大転びは通過儀礼

ふと夜中に目覚めて、先週金曜日の「大転び」は私の人生の大きな通過儀礼だったのではないか、と思った。

「通過儀礼」について、Wikipediaではこのように書かれている。

通過儀礼とは、日本および東南アジア諸国やアフリカなど世界各国で古くから受け継がれている習慣や行事に対して、広い範囲で使われる言葉であり、その意味は、簡単に言うと「生涯における儀式」のことだ。 人が誕生してから一生を終えるまでに迎える成人、就職、結婚、長寿、そして死去までのそれぞれのステップで行う儀式や儀礼、行事のことを言う。

私は古来稀なる齢70歳の古稀を区切りに第一生を終え、第二生をスタートさせようと思った。その区切りは昨年末の大晦日、数え70歳の最後の日と思っていたが、やはりその区切りには通過儀礼があって然るべきであり、それが令和4年(2022年)2月4日の「大転び」だったのだと。

70年の人生を終えるとは、それは人間にとって誕生と同じく、最大の一大行事だ。何せ、それは命が尽きる時なのだ。それを単に暦で数え70歳の大晦日と決めることではいけない。そして、その時が令和4年2月4日だったのだ。

人間にとって大きな「死」という通過儀礼は、私の第一生では、ありがたいことに「不幸中の幸い」で済ますことができた。何と幸せなことだろう。

そして、2月5日には「出家」としての丸刈りをした。丸刈りは「オープンな人生の生き方」を表現しているのだ。これからの人生もずっとオープンマインドで貫きたいと思う。

私が幼少の頃は、保育園などというしっかりしたものはなかった。中能登の能登部神社の片隅に掘建小屋を建てて保育園らしきものがあった。
私が5歳くらいの頃だっただろうか、能登部神社の裏山に長い階段があり、登った奥には祠があった。私は休み時間にその階段を登って祠を見に行ったのだろう。休み時間が終わる鐘がなり、私は急いで階段を駆け降りたのだが、足を踏み外して階段を転げ落ちた。

その時の頭の傷は丸坊主にするといくつか残っているのが明らかになる。私はそれをあえて隠そうとはしていなかったが、髪の毛があることでそれは隠れて見えなかった。しかし、48年ぶりに丸刈りにして、その傷は表舞台に出てきてしまった。

今回の大転びで、5針縫った傷は残るだろうし、ごそっと抜けた髪の毛が生えていた箇所は、円形脱毛症になったかのように髪の毛は生えてこないだろう。 これらの傷は、早乙女主水之介よろしく、天下御免の「向こう傷」と洒落ていたが、そうではない。

第一生を終え第二生を始める通過儀礼の証明の傷なのだ。髪の毛で隠すものではない。宗教的、哲学的に大いに意味がある「堂々たる人生を生きる証明書」なのだ。

思いの外、重大な事故にならなくて幸いだった。
これからの第二の生が幸せで、世のため人のために生きる人生になることを切に祈念したいと思う。

小林 博重