私が講師としてお話しできること

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九州北部信用金庫協会の篠原専務から、福岡市のある勉強会で私に講演をしてくれないか、というご依頼のメールをいただいた。

篠原さんは、私がOUEN塾で福岡に毎月1週間出張し始めた時、西武信用金庫の髙橋理事長にご紹介いただいてお知り合いになった方だ。
彼は角打ち回りが趣味のユニークな御仁であり、北九州角打ち文化研究会博多支部のFB管理人もされている。先月の福岡出張のおりも、博多の角打ち回りをご一緒に5軒はしごした。ざっくばらんにお付き合いいただいている朋友、心友である。

その篠原さんからのご依頼であり、私には勿体ない話しでもある。是非ともご協力したいと思う。
しかし、ビジネスでの成功者でも、また、然るべき地位についている人間でもない私にどんな話しができるのだろうか。

「来し方70年を振り返り、これからの第二生を如何に生きるか」
そんな話しなら私にできるだろう。私は真っ直ぐに生きること、正直に生きること、人のために生きることが、絶対に[人生=経営のベース]であると信じている者だが、私の話しが、彼らが経営者として生きていくことにつき、少しでも参考になればと思うが、どうだろうか。

こんなことなら話しができるだろう。

1.東大応援部での応援活動が私の哲学になっていったこと。
『応援』とは、人と人との「心のキャッチボール」だ。人さまに応援していただいたら、お返しに応援して差し上げる。これが応援の基本中の基本だ。応援の根っこだ。それは、「自利利他」「忘己利他(もうこりた)」につながる。
私は、応援=OUEN哲学を生きる信条として生きていきたいと思ったこと。

2.私淑する稲盛和夫さんから、人生を生きるベースとしての稲盛哲学を学んだこと。そして、生涯学び続けていきたいこと。
稲盛さんにお会いしたことが遠因で、銀行を辞めて一本独鈷で生きようと思ったこと。

3.金融機関の使命は、志高い事業家の血液となることだと思い銀行に入社したこと。しかし、渋沢栄一や安田善次郎のような銀行家を夢見て入った銀行は、バブルが弾けて、どこもかしこも銀行屋に成り下がってしまったこと。
それは私の生きる志に反すると、44歳で中途退職したこと。
経営の才がない私でもできることはある。私の天から与えられた得手を生かして「世のため人のために尽くそう」と思ったこと。

4.独りでは何もできないことを悟り、多くの心清い人さまのお力をお借りして、私に与えられたミッションを果たそうと思ったこと。

5.地域創生が私のミッションと思い、学生たちと地元企業のみなさんと、私が培った人脈の大企業や中堅企業の皆さんの応援をいただき、皆さんたちと協働して地域創生を果たそうと思ったこと。

6.そして、新たに第二生を生きるに当たって、私のミッションである[地域創生]は、やはり地元の中小零細企業が主役にならなければサスティナブルにはならないと思うに至ったこと。

それに若い学生たちが、学び、住む地域を応援する。自分ごととして応援する。
中央の大企業や中堅企業は応援団として黒子となって地域創生に関わる。
そのコーディネーターがOUEN Japan=小林博重であるという自負を私は持っていることをお話ししたいと思う。

そして、皆さんにお伝えしたいことの一番は、『ビジネスの基本はやはり自利利他』であること、『近江商人の三方良し』であること。

そんなお話しなら私はできると思う。
何せ、「心は一生青春、一生燃焼」なのだから。

小林 博重

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