頭の傷は「向こう傷」

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昨日は南平台緒方クリニックの受診のアポイントが12時30分だったが、30分以上早くクリニックに着いた。
事前には、少し待っていただくかもしれないと聞いていたのだが、その前に受診できた。何事も余裕を持って行動すべきだ。
「先んずれば人を制す」と言う諺もある。

診てもらったところ、おかげさまで、縫ったあとは特に異常はなかった。しかし、縫ったところが頭部であり、どうしても髪の毛が邪魔をすると言うので、その周りの髪の毛を切って処置をしてもらった。この際、丸刈りにしてもいいと思い、クリニックの帰りに床屋で五分刈りにしてもらった。

丸坊主にしたのは、昭和49年(1974年)の東大応援部主将の時以来、48年ぶりのことだ。
その当時のことを思い出す。江川選手が法政大学野球部に入部して春の神宮で東大戦に初登場し、東大はまだ肩が仕上がっていない江川に敗北を喫した。しかし、その雪辱は秋の神宮できっちり返した。江川の東京六大学野球での最初の敗戦は東大がつけたのだ。

丸坊主というのも悪くはない。特に髪の手入れはすることはないし、月に1度、散髪するだけでいい。

また、もっと前向きに考える。
丸坊主は、剃髪をして髪を剃り、坊主にして戒律を受ける「出家」にも通じる。
古稀に第一生を終え、第ニ生を始めるにあたり、その象徴として「丸坊主」もいいのではないかと思う。

仏教では、人には「五根」「五境」「五欲」があると言う。

「五根」とは、5つの感覚器官(目、耳、鼻、舌、身)であり、「五境」とは、それぞれの感覚器官で感じる5つの感覚(色、声、香、味、触)であり、「五欲」とは、五境に対する執着やそれによって生じる5つの欲(食欲、財欲、性欲、名誉欲、睡眠欲)である。 そして、「家」はそうした欲の象徴でもあると言う。

つまり、「出家」とは人が持つ欲を断ち切り、仏の弟子になると言う意味なのだと。

また、稲盛さんは、何もお坊さんになることだけが出家ではない。在家で「世のため人のために生きる」ことも立派な修行であるのだと仰る。 一度出家され、また在家に戻ってこられて、日本航空の再生に尽くされたのはその偉大なる証明である。

私が人生について考える時は、まずは自らが考えるというのではなく、何か大なり小なり「苦」と言われるものが私自身に降り掛かってきて、それがきっかけで、それを前向きに捉えることによって「人生を考える」ことをしてきたように思う。何も先見性はない。

しかし、神仏や天が、私を宇宙の大流に沿って生きるように導いてくだっている。
私に降り掛かる「苦」は、私が宇宙の大流に沿って生きる道標の役目を果たしてくれているのだ。

旗本退屈男の早乙女主水之介ではないが、第二の生は丸坊主になって、頭の傷は「向こう傷」と思って、前向きに真っ直ぐ、堂々たる正道を歩いていこうと思う。

小林 博重

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