一生、夢を追いかける。

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毎朝、事務所で朝風呂に浸かる前に一日伸びた頭髪をバリカンで刈る作業が加わった。
私は毎朝風呂で髭を剃るが、まだそれと同時に頭髪を剃ることは、まだちょっと躊躇している。
しかし、頭髪刈りを毎朝の行事にすることで「毎日生えてくる『煩悩』を刈る」と思い、前日の反省をすることを習慣としたいと思う。

「煩悩」は欲望や妄念と同意味だ。「煩悩」があって人間は生きていることができる。人間が百獣の頂点にいることができるのも、「煩悩」があったればこそだ。しかし、その「煩悩」のままに生きていると、それはサスティナブルな世界はできはしない。如何に「煩悩」を人間の理性と知性と感性でコントロールすることができるのか。すなわち、それは「利己から利他へのアウフヘーベン」ではないのか。

ウクライナ情勢が緊迫している。北朝鮮も世界のならず者だ。
各国のリーダーたちは、それは誰よりも知者であり賢者でなければならないのに「自分の国が良ければ」とか「国の面目、面子」とか、そんなことに拘泥しすぎるあまり、「共に生きる」ことをどこかに置き忘れてきたようだ。 なんて人間は愚かな動物だろうかと思う。

私は国のリーダーのような能力はないし器量もないから、彼らの頭の中は全く分からないし、分かろうとも思わない。
私は人間として、ただみんなが共に手を取り合って仲良く生きていきたいと思うだけだ。

孫たちが神社にお参りして、お願いのお札に「世界が平和になりますように」と書いていた。同じことを息子たちも書いていたことを懐かしく思い出した。 「戦争がない世界平和を望む」ことは、能天気な世間知らずではない。人類みんなが残らず世界平和を願ってそう行動すれば、世界は平和になるはずだ。

北京冬季オリンピックは、ドーピング問題をはじめとして、決して「平和の祭典」ではなくなった。全てのことをルール化して、煩悩をコントロールすることで、オリンピックは平和の祭典になるはずなのにと思う。まずはスポーツからと思うが、そのスポーツが世界の煩悩に侵されているのだ。

私は経営の才がない人間だと自覚している。しかし、70年間生きてきて、『応援』から学び、『稲盛哲学』から学び、それを私なりに一つずつ実践行動してきた。
そして、「自利利他」が生きるにおいて、幸せになる真理であると確信するようになった。そして、経営をすることも生きることと同意味だ。経営も「自利利他」がベースなのだと思う。それを極めることで、『忘己利他(もうこりた)』にアウフヘーベンすることができるはずだ。それを生涯に亙り、貫き通すことなのだ。

「ボランティアがどうしてビジネスにつながるのか。団長はボランティアをすることで、ビジネスは拡がっていくと言うが、ボランティアとビジネスは相反するものではないか」といろいろな人によく言われる。

しかし、本物のサスティナブルなビジネスのベースには「自利利他」の精神があると思う。そして、それは自然とボランティアにつながって行く。 私はそれを、私に関わる小さなところから実感として体験し、体得しつつある。
これが世界にまで拡がっていけば、世界は平和になるだろうに。

そんな半分夢のようなことを考える。しかし、夢を描かないと夢は実現しない。私の時代の見果てぬ夢は、あとに続く若者たちが果たしてくれるだろう。そのバトンタッチがあることで、夢を追いかけようと心は明るくなるのだ。

小林 博重

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