無縫”にまで行けば理想なのだが。

曰く、「悟る」ということは、”子どものような大人になる”ことなのではないかと私は理解する。

純真無垢で、天真爛漫で、天衣無縫な、美しい心を持った”大らかな大人”になること。

人と争うことを好まず、穏やかな優しい心で、相手のことを考える”恕の心を持った大人”になること。

人間には決して捨て去ることができない108つの煩悩があり、それをバランスよくコントロールすることができる”賢い大人”になること。

私は、おこがましいが、「出家して、在家で人生を送る入道」になることを目指したい。
人生を生きていくこと、生涯現役で仕事を続けることは、それ自体が修行であり、そうであるとすれば、在家のままで仏に近づくことができるのではないか。 すなわち、煩悩を上手にコントロールすることで「世のため人のために生きる」ことができる。

小林 博重

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